他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

その理論で行くと赤鉛筆は黒鉛芯の3倍の性能という事に

ボールペンの軸先にインクカスが大量に溜まるようになり、そろそろ寿命と思われる使用感に近づいてきたので、文房具屋に買いに行った。文房具屋に行くと、ボールペンや90円シャーペンなどの、チープな筆記具(質が悪いとは言っていない)がずらずらと並ぶ、アクリル板で出来た棚を必ず見る。どうして漏れなくアクリル板製なのかは気になるが、きっと私の知らないスタンダードがあるのだろう。ほぼその棚に並んでいる顔ぶれは変化する事なく、大体どこに行っても同じ顔ぶれ、同じ配置なので、文房具屋が従うレギュレーションみたいなものが外部に存在して、それにならっているのだろう。想像で言っているので、そんなものはないけれど、慣習がだらだらと右にならえされてあのフォーメーションが広まり固着しただけかもしれない。あいつがそうするなら俺もそうしよう、という心理である。チェーン店の味がどこに行ってもおおよそ同じように、馴染みのあるものに出迎えられると安心するものだ。裸エプロンで「お風呂にする? ご飯にする? それとも……きゃっ♡」というやり取りを毎日繰り返していると、情を催すよりも安心感を覚えるのが先になるのと似たようなものだ。想像で言っているので、ズリキチよろしくその手の状況に並々ならぬ執着を持つ方々におかれては一向に劣情収まる気配がなく晩年骨朽ちるまでそのシチュエーションを楽しめるのかもしれない。ちなみに私は女が裸エプロンで、とは言っていないので、男が裸エプロンで出迎えても何ら問題はない。BLものでありそうな、あり……そうな……。ある可能性は極めて高い展開だろう。そちらには詳しくないので、専門家の言が俟たれる。ともかく、テンプレ筆記用具アクリル棚は、いつもと変わらぬ配置で鎮座しているので、ここに手を伸ばせばあれがある、という無思考購買行動を可能にしてくれるのである。煎餅布団周りがごちゃごちゃで全く整理がついていないように見えても、生活する本人からすれば極めてシステマティックに「組み上げられた」レールであるのに似ている。で、ボールペンは正直あんまり面白いのがフリクション以来出ていないので、シャーペンコーナーを見ていると、私が魂を捧げたクルトガにアドバンスドというハイグレードモデルが出ていた。従来モデルの2倍速で芯が回るらしい。正直めちゃくちゃどうでもいい改善だと思ったが、2倍でないといけない理由があったのだろう。シャア専用機が3倍の性能でないといけなかったのと同じように。「強く書いても芯が折れない」の実は元祖ではないかと思われる「Orenu」というシャーペンがどこかに霞と消え去り、後発他社モデルに市場を席巻されているのを見て、悲しい気持ちになった。多分、デザインがイモくてめちゃくちゃダサかったのが原因だと思う。

万国共通

スケべな人であれば、誰しも一度は「pussy」という英単語を目にした事があると思う。目にした事がないと言うのであれば、それはまあ、英語系のサイトにアクセスした事がないからであろう。最近は、英語系のサイトに訪れても、Google翻訳より数段劣るような質で変形された日本語のバナーが現れるようにもなっている。句読点の位置がおかしかったり、言いさしで終わっていたりして、言いたい事は分かるのだが、いまいちくすぐったい感覚が拭えないクオリティの惹句なのだ。エロ大国日本と言われつつも、海外スケべエンジンの日本語環境が安定しないのは、一体どういう事かと思ったりする。まあ、それはいいとして。この「pussy」は、カタカナで無理やり転写すると「プッシー」なのだが、辞書の説明を見ていると、これはなかなか無視するにはもったいないなという由来が書かれていたので考えてみたい。かなり俗説に近いのではないかと思うが、ギリシア文字のψ(psi、「サイ」と呼ばれたり呼ばれなかったりする。以前内輪で行った、肛門に入れたら気持ち良さそうな文字ランキングで上位に食い込んだ実績がある権威ある文字だ)と女性の陰部の形が似ている事から、pussyが件の意味を持つようになったのだという。……。えぇ~? 嘘だぁ~。と言いたくなる気持ちが強いが、しかしそう言われた後でψという字をよくよく観察してみると、確かにそう見えなくもない気がしてくるから不思議である。モリマンで、多分ぴっちり閉じているので、小路あゆむ系女性器なのだと推察される。そう言われるとそう見えてくるのだから、広告を打つ際、如何に受け手の内部におけるイメージ操作が重要かが分かっていただけると思う。分かっていただきたいのは、ギリシア文字には女性器そっくり(と言えなくも見えなくもない)な文字が含まれるのだよ、という、益体のない事実である。XYZを縦に並べて書くと女性の裸身に見える、というあれと大差ない。是非とも、まるで女性器と見紛うほどのψを書けるように鍛錬を重ねて欲しい。その鍛錬の先に何があるのかは、辿り着いた者のみぞ知る。高そうな、贈答系のお菓子が置いてあったので、もりもり食べた。自分の腹を痛めずに食べる摂食というのは、この世で指折り数えられるくらいの享楽だと思う。タダより高いものはないというけれど、しかし、それはそれ、タダである事には変わりない。状況を伺い、これから向こう何の後腐れもなさそうだと判断された場合には、迷わずタダの恩恵に乗っかるべきである。10日くらいしか持たないから早く食べてくれるとありがたい、と言われて、まるでセミみたいだな、と思った。成分表示を見ると、なんと砂糖よりもバターの方が多い。砂糖を舐めるより、バターを舐めた方が満足感が高いのではないかとも思ったが、砂糖とバターが混じって、さらにそこでバターの方が多いから満足度が高いのであろう。強欲な生き物だ。

