他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

いいケツしているのは触るのにであって食べるのにではない

よく晴れた朝9時くらいに、窓の敷居を超えた陽光の中に手を伸ばして洗濯物を干している時、重めにしっとりしている洗濯物が素肌を擦って腕を軽くしていくわけだが、数時間後には気持ちよく、時にはパキパキに乾く事に想いを馳せると、たまには洗濯物になって思いっきり日向の中に放り出されて、ハンガーにしがみつく他ないまま数時間を過ごしたいなと思った。気を散らすものが物干し竿の上には存在せず、洗濯物の身になってしまえばハンガーを曲げて曲芸に励む腕力さえ失われるわけで、血骨身ありとあらゆる身体部位を奪われて風の攫うままにぱたぱたと降参の白旗をはためかせているのも、もしかして気持ちいいのではないかと思うのだ。まだそんな季節ではないが、8月の刺すような直射日光の中で曲げたら折れるのではないかと危惧してしまうほどの硬度で乾き上がるタオルにもなってみたい。畳もうとすると、繊維がみしみしと音を立てる。多分大丈夫だと思っても、使い慣れたタオルが殉職する可能性で背筋が恍惚としながらみしみしと折ぐ(タオルの職能は拭く事で、ここでは何も拭いていないので殉職ではないかもしれないけれど)。レジャーシートを持ち出して、日向ぼっこに時間を溶かすにはうってつけの季節かもしれない。言うだけで行かないのだが。ここで行動を牽引してくれる外的要因が欲しくなり、いないので意欲が沈潜してしまう。日向ぼっこしてえなぁ……。数日前に買ってきたぼんじり2㎏を一晩室温に置き、冷蔵庫の中に移送して解答に成功した。人の頭を殴り飛ばせそうなほど堅固盤石な肉板だったが、ふやかしてしまえばただの肉の塊である。生肉の塊で殴りつけられるのも、衛生的に精神衛生的に嫌だが、殺傷能力の面では確実に退化を享受した。食べ物の本分である、食べられるというフェーズに移行したのだ。キノコや何やらのサブ野菜を買ってくるのを忘れたので、玉ねぎと人参を炒めたものに相席させる事にしたのだが、でかい袋からちまちま一欠けずつ菜箸で取り出してフライパンに放り投げている時、恐ろしい真実を認識し損ねていた事に気が付いた。ちょっとここでお尻に手を置いて考えて欲しいのだが、それが無理ならエロ漫画のお尻を思い出して考えて欲しいのだが、ぼんじりとは鶏のケツの事である。可愛いぷりっぷりヒップをちょん切った部位なのである。で、自分のお尻をもみもみしてみると直ちに直感されるのだが、ぼんじりもケツなので、言うまでもなく9割くらいが脂脂肪エトセトラエトセトラそんな成分で満ち満ちてみっちみちだった。一口かじるごとに、脂の味わいしかしない。豚トロが豚のトロなら、ぼんじりは鶏のトロである。噛み付いて、流しに迸る脂の軌跡が美しく見えた。こんなものがあと2㎏も残っていると考えているだけで、胸が山火事になったように焼けてくる。

白カビの生えたキノコの手触りは何物にも変えがたい

思い返すと、外にも出たし知っている人にも会ったはずなのだが、一切の会話をしなかった。彼我共に、私が大してしゃべくる人間ではないという事を諒解している。しゃべくらないわけではなくて、場が整備されていれば不要な事から不躾な事まで幅広く様々自分の取り扱える話題だけをてんこ盛り可大食い食堂の白飯くらいよそって提供しまくるのだが、それはやっぱりどちらも分かっているわけで、ではつまり今日のムーブは至って正常だった事になり、しかし会っておきながら挨拶のあの字もないとは、やはり素行が問題なのではないかと思ったが、眠いというか頭が空っぽで仕方がないのでやめる。昨日つけた、じゃないや食べたつけ麺は、鯖ベースで魚介スープでわりかし美味しかった方なのだが、つけダレの味が不思議な存在感で、口に入れた瞬間しか味と風味がしなくて、それ以降はカーテンコールを待たずしてどこかへ退場して二度と戻ってこない奇天烈な仕様だった。そのくせ、完食後につけダレを飲もうとすると脂と濃厚さで光って喉につっかかり、よく見ると、豚の背脂みたいなものが浮いていて、これでどうして味がしないのか分からないプロパティだったが、喉越しはやたらしっかりしていた。麺はうどんみたいだった。普通のうどんを、稲庭うどんとは別のベクトルに同じくらい硬く太く変身させたような麺だった。並・大・特のスリーサイズから選べて、並はたかが知れているし、特は店によっては喧嘩上等な盛り方で攻め立ててくる場合もあるので(この間食べた油そばの店がそうだった)、大盛りが最適解かと思って大盛りにしたら予想の1.3倍かそれ以上、つまり一般的認識の特盛くらいが出てきて、やはり初めて行った店でボリューミーなボリュームを注文するものではないなと個人的人生訓を新たにした。店員がめたくそ無愛想だったのだが、いくら連休中とはいえ彼は大丈夫だろうか。で、このつけ麺は家に帰る前、何かちょっとお腹に入れてから帰ろうかなと思って寄った末の帰結だったわけだが、最近はこの行動のせいでうっかりお腹いっぱいになり晩御飯を抜く=一日2食弱という事態が頻発していたので、ではこの衝動を逆手に取り早めに帰って早めの晩御飯を食べればいいじゃないかと素晴らしいひらめきを遅まきながら得たので、今日はまっすぐ帰って自炊した。マヨネーズを入れると全てがマヨネーズの味に染まるので、色こそ白だが色で言うと黒みたいな食べ物だなと使うたびに思う。