渾身の空撃

欲求が消化不良気味だったので、ケンタッキーに行った。昨日の話である。前回、8ピース+クリスピー2本を食べる途上で油に参り、いくつかを冷蔵庫の中へ「また明日会おうね」と格納した苦い思い出がある。ついでに、ケンタッキーのチキンを冷やすと、それはそれで美味しいという新たな発見があった。油が馴染み、肉が締まって旨味を感じやすいとか、その暴挙に出た時の私は書いているのではないだろうか。さすがにあの物量、あるいは物量とその含有する油、は一度に処理しきれるものではなかったので、今回はチキン4ピース+メキシカンチキン2ピース+ポテトS2袋である。メキシカンなんとかという新メニューが出ていて、そういえばケンタッキーが出す新メニューって辛いのが多いような気がする。開発部か、味見をする偉い人の中に、辛党がいるのだろうか。大いにありうる。それはそれとして、隣のレジでおじさんがハロウィンバーレルを買っているその横で、一人だが二人用のセットメニューを買っていた。店員が「誰かと食べるんだろうな〜多分」かのような顔をしていたが、残念ながら、私にはそんな相手も機会もない。一人で一意専心、身体に鞭打つために買うのである。ケンタッキーのポテトは美味しいという記憶があるが、あれをポテトと呼んでもいいのだろうかという別の懸念がある。ポテトというか、ジャガイモの遺骸とでも言いたくなるほど、あのポテトは一切れあたりの質量が優れている。corpus iagaimorum(コルプス・じゃがいもールム)である。ラテン語にも間違いなくジャガイモという意味の単語はあるはずなのだが、知らないのでじゃがいもをそのまま輸入した。アラビア語も英語の音をそのまま輸入する事ままあるのだから、じゃがいもくらい大目に見て欲しい。勘定を誤魔化す事を「サバを読む」と言うが、じゃがいもや人参だって、その意味では読めると思う。そんなにぱっと数えられない。イワシやシシャモだって読めるだろう。小さいし。サバ語初級とか、そういう事なのか? 新メニューのメキシカンチキンの方は、正直な感想を申し上げ奉ると、値段の割に本当に大した事ないので、同じ値段を払うならオリジナルチキンをより多く食べる方がよい。衣がスパイシー気取りのコーンフレークみたいな感じなのだが、これの味がカラムーチョとかピザポテトとか、あの辺の「30円くらいの駄菓子」と同じ味なので、がっかりしないためにも手を出さない方が良い。とても安っぽい味がする。メキシコは何も悪くないのだ。今回はまともに食べ切れた。尿意を感じて目覚めると、確かな胃もたれの感覚があった。これを望んでいたのだ。

堕とすにはまず胃袋から

ストレスが溜まると、例外なく自傷欲に向かうのだが、痛いのも苦しいのも嫌だし、毎日「明日起きる時には水蒸気になって霧散してないかなぁ」と思う程度に行動力がとろけてどこかに家出してしまったので、身体に悪そうな感じを抱いている食べ物を摂取する事にしている。髪の毛を切らずに伸ばすのも、結局誰にも言えず仕舞いではあったが私としては自傷行為の一種だったのだけれど、風呂上がりにぴちゃぴちゃ落ちてきて迷惑と思う程度の方が上回るので、オススメしない。この自称自傷行為であるところのアンヘルシー食運動は、ヤケ食いではない。ヤケ食いは、なんでヤケ食いするんだろう? 何かしらの説明を加えようとして、何も出てこない。忘れたい事とかあって、それに意識が向かうのを、食べるという行為への注力と、質の悪い満腹感で誤魔化すためにヤケ食いをするのだろうか。ヤケ酒も私はできない。酒が飲めないからである。飲めないので自分の限界が分からないし知らないし、一人で加減を間違えてぶっ倒れそのままお陀仏するのみ嫌だし、翌日以降数日に渡って後遺症を残すのも嫌である。後腐れなく、その場こっきりで通過する苦しみが欲しいのだ。ヤケ食いは、そうだ、身体に悪そうなものを選択的摂取しているわけでは必ずしもないだろう。バァムクゥヘンが好きな人はバァムクゥヘンだけをしこたま食べるだろうし、焼き鳥が好きな人ならひたすらに焼き鳥を食べるだろう。焼き鳥は自傷食に向いている気がする。ただただ鶏皮とボンジリ、トントロ串をルーティンしていれば、油と脂で内臓から不快感が押し上がってくるだろう。油脂からくる身体的・心的不快感と、その曳く尾の長さは極めてダメージが大きい。1日限りの享楽的(退廃的)気分が共に盛り上がっていなければ、そこまで痛めつけることは難しい。油を摂取し続けるというのは、それなりの意思の強度を伴う。意思が弱っているからそちらに逃げているのに、その逃げた先でもまた違う形で逃避対象を要求されるとは非情この上ないが、それはそれ、自分で選んだ道なのであるから黙して拝して受けなければならない。昨日は、モスバーガーで内臓をボコボコにしようかと思って店頭のメニューを見てみたのだけれど、どれも小綺麗でスマートで、刃がボロボロになった彫刻刀みたいなものがなかった。そもそも、ドリンクのデフォルト選択肢から品がよい。これではならぬと、帰路を引き返してマクドナルドを探しえびフィレオをポテトLと爽健美茶を以ってして流し込んだものの、そのあまりにも雑な満足感ゆえに、欲求の充足たりえなかった。ただ、謳い文句と値段の割に極めて微妙なバーガーへの言い知れぬ不信感と、塩の粒が指先に残っただけだった。

オレンジ色だ

糖分が身体中に巻き起こり、ものすごく急速に眠くなる事を承知の上で、干し柿が食べたい。干し柿は、見た目は完全に悪性腫瘍で凄い色になったぶよぶよの塊ではあるのだけれど、食べ物としての満足度はとても高いと思う。砂糖の甘さとは異なる、果物(柿って果物だよな……?)の糖度で下を塗り潰される幸福な感覚である。あのタイプの甘さを摂取し続けても、体を悪くしないんじゃないかと思ってしまうほどの。てろてろの中身と、クリクリした食感の皮と、それから、種の周りのプリプリした果肉が美味しい。種の皮に歯が擦れると途端に苦味が現れるので、種を傷つけないよう慎重に身を剥いでいく必要がある。干し柿の製造工程上、ヘタがとても乾いているので、その萎び具合を楽しむのもまた一興である。表面に吹き出している、白い糖分に思いを馳せながら、2個くらい一気に食べると、スイートネスが体を駆け巡って眠くなる。甘いものを摂取するというおやつの目的をきちんと果たしているとは言える。干し柿が食べたいなぁと思う。芋けんぴでもいい。スーパーで売っているビニール袋に入ったものでもいいのだけれど、美味しい芋けんぴは金属の箱に入っていて、和紙のシールで商品名が貼ってある。安い芋けんぴと高い芋けんぴの何が違うのかと言えば、まずは色である。高い芋けんぴは、さつまいもの色をしている。あと、硬い。砂糖がしっかりついているからだろう。高い芋けんぴは美味しいのだ。干し柿と同じく、食べ終わった後に眠気が襲いかかってくるのは、もう仕方のない運命として受け入れるしかない。美味しくて体によいものは、難しいのだから。「インピオ」という言葉の意味を知らなかったが、使われているエロ漫画の内容から意味を察することに成功した。知らない言葉の意味を推察し、およそそうらしいと確信する過程は、帰納法を途中でやめて演繹法に乗り換える感じがする。直通ではなくて、乗り換えのために少しだけ歩いてごまかしているので、この間隙を埋めるためにきちんとソースを求めて調べなければならないのではあるのだけれど、意味を知った後でこの言葉を改めて調べなおすというのが恥ずかしいので、憶測から得られたそれらしい意味でよしとしておく。しばらくなさそうな気がするが、インピオ大好き人間に遭遇するような事があれば、事実確認をしたい。「あれって、こういう意味なんですよね?」と。子供からその意味の照明を得たいとは思わないが。