自発トリガーがなければ元以上を取ろうという気が起きない

何かを食べる時は、最初の5口目くらい、それがどんな味なのか把握したり思い出したりする過程が一番楽しくて、それ以降は絶対に最大値に辿り着かない、数学IIIでやったlim→∞みたいな絶対に越えられない壁を通り過ぎた後は、継続する同一の信号に対して神経がゆっくりと鈍磨していく消化試合となる(少なくとも私はそう思う)。翻って、何かしらのアクティビティとか趣味は、始めたてほやほやで曇りがない鍋の蓋みたいな、まっさらの右と左が分からないような状態を乗り越えて、何ができて何ができなくて何をやれば何ができるようになるのかを自分の肌感覚で朧げながら掴めるようになったくらいが楽しくて、以降は気の持ちようで延々と楽しさが鰻登りになり続けたり停滞してx=1みたいなグラフを描いたりするのだが、あまりに遅きに失した感があるので自覚がなかったのだが、10のうち8も終わった昨日くらいから何をしようかと具体的な案の「水気が飛び始め」お汁もあったまったかなと思った矢先に閉園の札がかけられ遊園地から蹴り出された。確かスペースワールドに真っ暗な中を爆速で進む楽しいジェットコースターがあるのだが、あれと同じで、自分では全く進度進捗を把握できないので、まあゆっくり見物したろと遊山目的で山を登っている間にタイムオーバーになって暗闇が晴れインストラクターのお疲れ様でしたーが降ってくるあれにめちゃくちゃ似ていて、要するに、まあ入園料もタダなのだから損得云々言っても仕方ないのだけれど、お土産も思い出もないままにアミューズメントパークを後にする事になり、自己嫌悪ではなく、もうただひたすら「あーあ」の声しか出てこない。しばらく、他人の思い出トークや抱えたぬいぐるみや頭につけたカチューシャを認識しないように努めなければいけない。安い油で揚げられた業務用スーパーで死ぬほど売っているチュロスの一本くらいは食べたかもしれないが、みろくの里のCMでごり押しされる楽しいエンタメレジャーのひとかけさえも口に入れて賞味しなかった事を考えると、叙々苑の食べ放題に行ったのにサラダのコーンだけ食べて帰ってくる愚行を犯したような気もして、しかしまともな飯を(今日も)食い損ね続けた連日の欠陥を一身というか一部位に引き受けてくれた胃袋が焼肉パーティーのカロリーに耐え切れるとも思えず、そういえば牛角に行った時にそれが何かをクッパを注文したら何かのスープが出てきた事があって、スープなら食べられるかもしれない、と胸を撫で下している自分がいるが、全て例えばと空想の話なのであって、机上で虚ろになっている間に暦に置いてけぼりにされてしまった。

年月の一番の指標は堆積した埃の嵩

思い返すと一週間余りに渡ってまともなものを口にしていないので、最近顔の濡れたアンパンマンよろしく力が出ないよ〜と思っていたのはどうやらそのせいだと了解された。家庭的なトラウマにより、ご飯だけはきちんと食べなければいけないと自戒しているのだが、MP(メンタルポイント、基本的に減点方式)が著しく低下すると生き物として積極的に振舞おうという意思意欲が劇的に損なわれるので、知能を持つ動物らしいプライドがフライパンの上にぶちまけられたラードよろしく溶解していった結果、あとには何も残らなかった。顕微鏡レベルで覗き込めば何か違うかもしれないが、道を歩いていると太陽に光がきつくて目がばっしばしになるほど視力が滝落としになりつつあるのでそんな事をしたら目が潰れる。結局、つまるところ、いや詰まりさえしていなくて、水の流れない流しは汚れないのだから、水を流す事さえなく長大な流しそうめん装置が撤去されつつあるのを指を咥えてぽけーと眺めていただけで、本格的に能力とか色んなものが衰退している。求心力を失ったコアが、欲求とかに次々見放されていっているのを傍観している気分で、いよいよコアと傍観者の分離さえ近いかもしれなくて、カツ丼にたまに乗っているミツバくらいの重みしか持たなくなるかもしれない。そうなったら、そうなったら……。特にないな。墓石の碑文でどうにかふざけようとして残りを食いつなぐかもしれない。何を考えているのかもよく分からなくなってきた。さっき、カップのゼリーを食べた。食後の舌にびりびりした不快感が残るところ、さすが安物のゼリーといった感じであって、不自然なまでのパイナップルのパイナップルらしさとか、下の上くらいのクオリティが胸を撫で下してくれる事もあるのもまた事実で、それで撫で下ろされるのをあまりよろしくないのではないかと思えるほど心の基本MPが潤沢ではない。仲のよいまっこと僅少な友人から近況報告のメールが来て、前会った時につらつら教えてくれた色んな事から考えて、そうかそういう道を採るのだねという内容で、私の方からも気の利いたひとつやふたつ、明るい内容のみっつやよっつ送り返せればよいのだけれど、頭を巡らせてもハートウォーミングな報告は一つも見当たらず、一番最初に思い起こされたのが2年前くらいに見た鳩の死骸の事だった。一週間以内にお返しできるようMPを振り絞っていきたいが、冷や汗さえ出ないくらいに心が枯れてきたから、大丈夫だろうかと脂汗が滲んでくる。

欠けた価値に救われる事がある

記憶の連続が断絶していて、数日前の記憶がぶっ壊れたハードディスクと同じくらい読み込めなくて、そんななので日を経た感覚もなく、カレンダーを見るのさえ疲れるので、見ないままずるずる寝て起きて食って寝るくらいの杜撰で低品質な生活をしていたところ、5月が一面にばーんと出たまともな紙のカレンダーを見てしまって、月が変わったのは知っていたがそれにしてもしかしもう、そうか、こんなに無為無策で霞に溶かしたのかと虚脱感に無為の衣が覆いかぶさったが、あーあくらいの感想くらいしかなく、おそらく残りの燃料もアイドリングさえする事なしに容器の蓋を閉め忘れてこぼれたり揮発したりして何にもならずに終わりそうな気がするし気がするという事は恐らくそういう事なので、これまた先回りであーあと思って虚脱感に無為のと生産性のないループが時空のねじれたジェットコースターのフープ部分みたいに続いていて変に自覚があるだけにより一層もたらされるものがないという結果がもたらされるのが無為だ。夕方頃、しきりに雷がどんがらぴっしゃんしていた時間帯はあったものの、それ以外は少し暑いかと思われる程度で、概ね平和な気候だった。ただし、精神の状態としてそのまま写しとりたい天気ではない。寝付きが持ち直したかと思ったらまた悪くなって、眠れない時の頭の重さはまさに死罪の刑量であり、目的地を知らないのに重くて運びづらい荷物を任された時のあの時の気持ちに似ているような気がする。寝付きが良くて寝起きが良いのをピン札の一万円札だとすれば、寝付きが悪くて寝起きが悪いのは緑色のカビみたいなのが生えたきったない一円玉である。私は後者の一円玉の方だ。硬貨を投げ入れれば願いが叶うかもしれないらしいとの覚えあらたかな泉に投げ込まれる、あるいは厄介払いされる程度の重みしかない。言葉の原義を放り出して言うならば、睡眠に関してはピンピンコロリしたい。岩波文庫アリストファネス「蜂」を読んでいると、ある註に「中指を立てるとなぜ下品な意味になるのか」が解説されてあった。中指を立てるとあまりよろしくない意味のジェスチャアになるのは知っていたが、なぜなのかそういえばさっぱり知らなかったのだけれど、どうやら「立てた中指=陰茎、中指以外の手=陰嚢等その他シモの部分」と理解して、中指を立てると手が男性器の形まるままになるかららしかった。私の手では金玉部分が大変大きくなり絶倫になってしまうが、いざそれを知ってからやってみるとなるほどと合点がいく。両手がおちんちんマペットだとは知らなかった。

メニュー名でさえこれなのだから子供の名前とかはなおさらに

最近めちゃくちゃに部屋が暗くて、カーテンレールに沿って洗濯物を干しているから日光が遮断されているからかしら、しかしそれにしても暗すぎないかと思って電灯のリモコンから「明」の指令を発すると、照らされ慣れたルクスが返って来た。手が触れた自覚はなかったが、どこかで暗くなっていたらしい。手元の文庫本を読むのさえ不自由に感じるほどだったから、そしてそれを意識的に電灯の強度に結びつけるのにこれほどまでの時間がかかったのだから、目が本格的に終わりかけているような気がする。変な時間に、腹がマクドナルドを寄越せと喚いてきたので、さすがに外気を一日一度は浴びるようにしないと本格的に腐った餅みたいになるという危機感もあり、のろのろと街中の方へ出て行く途中、コンビニから出てきた人間の会話の切れ端が耳に入り、「彼女との割り勘……」云々と言っているようだった。世の中に、発した事のない言葉なんてごまんとあると思うしあるに違いないしないとおかしいと思うくらいに世の中は広いにしても、まだ彼女との割り勘とは言った事がなかった。構成要素前者の概念にまだ一切の馴染みがない故に。それが言った事のない言葉である、という意識が、どういうわけだか強烈に呼び起こされたため、一応書き記しておくが、そうか……。彼女との割り勘か……。年功序列に沿った累進比重支払は幾度も経験しているが、割り勘か……。各自の料金は自分で出し、それを取りまとめた後女友達にレジで払ってもらう事によって店員に変な気を起こさせるのはやった事あるが、割り勘はない。割り勘できるほど金がない。実態のないスルメを噛むのはやめる。マックに着いて、ビッグマックとベーコンポテトを食べた。メニューには「ベーコンポテトパイセン」とあるが、パイセンまで言うのは恥ずかしいのでベーコンポテトとしか伝えなかったし、なんなら注文を繰り返す店員もベーコンポテトとしか言っていなかった。ツイッターでのプロモーションも見た記憶があるが、色々な不祥事を経た末に転生したマクドナルドは、あやしい情報商材の勧誘動画と似通ったテンションの広報をするようになったから、現場の支持というものはひょっとして得られていないのではないだろうか。メニュー名はアレだが、グラタンを食べた時に皿の端にこびりついて残っている、水分が蒸発して塩分の濃縮されたあの部分がずっと続くみたいな味がして悪くなかった。マックの肉は美味しくないと自覚し始めているため、雰囲気を食べに行っているようなところがあり、もしかしてスタバやなんやに行く人間もこんな感じなのだろうか。