そうめん枕という字面だけなら

薬局を通りがかった際に、店頭販売の白髪染めPR音声から、「しらがさーよならまっくろけーっ!」という、何とも言い難く珍妙なフレーズが耳を突いた。商品名を控えていないのでどういうアーティクルの広告だったのかが分からないが、かなりおかしな方向性であった事は確かだ。文字起こしすると、本当に「しらがさーよならまっくろけー!」としか転写できない。珍妙という形容詞が、珍にして妙という形容詞が痛く似合う。なかなかない出会いをしたと思う。タクシーの後部座席を隠すように、リアガラスに『眠眠打破』のステッカーが貼ってある事がある。リアガラスはずっと横のガラスの事だと思っていたが、実は後ろだった。タクシーに眠気覚ましドリンクの広告が貼り付けられているのを見ると、何とも不安な気持ちになる。タクシーの運転手とか、バスの運転手とか、高速バスの運転手とかは、絶対に運転中眠くなってほしくない職業ランカー常連である。そういう場にそういう広告があるという事は、つまり、「私たちも眠くなる事があるんですよ、でも、そんな時、この商品があるから大丈夫! お客様を安全に目的地までお運びいたします!」という事で、人間の弱さを曝け出している(悪い意味ではない)アドだなあ、と思った。眠眠打破という、一瞬ふざけているのかと思ってしまうネーミングの商品である事が気にかかるが、レッドブルモンスターエナジーを飲んでギンギンにキマり猛スピードでデッドヒートチェイスを繰り広げられるよりはよっぽどいいかもしれない。「そこの角を右」とか言っている暇はないだろう。2点間の最短距離は、その2点を結ぶ直線である事は、みんな知っている。後は、その線分を引く勇気だけなのだ。キャベツの味噌汁なる変わり種メニューに面白い気分になっていたら、最後になって、汁の底から鯖身の塊が姿を現した。味噌汁のくせにやけにしょっぱいなと思っていたが、それに加えてこれほどまでの伏兵が隠れているとは思わなかった。これは魚介だしとでも言えば良いのだろうか? ずっと言いたかった事を言いながら食べたのだが、そのせいでずっとお腹が痛い。昔、言いたかった事を言った時には、地に足がつかない心地になってずっとぐるぐるしていたのに。受け止める足腰が、しょぼくなってきただけかもしれない。私はどうしても、欲しいものが欲しいのは手に入るまで、一番欲しいのは手に入るその直前までだと思ってしまうから、それ以降に熱量を持ち越せない。バナナみたいに、悪くならないうちに食べてしまえればよいのに。

カクテキ

キムチを買った。キムチを買うのに、大変な勇気を要した。理由は、「キムチを買うのは自炊をしなさそうな独身男性」という私のとても個人的な偏見が邪魔をしていたからである。理由は特にないが、実例は一つしか知らないが、なんとなく、料理に対して腰が重い人が、キムチでご飯を食べているのではないかという妄想があるのだ。今でもある。ご飯のお供に、納豆やらふりかけやらを採用したものの、変化がないと色んな感覚が死滅していくので(今日は11月のどこかだと思っていた)、起伏をつけなければいけない。体型はずんどうつるぺたでよいが、生活はある程度ボンキュッボンでなければならない。坂道を下るのは、危ないが楽しいからだ。勝手に身体を運ばれているという高揚感、身体的な浮遊感などなどが、坂道自転車猛スピード急降下という娯楽を生む。私は怖がりで、いつもブレーキで制動しながらなのでとんでもない事にはならないが(角から突然出てきた車に轢かれたり角から突然出てきた人間を轢いたりという事態を考えると自然にブレーキに掛ける手も締まるというものだ)、あの行為は、位置エネルギーの一方的な搾取という気分になれて、端的に言ってとても気持ちが良い。真冬の高台を滑り降りると一瞬で凍えるが、それはまた別の話である。環境要因だとか、うるさい事は今は考えなくていい。キムチを買ったのだ。刺激的なものが欲しかったのである。そうは言いつつも、朝ご飯にキムチを引っ張り出してきた私は、ご飯に卵を割り、キムチを乗せ、韓国海苔を千切って掻き混ぜた正体不明のメニューを食べた。卵でまろやかになる。もともとのキムチも、それほど辛くなかった。王様カレー甘口くらいなものだった。韓国海苔は、両者の狭間で油により存在感を叫んでいた。ゴマ油とか、醤油三滴とか、少し手間を加えればよくなりそうな気がする。焼肉屋に行けば答えが見つかりそうな気配が濃厚ではあるが、焼肉屋に行く金も機会も気力もない。焼肉屋って、どうにも総じてハードルが高い気がして、もっとドン・キホーテみたいなハードルの低さを湛えた店舗がないものかと思う。食べ放題とかの店でも焼肉はできるが、寿司や唐揚げ、スパゲッティを間に挟みながら焼肉したいわけではない。肉のみが存在を許された鉄板を前にして、ひたすらにもしもし焼肉を食べたい。食事の上空を飛び交う言葉は少なに、焼肉という現象にどっぷりと浸りたい。あぁ、だから、私は。

貝木泥舟と焼肉に行きたいのだろう。

もしやシチューは味わうものではなく喉越しを味わうものなのでは。

どん兵衛の坦々うどんというのがあったので、食べてみたら、「あぁ、坦々……坦々ね、坦々、分かる分かる」という感じだった。ラー油(坦々に浮かんでいる赤い油はラー油でいいのだろうか? 分からないので血油と呼ぶ事にする)もあるし、かやくとしてゴマがあるし、茶色い部分(あれは味噌なのか、それともゴマベースの何かなのか。不明だ)もある。坦々だ。坦々の必要条件は満たしていると思う。謎肉みたいなものも入っていたし、まあ坦々麺の中華麺をうどんにすり替えたものだと思えば、納得できなくもない。ただ、もう一歩二歩三歩足りないような気がしてしまうのはなぜだろう。坦々の名を冠するくせに、それほど辛くなかった、いやさ全く辛くなかったからかもしれない。全然辛くない。ふりかけののりたまに入っているあんこくらいの存在感である。美味しくないわけではないので、食べてみてもよいとは思う。特に光るものがあるわけではないが。中庸を地で行く商品だ。昨日も今日も晩飯にシチューうどんを採用してみた。ルーというのは、一度開封するとできるだけ早く使い切らなければならないという制約が発生するため、自炊生活における短期的メンヘラみたいな存在だ。1週間くらいなら、忘れていてもそんなに害はない。2週間は放置した事がない。どうなるのか興味はある。ともかく、今回はそのルーがいただけなくて、濃厚シチューだのラクレットだの謳ってはいるのだけれど、根本的に「味が薄い」。薄い。昨日は1個投入して水のようだったので今日は2個投与したのだが、味のついた水みたいになっただけであまり変わらない。そのくせ、水分の粘度は上がるため、鍋底に焦げ付かないようこまめにかきませなければ色が汚くなる。あまりよい買い物ではなかったかもしれない。チーズ入りのシチューは美味しそうだと思ったのだけれど。美味しいシチューうどんを食べるという欲求が捨てきれないため、どこかの創作料理屋に頑張って欲しい。西友に行くと、ちょうど入り口にある「お客様の声コーナー」に、「精肉が臭い。腐ってんじゃないの? 品質管理ちゃんとして」(大意)という投書がしてあった。これには完全に同意する。国産の肉はまだマシだが、ブラジル産鶏ももコマ切れは臭い。イギリスのスーパーで売っている鶏ももと同じくらい臭い。というか、精肉全般が美味しくない。スーパーオオゼキにどこでもドアしたい。みなさまのお墨付きとかいう訳の分からんプライベートブランドを開拓する暇があったら、まともな肉の仕入れ先を見つける事に尽力して欲しい。ほんとうに。

「じゃあ何歳に見えるんですか!」って聞いとけば参考になったかもしれない。

とらのあなで、コミックLOといちはやの『妹は天才』を買おうとしたら、「こちら成人向け商材が含まれていますので、何か年齢確認ができるもののご提示をお願いします」と言われた。エロ本を買おうとしたら、年齢確認された。エロ本を買おうとしたら、年齢確認されたんですけど? 今回の店舗では初めてである。秋葉原店では2回くらいされた事がある。こんな、干涸らびた笹かまぼこみたいな雰囲気の人間に未成年感も何もあったものではないと当事者としては思うのだが、そういえば、たまに初対面の人と会話すると、知覚される外観年齢がバラバラである経験が無視できないものとなってくる。高校生には「高校生みたい」と言われ、大学生・大学院生には「大学院生みたい」と言われ、社会人には「いまおいくつ? どこ? 何?」と言われる。そんな事ってあるのか、と思うが、今夏の実体験であるから、仕方がない、現実にあった事例として取り扱う他はないだろう。中学生には見えないが、高校生以上の範囲でばらつきがある、という事のようだ。何も実りがない。今回の店員には、高校生くらい、グレーなラインに見えたという事だろう。さっきまで成人向け同人誌・商業誌コーナーの棚を隈無く見ていた人間がまさかアンダー18であるのではと疑われるとは! 今度からは、もう少しエロ本読みオーラを出せばいいのだろうか。エロ本読みオーラって、どう出せばいいのだろうか。難しい。今月のLOにはきのもと杏が載っているが、相変わらずの髪の毛さらさら感なので、とてもよかった。LOを買う動機の7割くらいを占めている。それは言い過ぎだが、上田裕もやっぱり、これはどこかでコミュニケーションが不全を起こしているのではないかと脳みそを引っ繰り返したくなる頂上ワールドで、匠だった。あそこまで淡々と、あんな模様の風呂敷を畳めるなんてすごい事なのだ。いちはやの同人誌もよかった。これも話のテンポが特有であり、他に求める事ができない。持ち味の間が快い。エロ本を読んで頭がスッキリしたが、これは一時的にドーパミンが分泌されただけで、明日はまたどんより濁った思考に戻るだろうと思う。一緒に葵せきなゲーマーズも買って来たが、これまた綺麗に収束しそうで、同時に次のシリーズも書き始めているのだろうな、とか色々考える。図書館で『ムーミンの哲学』という本を見つけて、面白そうだと、これは絶対偏屈な人が書いたもので面白い、と思ったのだが、文体が肌に合わなくてそうでもない。もう少し読み進めれば違うかもしれない。ネタっぽい見た目に反して、中身はちゃんと哲学している。表象文化論に似ているかもしれない。これから、シチューにうどんを入れる。シチューうどん。美味しそうじゃない?