墓穴を掘る時にお前の方は墓穴を覗いていないのか

ネカフェの看板に、「三種類のソフトクリームが充実!」みたいな惹句が書いてあって、確か岡山県錦帯橋に百種類以上に及ぶイロモノフレーバーを取り揃えたソフトクリーム屋があるのだが(にんにく味だけは注文しないように、絶対。約束だ)、さすがにその店の足元に遥か及ばないにしてもまあ三種類なら頑張った方じゃないかと思ってではそのトリプルブッキング、内実を見せてもらおうじゃないかと観察してみると、「バニラ」「チョコ」「ミックス(バニラ&チョコ)」であり、いや、それは二種類なんじゃないかと思った。2つや3つ同時に舐めると味が変わるファニーな飴玉がいくつか市場に出回っているが、しかしそれとも違うような気がする。あれは味が「変わる」のであって、基本の味数種類しか数値として記載していない。一応、それらの組み合わせを求めた何桁かの数字が載ってはいるが、いちごメロンぶどうオレンジなど、独立独歩のものだけを立てている。翻ってこの看板はと言えば、なんとも厚かましい事に、基数とそれから派生しうる数を合算して嵩増しの上サバを読んでいる。どう受け止めればいいのか、どんな反応をすればいいのか、分からずに味の変わらない疑問ガムを噛む事となった。天候が情緒不安定だ。晴れているから洗濯物を外に出したら、2時間しないうちに降り出し、また晴れ間が覗いたかと思えばしとどに降りつのったりして、情緒が、情緒がもう、と言いながら歩いていた。一日に2度も折り畳み傘を折り畳むなど、行動値の無駄である。安心して行楽できるように落ち着けー、落ち着けーと思いはするものの、天災はどうしようもないがゆえの天災なので、てるてる坊主のひとつやふたつを作る事くらいでしか気休めができない。電車内の吊り広告で、「セルフコンシャスな人は……」という文言を発見し、頭が痛くなった。少し前に、「コンフォートゾーンから抜け出すために……」みたいなヘッドラインも読んでいた。戦時中の横文字統制ではないのだから、セーフ=よし、アウト=だめ、みたいなつまづきかけの訳語を強制するわけではないし、ゼルダの伝説のトワイライトソードを漢字でかっこよく書きたいわけでもないのだけれど、ライティングにはほとほと腹に据えかねる諸々があって、いくら摂取に励むと言っても、そこには咀嚼と運動が必要なのではないかと思うのだ。噛まずに飲み込んだものから栄養をフルに摂取するのは難しく、食ったものそのままを皿に乗せてさあ食えと言われても、じゃあお前の料理なんか必要なくて、じゃあお前なんかいらないじゃないかという事になる。血でも肉でもなく、それは涎で胃液で腸液なのであって、極レアの肉を食べ続けていたらいつか必ず腹を壊すと思うのだが。