黄味がかった茶

突発的にイライラしたので、びんちょうまぐろをマヨネーズと醤油でてろてろに炒めた。マヨネーズの脂分が加熱されてどこに行ったのか分からないが、フライパンには最終的にほとんど残らなかったから、玉ねぎとかえのきとかに効率よく吸収されて、胃袋の中に収まったものと見える。一日でレーズントーストを4枚も食べてしまった。パスコのものだったと思うが、いくらおつとめ品ワゴンで最期の時を待っていたとはいえ、あまりにパサパサしてもそもそしていたので、これはひょっとして消費期限すら過ぎているのではないかと包装表示を3回くらい見直した。見直したが、正確にこっきり、買って来た当日の20日という数字は変わらず、要するに何かしらの理由で極めてよく乾燥したというだけの事のようだった。トースターにかけると、なおのこと乾燥が進んだ。レーズントーストと言う割に、レーズンの量をケチっている気がした。というよりも、偏りが大きかったと言う方が正確なのかもしれない。パンにレーズン以外のものが入っている例を、咄嗟には思いつかない。バターロールもあるし、ハムバターロールもあるし、でっかいぶどうパンもあるが、黒い小さい粒以外が練りこまれている例を思いつかない。何かあっただろうか。納豆パンとかは、ないのかな。流石に。シュウマイの上のグリーンピースという、妙にしっくりくるモチーフがある。これを引っ繰り返して、「グリーンピースの上のシュウマイ」として置いておいても、一目では気づかないかもしれない。シュウマイとくればグリーンピースグリーンピースとくればシュウマイという反射が刷り込まれている。グリーンピースの上のシュウマイとすると、地球に迫り来るシュウマイ隕石をグリーンピースが単身受け止めにかかっているような、格が違う相手と張り合っているかのようなスケール感が出るため、蟷螂の斧みたいな感じで使っていきたい。蟷螂は、確か、車輪で引き潰されて死ぬんだったか。外から拍子木らしき音が聞こえてくる。「火のぉ〜用心、(カンカン)」というセットではなく、澄んで重たい夜気に響いているだけなのですごく怪しい。よりにもよって夜中に、どこかの誰かがDIYに乗り出したのではないかと疑ってしまうほどに。この地域では、あのひょろひょろして頼りない、ぷぇ〜、ぷぇ〜、という豆腐屋のラッパの音も聞こえてくることがある。あまりにも薄弱過ぎて、聞いていると不安になる音だ。張り合いのないブーブークッションみたいなのだ。

「この厚化粧が」

でっかい、マグロの血合いを買って来た。でっかい血合いを買ってこようと思ったわけではない。上っ面の方が、切れ端として売り出されている割には綺麗な身・色だったので、これは掘り出し物お買い得だぞと買い物かごに放り込み、家に帰って最上面を覆っていたピュアピュアな身を剥がしたところ、その下一面5センチくらいの厚さが血合いだっただけのことだ。軽い詐欺に遭ったような気持ちになった。完全に、客はこうやって綺麗な身で上を覆っておけば勘違いして買って行くだろうといういやらしい策略にはまってしまった。私は悪くない。悪いのは、鮮魚部の性格が悪いパック詰め担当だ。血合いというのは、加熱すると意外にもまあまあ身がついていて「これならまあ見逃してやらんでもないかな!」と自分を納得させられるようなものもあるのだけれど、今回のものは、鍋の中を覗き込んで見ると、上っ面以外ほぼ真っ黒けだった。煮汁を味見してみると、なかなかの血臭さが潜んでいる。一緒にネギを入れ、醤油とみりんでてろんてろんに煮付けたつもりなのだが、これでもまだその存在輪郭を失わないとは、血合い、恐るべし。ただ、あまりにも血の匂いが残らなければ、イカの内臓とジャガイモの煮物のように、コクみたいなものになることもある。……。イカの内臓とジャガイモを煮物にするのは一般的なのだろうか。実家ではたまに出てくる。美味しいよ。イカ肝とジャガイモのつぶつぶした食感が、内臓のブラックな濃厚さで包み込まれて、すごくご飯が進む味をしているよ。お酒が飲めるなら、肴にすればいいと思うよ。まだ料理の要領をよく分かっていなかった時は、「イカの内臓=コクになる=美味しい」というトンデモ三段論法で加減もせずどかどかぶち込んでいたが、入れすぎると内臓の成分が粉っぽくなり、内臓器官としての臭みが爆発し、アクみたいなもので料理がどろどろになる。見た目も匂いも舌触りもよくないので、イカ内臓を使おうという時には注意されたし。ちっこいの2つくらいを入れれば十分だ。店頭でS&Bのシチュー・カレールーを品定めしていると、パッケージの感じが全く変わっている事に気がついた。感じというか、実体が変わっていた。なんと、パッケージの8角が(四隅が天・地の2面あるため)丸くなっていたのだ! どこにも尖ったところがない。お菓子の源氏パイくらい、どこにも尖ったところがない。つるんつるんした、すごくニュートラルなプロダクトになっていた。手に持って見ているだけでも面白かった。丸〜い。では、血合いが煮上がったので、うどんと一緒に食べる。

ワカメと玉ねぎの酢の物

数日前に見た「指名認印」は誤字ではないかという話だが、今日ふと目に留まったのでよく見ると「特名認印」の間違いだった。私の目が節穴だったという事である。普段ぷにあなばっかり見ているからだろうか。家から駅に至るまでの道中、両脇の建物に押し潰されそうな立地の弁当屋がある。赤字に白で「お弁当」と染め抜かれているだけの至ってシンプルな幟しか出ておらず、意識しなければ視野に入った事を認識できないような、ミニでプチなお弁当屋だ。個人的にチェーンより個人経営の弁当屋が好きなので、存在を認識した時から(ハリー・ポッターのダイアゴン横丁への入り口みたいだが)行ってみたい行ってみたいと思っていた。昨日、帰宅の時間が遅くなり、さらに翌日の用を消化しておきたかったので、晩御飯を作る時間もスーパーに買い出しに行く時間も惜しく、これ幸いいい機会とばかりにその弁当屋に行ってみた。店頭に立つと、想像より2割くらいしょぼい。ちんまりしている。成人男性2人分の肩幅程度しかない。便所の個室くらいのスペースに、おばちゃんが座っている。ショーケースは、看板が完全に色褪せた個人精肉店にあるもののようだ。ただ、売られている弁当の価格に驚いた。詳細な数字は伏せるが、300円台半ばである。……! 側で売られているおかずは200円を超えない。……! 昨日はパクチーの乗ったよく分からん鶏肉ご飯と、豚のおろしポン酢唐揚げ、今日は油淋鶏と、鮭のクリームコロッケを買ってきた。両日とも、500円を少しはみ出す程度だ。すごい。まずいラーメン1杯が食べられる値段だ。値段が故に味はどんなもんじゃらほいと心配になりそうになったが、店番で立っているおばちゃんからいい人オーラが出ていたのと、私が会計中にもう一人のおばちゃんがどでかいクリアボックスに追加在庫をどこからか持ってきたのを目の当たりにしたのとで、これは大丈夫であろうという結論に至った。恐るべくは、毎回袋の中にお店の「通信」が入れられる事で、そこらのクソ情報サイトよりまともなことが書いてあったので、完全に信用した。食育過激派は対処がとてもめんどくさいが、ゆるゆる食育派は美味しい。帰ってレンチンして食べると、美味しかった。ぜんぶをぜんぶ人の手で作った味がした。今日の油淋鶏に入っていた切り干し大根がその極みだ。おばあちゃん家で出てくる味だ。ワカメと玉ねぎの酢の物が予想以上にめちゃくちゃ美味しかった。近所に素晴らしい弁当屋がある事が分かった。今後とも贔屓にさせていただこう。全おばちゃんをコンプリートするまで。

降参するなら手を

2、3日の間に、人間レベルがかなり下がった。人間レベルというのは、大した定義も与えず適当に使っているテクニカル未満のタームである。疲れた時に「ん"ぁ"ぁ"っ」と口にするのと大差がない。日が変わる前にお布団に潜り込めるようには回復していきたい。主菜がまともに存在する食事をするように持ち直してきたからだろうか……。グラノーラを食っていた時よりは身体に重みがあるように感じるが、グラノーラを食っていた時は、ストイックな軽さで身体が満たされていたような感覚もあった。デオキシスデフェンスフォルムスピードフォルムではないが、食生活って「ダイレクトな間接的に」影響をもたらしてくるものなのであるなあと思う。どっかのメーカーは、一時期の企業コピーが「あなたは、あなたが食べたものでできている」みたいなものだったけれど、あれは嘘ではない。確かに食べたものでできているが、その工程ラインには精神というこれまた別の厄介な厄介が鎮座ましましている事を忘れてはならない。今日、ふと眠りの淵に足を取られた時、いやに鮮明な、あるいは生々しい、手触りをこれまでの経験に従って再構築したような浅い夢を見た。内容は語るに及ばないが、ある意味現状を綺麗にパッケージングしたような夢だった。ある個人商店の店頭に、「頑丈な手提げ」というアイテムが販売されているのを見た。金にして約2000円也。頑丈そうなのは分かるが、見た目がむず痒くてたたらを踏むほどにダサいし、まだ小学校の家庭科の時間でミシンにかけたナップザックの方がよほど格好いい。そもそも商品札に「頑丈な手提げ」と表記されているのが物凄い。そんなRPGに出てくる武器みたいなセンスがあろうか。いや、手提げという名詞をこそ取り上げた方がいいのかもしれない。以前ポシェットはおそらく死語で、ほぼほぼポーチに取って代わられてしまったのだろうと考えた事があるが、手提げもなかなか厳しい立場に立たされていると、私は思う。小学校を上がると、もう使う機会はない、と言ってしまってもいいだろう。エコバッグとはいうが、エコ手提げとは言わない。上位カテゴリーであるところのバッグに、手提げは吸収合併M&Aされつつある。私は中学校まで手提げ袋を使っていたが、女性が「メインの中バッグ+ちんまり小バッグ」みたいな装備をしているところを見ると、手提げは本来とても中途半端なサイズ感に位置していたのかもな、と思わされる。何を入れていたのだか、よく思い出せない。