脂肩脂、チー油チキンブイブイ

早く起きたうれぴー、とかいう感情の前に、昨日の夜、晩御飯を食べた後に「なんかスペシャルっぽい事やっとくか」と思い立ちドミノピザで買ってきて食ったピザが依然胃の中でゴロゴロしていて気持ち悪かったので最悪だった。何かあると無茶な量のピザを食べ始めようとする悪癖を改めたいのだが、Mサイズ2枚買おうとしたのをいや、ここは様子見で1枚に抑えておこう、残して部屋に置いておくと寝る間ずっとピザの匂いを嗅ぎながら就寝する事になるしと踏み留まるまでに成長したのでよしとしたい。朝ごはんを食べてから猛烈にお腹が痛くなったのでトイレに駆け込んだはいいものの、ピザの不摂生ポイントが非常に高く全然出てこない上に、何のピザを食べたかというとスパイシーといういっぱいのサラミにいっぱいのハラペーニョが乗ったやつだったので、蒙古タンメン中本北極を汁完した翌日ほどではないにしてもデリケートな粘液が可哀想にえげつない喧嘩を売られているのを感じ、あー痛い昨日の俺のバカバカバカバカと思いながらしばらく格闘した。全然お腹の中がクリーンアップされなかったので負けである。下血したし。しばらく机にかじりついてから用事を済ませ、さて秋葉原にエロ本買いに行こっかな!(連休最大のイベントがこれなのでもう山場はない)と玄関のドアを開けると、しとしととぱらついていた。空に向かって、お前〜〜〜せっかく出掛けようと思い立ったのにお前〜〜〜出鼻挫くなよお前〜〜〜と言いながら出発した。雨は本当に嫌いである。濡れない程度の、霧吹きみたいな可愛らしいものなら目に入れても痛くないし目に入っても痛くも痒くもないから構わないのだが、衣服にじわじわ染み込んで時間経過とともに不快指数が尻上がりの傾向を示すそれ以上のレヴェルになると途端に許せなくなる。何を持つわけでもないのだが、両手がフリーじゃないと嫌なので、雨が降るすなわち傘を差さなければならないこれつまり片手が塞がるという事で、雨この野郎と思いながら駅に向かった。晴天ならば人口密度が4倍になるだろうところ、傘の領空概念により人と人との距離が広がるため、歩きやすいは歩きやすいが、傘という凶器を振り回している状況な分晴れの日よりも公道で行動する難易度は上がっている。秋葉原に着いて、人がいっぱいいてすげえなと思って、特に観光客っぽいのが多かった。成年コーナーにいる時の、情報量過多で脳味噌が活動をやめるあの感覚が身体を貫いている時は、生きているような気がする。

変に欲を出す方が生き物らしくてよろしい

午後のどこか2時間くらいを割いて目的地を決めず彷徨しようと思っていたのに、目覚めしな雨の音がしていたのでしょんぼりした。貝割れ大根の発育を見る自由研究で、どうなるのかと興味を抱いて最後に日光に当ててみた覚えがあって、しかしその結果が微塵も記憶野に残っていないのだが、黄色くへにょへにょしなしなになったんじゃなかったかとの推測が頭の中で有力なので、それくらい意気消沈というのか、萎縮した。5円で買える風船ガムくらいの耐久力しかこちらにはないのだから、気候には繊細に丁寧に扱ってほしい。外出できないとなると、時代と科学はまだどこでもドア的なそれを生み出していないので、家の中に籠るしかなくなり、しかしてそれはいつも死ぬほど腐る程やっている事なので別段やるべき事やりたい事の輪郭が隣り合って相互に溶け合い、換気すると寒いので締め切った部屋の中で淀み充満し、ぽけーっとしていたらやっぱりまた24時間を棒に振っていた。何も考えなくていいのは幸せな事だが、何も考える事がないのは不幸である。いや、何も考えられない脳味噌に注ぐ燃料が分からない。エンコした車と一緒で、押したり引いたりしていれば突如蘇生し動き出す事もあるのだから、できるだけ休日祝日祭日という何もしない名目を与えないでほしいのだけれど、これは発効するとおよそ嫌になるくらい幅広く影響を及ぼすもので、ゆるく流れる傍流に当てられてじゃあやっぱりいいやとsolveした心がresolveしていくのをあーあ仕方ねえなこいつはマジでと思いながら眺めている自分がいて、しかしそいつも不満を壊れたガス栓みたいに垂れ流すだけで修理工を呼んでくれないのだから、どっちもどっちで戦犯なのだ。さっき晩飯を作っていたら、2リットルの醤油がなくなった。買ってきたのが、常識的な考証に照らしてみると確か昨年6月くらいだったから、11ヶ月くらいは流しの下で日も当たらずに黙々と座していた事になる。そんな長期間ほっとかれていると、安い醤油だろうが高い醤油だろうが区別がつかないくらいに風味も飛び、色も生醤油が湛える上品な紫ではなくてどす黒い塩分の塊みたいになって、ただ塩っ気と醤油らしい香りだけが残っていれば、この料理には醤油が入っているとの主観的事実を成立させるブロックになってくれるだけでいい。まだ200mlくらいしか減っていない2リットルのめんつゆやとんかつソースも冷蔵庫の中にあって、近いうちに夢枕に立たれるのではないかとさえ思う。