out of date

近所に「古き良き」と形容するに全くの躊躇いを覚えない、個人経営感100パーセントの文房具屋がある。店先に「当店オススメの電卓!!!」という時代感覚がバグっている商品が掲げてあるのが本当に面白い。980円の電卓を、結構変な場所にあるもっさりした文具屋で買おうという気が起きるその瞬間に、あの店は寄り添ってくれる。メーカー別にオススメもしているが、日に当たりパッケージがゆるゆると退色しているのも大変風情がある。ものすごくいいと思う。買い物をした事はないが。京王井の頭線高井戸駅を出てスーパーオオゼキの方向へ向かう道すがらにも、同じような雰囲気の個人文具屋が存在する。絶妙に買う気の起きないファイルと、学園祭的なイベントのたびにまとまった需要が生まれるマッキーの多色入りパッケージが特売されていて、見ているとものすごくむずむずした心地になる塩梅のラインナップだ。で、私のお家の近所にある方の文具屋なのだが、ステーショナリー系の店には必ずあるあれ、「オーソドックスな苗字のハンコ全部入ってるボックス」もちゃんとある。1万ともう少しあるらしい。あのハンコ、年間で何本売れて、一番売れている苗字は何なのかなどちまちま気になる事はあるけれど、そのボックスの横に、「指名認印おつくりします」という張り紙が追加されていた。なるほど、確かに、三文判では受け付けられない場面も相当数世の中にはあるし、「大体の苗字収納ボックス」に入っていない苗字だって少なからずあるだろう。私のだって、注文しないと絶対にない。その優しさはふんわりと受け止めるとして、「指名か〜、指名か〜、指名って書いちゃったのか〜」と思わざるを得ない。おそらく、正しくは、「氏名認印おつくりします」だろう。十中八九そうだろう。法的なコンテクストでは指名認印が正しいんですと言われたらはいそうですかと沈黙する他ないけれど、多分氏名の方で正解だと思う。ハンコに彫られた文字は、名前の主であることの証明であるから、そこは間違えないで欲しかったな〜、う〜ん。業者から配布される宣材なのか、カラー印刷なうえフォントもまともだったので、どうしてそうなったのかが大変気がかりだ。そういえば、先日、ちょいとした用事で写真館に行ったのだが、そこのおじちゃんが「写真に文字入れるのどうやんだっけ……?」と自作マニュアルを引っ繰り返していた。「最近はお客さんの方が、字を入れるの上手なんだよ」とも。フォトショップは写真館を不要にしつつあるらしい。そして、その写真館の壁には、千歳飴の袋が3つ、無表情に壁打ちフックでかけられていた。千歳飴って、撮影予約のたびに業者から買い付けるんじゃなく、買い置きなんだな、と知った。

高血圧飼育小屋

今日も人参を銀杏切りにしてしまった。いつも銀杏切りをする。99パーセントを超える確率で銀杏切りする。毎日人参を食べているので、一ヶ月に30銀杏切りポイントを獲得していることになる。人参銀杏切りポイントショップがあったら、一番いい商品と交換できるくらいヘビーローテーションしている。丸亀のうどん券だったらすごい事になっている。それくらい銀杏切りをする。全日本男子銀杏切り技能選手権みたいなものがあったら、地区代表くらいにはなれるのではないかと思ってしまうくらいに無意識で切る。人参を半分に切って、それを軸の正中線で切って、半月型になった正中線で切り、あとはひたすら銀杏型を機械的な包丁さばきで生産する。この円周4分の1の形を、どうしても求めてしまう。他にも短冊切り(野菜炒めっぽい)や細切り(てんぷら粉でまとめて揚げると甘くて美味しい)があるのは重々承知の上で、とりあえずどんな調理方法であっても料理であっても銀杏切りをする。火が通りやすいからとかレス・ザン・一口サイズで食べやすいからとか、いろんな理由をくっつける事はできるのだけれど、一番の理由は「考えなくてもいいから」だと思う。日中頭を使って、晩御飯を作るその20分程度の間だけ、頭を空っぽにしてもいいじゃない、ねえそうじゃない? さあ今夜も銀杏切りだわっしょいという事になるのであろう。トウチジャンという調味料を買ってきたので、味見してみると、舐めて風味が脳に駆け上がった瞬間に、「あっ、これイギリスにいる時にめちゃくちゃ食べたやつだ!!!」と気づいた。黒くて、しょっぱくて、独特の香りがして、よく分からん黒い豆が入っているあれは、トウチジャン(豆鼓醤)という名前だったらしい。いくら李錦記とはいえ、イギリスのスーパー店頭に並ぶ時は商品名が英語表記になるため、まったく気がつかなかった。昆布やらなんやらを使って作る自家製の焼肉のたれがあるのだけれど、あれの味わいにとても似ている。油ぎった旨味、とでも言おうか。かなりパンチの効いた味なので、炒め物やしっかりした肉料理に使うと相当以上の満足感をドーピングできる魅惑の調味料だ。なお、本当に塩味が濃いので、食事の後は味蕾がしばらく役に立たなくなる事には目を瞑らざるを得ない。体に悪いものが美味しいという事は往往にしてあるのだから。さて、今晩御飯を作っているのだけれど、ブラジル産解凍鶏肉に羽が残っていた。こんなんが許されるのはヨーロッパだけだぞ。