冷凍庫に2kgのぼんじりが眠っている

色々お金を整理して家賃を払った。休暇中でも銀行のATMだけは開いていてありがたい。こういう事は機械に丸投げしていい。一月に一回くらいしか記帳しないので、たまに猛烈な機械音とともに自分でもよく分からない明細がびっしり印字されて返ってくる。携帯料金は自分でも把握しているが、光熱費とかインターネット代金とか、通帳のどれなのか分かっていない。スーパーの買い出しもカードで払うようになってから、すっかり行方不明になった。近所にいつ終わるのか検討もつかない工事現場があって、大体どこを歩いても工事しているような気がするが、建設現場の防塵幕防音幕には何かしらのスローガンが掲げてある事が多い。安全第一、とか。行動の前に安全確認うんにゃらかんにゃら、とか。そこに掲げてあるのは、そんなありきたりでなまっちろいものではなく、様々な点で私の琴線に響いてきた。書き出すと、当該スローガンは2つあって、「KY危険を予知して安全作業」「絶対出すまい墜落災害」というものだった。通り過ぎてから後悔して立ち戻って、立ち止まってわざわざ携帯でメモしたくらい、絶妙に心をくすぐってくる。まず、ひとつめに含まれる「KY」という略語がよい。空気読めないのアブリヴィエーションに甘んじていた時代を抜け出し、というかほとんど全く使われなくなってこの2文字から意味が漂白された今だからこそ、危険を予知のアクロニムとして採用されている。そこまで頭文字を取ったなら安全作業のAも入れてKYAにしてやればよかったものを、おそらくこのバナーを思いついた人間は、「そういえばKYっていう言葉があったけどこれの略語にしたらおもろいやんけ」と考えたのかどうなのか、でもやっぱりAがないと全体としての座りが悪い気がする。2つめについては、絶対(ai)出すまい(ai)墜落災害(ai)と三回も韻を踏んでいる。さすがに分かってやっているのではないかと思えてくる。これらが結構なサイズででかでかとバナーにしてあるのだから、相当面白いと思ったのだが、これは主観的な事実にとどまるものかもしれない。愉快だと思うのに、残念……。時節柄というのはすごいもので、住宅街を抜けて繁華街や駅方面へ至ると、途端に人が溢れかえっている。携帯ショップの前で客寄せをしていて、おじさんが紫色のバルーンを膨らませて何事かしていたのだが、そのバルーンの紫が絶妙に気持ちの悪い、白みのかかった色で、陵辱ものに出てくる触手みたいだと思った。

大事なのはノリと勢いとそれに伴う自制心

まだ今月の家賃を払っていなくて、サブ口座からメイン口座にお金を移さなければ到底払えたものではない残高なのをすっかり忘れ続けて今日も家を出て5分くらいしてからゆうちょ通帳を持ち出すのを失念した事に気が付いたが、戻るのも面倒だし明日また外出するための動機付けにこの行動を取り置いておく事にした。明日も忘れたら困る。記憶にないだけで新装開店でもリニューアルでもなんでもないのかもしれないが、タピオカドリンクの店に注文の長蛇の列と受取の長蛇の列がヤマタノオロチしていて、しかも列に並んでいるのがナウでヤングな映え女子のみならず小学生の少年とか家族連れだったりするからこのまま日本国民的ドリンクの座へと駆け上っていくのではないかと気が気ではない。美味しい事は認めるが、そこまで殺到して屯(これで「たむろ」と読むらしい、それで駐屯なのかと納得した)するようなものでもないと思うので、やっぱり時流の流れるプールはすごいのかもしれない。外に出た理由は、大穴をこさえた靴下を廃棄したがためにまともに履ける靴下が数少なくなってきたからで、どこかで調達しようと考えたのだ。靴下専門店があったような気がする、と記憶を頼りに辿り着いた場所は似ても似つかぬファンシーグッズ店で、記憶齟齬も甚だしかった。よって、人生で初めてGUに入った。まず入り口で客寄せをしている時点で気後れしたが、素足で靴を履くのはめちゃくちゃに嫌なので生理的嫌悪感が理由なき躊躇に打ち勝ち、入店に成功した。これでいいかなと思える柄の靴下と、面白そうだったのでラウンジウェア、多分部屋着のことを横文字でそう言うのだろう、もひとつ手に取った。女の子が淡いボーダーのパジャマを着ているとエロいという刷り込みがあるので白とグレーのやつにしたが、人が着ている時にエロいものを自分で着るのは絶対に違うと脳味噌が教えてくれたけれど、女装して鏡を見ながらオナニーして自分にぶっかけるプレイもあるらしいし、別にいいのだ。初めて見るタイプのレジで、機械の下側の扉を開けて商品を放り込むと、ものの数秒で中に入っている全ての商品がスキャンされて合計金額が出てきた。バーコードも見えなかったはずなのに、一体どうなっているのだろう。ものすごい近未来感を覚えた。GUにこのテクノロジーが存在する事がすごかった。肉屋に行って、モンハンの片手剣くらいあるチキンレッグを買ってカレーで煮た。大きいのと美味しいのは、別に比例しなかった。

ペットボトル飲料の最後に残る数ミリリットルの恨み

横断歩道は車道に被っているのだから、横断「歩道」と言い切るのは少なからず傲慢で、車道と空間を同じくする点を捨象せず表現するなら車道横断歩道とでも言わなければいけないと思っていたら、いつの間にか信号が変わっていた。それから、カバンに入れておいた新書は往路でやっと読み終わってしまったので、復路の電車に揺られながら頭の中ですけべ妄想をしつつそれを自分の納得がいくように活字に落とし込む努力に励んでいたら、この家に引っ越してきて以来初めて電車を乗り過ごした。目の前で激しい人の入れ替わりがあったはずなのに、頭の中のワードプロセッサが意識を奪い去っていた。初めて降りた駅だったが、別に取り立てるような事はなかった。幾度となく目にしていてよく知っているはずなのに、その事実や法則性に長らく気が付かなかったというケースはままある。今日発見したのは、男子小便器に関する法則だった。法則と言うと大げさだが、記憶がいいように思い出してくれてそれに合致する事例しか思い出さないので法則と言ってしまう。その法則とは、つまり、誰かが隠毛を抜いて小便器の中に捨てると、それに倣って隠毛抜毛が相次ぐという事である。全然全く綺麗な事実じゃなかったので早いところ忘れて寝てしまいたいのだが、そこに法則性らしきものがあったのでこびりついて離れなくなった。心置きなく眠りたい。さすがにもういいだろうと思って、パジャマを長袖スウェットから半袖シャツにぺらぺらのよく分からない素材でできたズボンみたいなやつにチェンジし、これで掛け布団を被っても暑いと思わず寝られるわいと慢心していたのも束の間、起きたら寒かった。雨が降ったからとかもはやそういう次元で話が進んでいるのではなく、イレギュラーがそれなりの頻度で生起しているようにしか思えなくなってきた。ひざ掛けとしてこれまたよく分からない素材の半纏を引きずり出してきたが、こうジェットコースターみたいに天候が揺れられると、身体が強かろうが弱かろうが頭と身体の間のずれに落ち込んで体調を崩しそうだ。10連休とか言われても、土日の使い方をよく自覚しないままずるずる生きてきた身からすれば、何をしてもいい=何をすればいいか分からない期間がとんでもなく長く目の前に横たわっているわけで、しかし何をすべきか分かっていないとこれまた何もせずにだらだらと時が流れていくので、電車の沿線でちらと視界に入り、面白そうだなと感じた事のある店にご飯でも食べに行こうかとせめて思いでもしないと浮かばれない。

粘土質の地面を丸めて雪合戦をすると痛いらしい

歴史を刻んだのだろうなと一瞥して分かる、木彫りの傘立てというか、外套掛けを無理やり傘立て傘掛けに転用したようなそれがあって、水が溜まる場所に緑青みたいな色と様相で黴が生えていた。異常な状態で屋外に放置された百円玉の額面がそんな感じになっているのを見た事があるが、水捌けの悪い木製だとこうなる、そうなるのかと思った。雨が降った日に傘から滴る水と、降り積もる埃とが快くない化学反応を引き起こして、カビの波紋のようだった。業務用スーパーで見かけて、たまには食べたいなと思って買ってきたのが赤かっぱだった。かっぱ漬けというきゅうりの漬物があって、それのちょっと辛いやつである。不味くもないし、はちゃめちゃに美味しいわけでもないし、絶妙に50~60点ゾーンを突いてくる品質が私の好みにそれなりに訴えかけてくるものがあって買った事を後悔しているのではないのだが、さすがにNETkgもある大容量お買い得徳用パックを買ってくる必要は全くなかったなと下唇を噛むくらいの事はしている。持っている一番でかいタッパーに入れようとしてギリギリ入るか入らないかのデッドレースを繰り広げる事になり、正直少しこぼれたので負けを認めざるを得ず、ちょっと考えれば分かる事だと思うのだがきゅうりの断面がさらに萎むとそれはもう大した表面積と体積ではなく、そんなミニマルなマテリアルがみちみちに1kgもあるのだから、ご飯のお供にちまちまつまむくらいでは全然全くこれっぽっちも減らない。砂山をピアノ線で突き崩しているような心地がしてくる。言った通り、不味くはないが狂喜乱舞してバカ食いするほどの食べ物ではないから、しかし一度開封してしまえば風味その他品質の劣化は避けられず。しかも一番容量にゆとりのあるタッパーが占領されてしまったがゆえ台所事情に多少ではあるが支障をきたし、夏休み一夏の思い出みたく俺ん家に突如かっぱが居候することにならねえかなと思ってやまない。もう雨が降らないだろうと高を括って、洗濯物を取り込まずに就寝したところ、起き抜けに暗い色の窓が目に入り、つまるところ昨日の霧雨で湿らされて夜気にやっと乾きかけていた洗濯物が再びずぶになろうとしていた。家の物干し竿は、半身家屋の屋根から乗り出すポジションに位置するので、洗濯物が半分しっとりしていた。しかも、これならいいかと無視できるほどの湿度ではなく、これは生理的に嫌だなと感じてしまう湿り気だったので、衣装ケースの下からチノパンを引きずり出した。久しぶりに履くと、さすがいい値段しただけあってあったかいな。

顔色のカラーパレットを作らないと機微など読めない

さっきおにぎりを食べた。私の握り拳よりもでかいバクダンおにぎりだったので、例えるならパワプロくんやボンバーマンの手足が丸いそれと似たような感じなのだが、食べ進めて少しもしない間に上品な味のツナマヨが出てきたので、ツナマヨが嫌いな人はマヨが嫌いな人かツナが嫌いな人のどちらかしかいなくて私はどちらも好きだから、おっこのでかいおにぎり全部ツナマヨなんやんけめっけもんめっけもんと喜んでいると、じきに鮭の切身みたいなフレークが顔を出してきて、おっなんや山賊むすびだったんけええやないかと喜んだのもつかの間、ツナマヨと鮭という分かりやすいおにぎりの具がたちまち途絶え、よく分からない昆布の類が後に残って、まったく別の方向から食べ進めればよかったと強い自責の念に囚われた。一万円、五千円、千円の順にもらうよりも、千円、五千円、一万円の順でもらった方が嬉しいのだ。総額が同じとかそんな野暮極まりない事は言わず、主観的な感情をここでは優先してほしい。総体から切り離す大きさの並びが順か逆かというだけの話だが、だんだん大きくなった方が、よくない? メールではできるだけ絵文字を使わず、プレーンなテキストを送りつけるように強く厳しく自分に言い聞かせて縛り付けているのだけれど、母に送るメールにおいてだけはそのルールを破り、できるだけ文脈に関係ない絵文字をたまに盛り込むようにしている。今日は「ありがとうございます〜」の後に、左右のハサミを交互に上げ下げするカニの絵文字を文末に添えておいた。かわいかったので、使いたくなったのである。絵文字という文化にさっぱり浸らずに来てしまったが、私がどの絵文字がいいかなと選定している今この時代はスタンプの時代だった。ビジネス用のラインが存在し、上司にさえスタンプを送れるそうである。礼を失しているか失していないかとかそういう問題ではなく、ある程度の階級意識というか身分意識というか、上の人は上の人であって、こちらも引き締まって当たらねばならないとの自覚を持たないと偉い人となんて向かい合っていられないので、目上にスタンプなんて死んでも送れない気がする。気後れする。どうしても、もっと部署みんなで打ち解けたいんだよ〜頼むよ〜みたいな嘆願をされたら、しぶしぶ「伊達巻」のスタンプをどこかから探してきて放り込むだろう。文脈に関係ないものなら、どうすればいいのか彼我共に分からず、要請通りスタンプを送ったという事実だけが残るからだ。もっと考えなしに動けるといいような、そうでないような。

「言うは易く行うは難し」と言うは易く行うは難し

起き抜けに着替えて靴下を履くと、身に覚えのない風通しの良さが踵をよぎった。暖かくなったとはいえ、まさか私の頭が惚けて、靴下を履いたつもりが実は履いてませんでした、というどうしようもない誤認が起こったとは思えなかった。なので、踵を見た。スク水の乳首部分や局部部分だけをハサミで切り取るシチュエーションが広いこの世の中には存在するのだが、それを彷彿とさせるように、踵の「踵」と呼びうる部分に、これ以上なく綺麗に穴が空いていた。数日前にこの靴下を履いた時、やけに左の踵だけぺたぺたするなと思っていたのだが、あにはからんや、普通にぽっかり穴が空いていただけだったのだ。いつから実用し始めたのかさっぱり分からない靴下なので、使用年数相応の損壊とも言えるし、惜しむらく夭折してしまったとも言える。ともかく、レパートリーの少ない私の靴下目録からまたひとつの脱落者が出てしまったので、何年も胸の内に秘めたまま、秘めたままで留まっていた、新しい靴下をまとまった数買いに行くという目標が重みを帯び始めてきた。もっと、プッチンプリンを買うくらいの気軽さで衣服を買いに行けるようになりたいものである。寝付きと寝起きが悪くなったので、ものすごくどうにかしたいが、どうにかしたいと思ってどうにかできる類のそれではないので、毎日の些細な生活リズムのズレが積み重なって正常なサイクルに立ち戻るのを待つ。今日は道を歩いていてもそれほど面白いものを発見したわけではないし、日中の残像がそれほど残っていないので、取り立てて書くような事がない。なんとなく、雨が降りそうな気がすると野生の勘が告げてきたので洗濯物を室内に干してから出かけると、案の定(「そうかもしれない」程度の期待度でこの言葉を使うのは予測の正確さを不当に高める事になり、あまりよくない気がする)ドアを開け放した瞬間からぽつりぽつりと来始め、大粒になったり存在感がギリギリ希薄になったりしながら数時間降り続いていた。長袖1枚で1日を過ごしたが、雨が降っても寒くなく、むしろ立ち上る湿気のむんむんとした質感にうんざりしたくらいだから、さすがにもう季節が春から遡行する事はないだろう。何回でも言うので何回でも言うが、傘を差さなければならないほど、つまり、足元が水で濡れるくらい雨が降るとQOLが暴落するので、そうでない程度でささやかに降る事を心がけてほしい。そういえば、クライン・ブルーというかブルーマンというか、それほど主張が強い青々しい青のレインコートを着ている人がいた。