他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

それもこれもすべて接触が悪い

昨日に引き続き、メイン機が療養から帰ってこないので消費カロリー抑え目でいきたい。二軒連続で、行列の出来ていないタピオカドリンク店を目撃し、タピオカドリンクを出しているからと言って勝ちと言うわけではないのだなと思った。そもそも、近隣にビッグネームふたつが存在する時点で甘んじる覚悟は必要かもしれないが。様々なパラメータが限界を迎えたので、夕方に軽い眠りを取ったところ、大した事ないフードコートで提供されている挟みカツ丼みたいなものが食べたくて堪らず、上階の旅館とホテルの中間みたいな空間を修学旅行中の小学生に紛れながら食券機を探すも挟みカツ丼のチケットを売っている機体が見つからず、先生の前で子供も真っ青なギャン泣きを披露する夢を見た。夢の中とはいえ、床に四肢を展開して欲求不満で暴れ回ったのは久しぶりである。なぜ、あそこまで挟みカツ丼が食べたかったのか。夢に現れる情景は文章ではとても伝えきれない情趣があるので、おそらく何も伝わっていないことと思うが、転写の過程で漏れたディティールをもしゃもしゃしている。せっかくの腹割りフランスパン、フランスパンと書いてあるのに、全く堅さがなかった。歯応えを期待していたのに。また自炊するサイクルにゆるゆると体を慣らしている。

「二度あることは」と三度言ってみろ

二人三脚で(人ではないが)歩み続けているMacbookProが、修理初期化から一月余りの昨晩に再び突如逝去しましたため、間隙を置かずにやって来た再度のデータ消失、ならびに愛機の不在に著しく心を痛めました。ですので、本日の日記はお休みします。大切なものはなくなっても大切ですが、あるからこそ一層大切です。データ返してくれ。

フレンチ・ハラキリ

3月くらいにばっさり髪を切って、そこから約3ヶ月が経過したはずで、前髪がたまに瞼にかかってくるくらいになって、こんなめちゃくちゃ煩わしい現象にどうやって対処していたのかタイムマシンに乗って聞きに行きたいものである。髪が伸びるのがやや早いので、このペースで行くと年に4回散髪に行かないといけないわけだが、前までほっぽっておいたのも髪を切りに行くのがめんどくさすぎて耐えられねえと耐えていたのが理由だから、もしや二の舞轍を踏みにかかるのではあるまいなと思っている。知らないが。天気がめちゃくそ悪い。朝はどうだったか知らない。なんやかやあって、朝の3時を回るくらいまで起きていたので、目が覚めると13時を大きく回っていた。寝付いた時間と目覚める時間を長期的に付き合わせて比べてみると、どうやら自分はロングスリーパーなのではないかという結論がちらちら見え始めている。8時間は死守しなければ辛いようだ。疲れた時には多少のプラスが必要である。昨日は疲れたので。火曜日まで梅雨前線がのろのろしているらしく、気持ちよく洗濯物を乾かす事は叶わなそうである。部屋の中にミニチュア太陽でも設ける事ができれば随分その辺りは便利になりそうだが、悪天候で洗濯できないけれども暑くはない、好天で洗濯物が捗るがくっそ暑いのではどちらも選びたくない。コンポーネントのいい方だけを組み合わせてコンパウンドを作りたい。部屋が生臭い。雨が降るとただでさえ払底している外出モチベーションが下限を突破するので、突けば崩壊しそうな曇り空のおどろおどろしさが頭上に辛うじて留まっている時間を盗んでスーパーに行って食べ物を仕入れてきた。米はまだ到着していないので、日持ちするかどうか分からないけれど、食パンに加えてフランスパンも買っておいた。ホットドッグができそうな、すでに切り込みの入ったタイプのものだったのだが、商品名が「腹割りフランスパン」となっていて、若干の猟奇的テイストを感じた。カット済とかではなく、腹割りというチョイス。まだ食べていないので味は分からない。晩御飯のために焼きそば用のそばを買ってきたところ、そんなに美味しくなかったのですこぶるがっかりした。昨日、一瞬だけ雨宿りしたところのペットボトル用ゴミ箱に、「減容して捨ててください」と書かれていた。減容という言葉を知らなくて、今しがた何の困難もなく変換できたので存在するっぽいが、ペットボトルの容積を減ずるという表現に出会って、少し賢くなった気がした。

食欲が食えたものじゃない

金曜日の昼、鉛のような眠気が後頭部をクレーンハンマーのようにぐりぐりしてきたので、これはいかんとタリーズコーヒーの缶に入ったやつをカフェイン摂取のために呷ったところ、予想だにしなかったカフェイン濃度と、強いコーヒーを摂取する機会が無くなっていた事から、胃袋からSOS信号と訃報が同時に届き、ここ最近でかつてないほど気分が悪くなり、悪化し、お腹の中でパンドラの匣の中身が暴れ回り、生理的嫌悪感が吹き上がる間欠泉のようにどかどかと体内を打った。打たれたので、耐えるのに必死で人間としての程度が著しく下がり、今の今まで程度を変えつつも引きずり続けていて、気持ち悪いになったりぎぼぢわるいになったりするが、総じて総合的な意欲を減退させている。食欲が薄い。腹は減っている、それは間違いないのだが、じゃあ何か口に入れて腹に運ぼうかという気にはならない。気持ち悪いなあと腹減ったなあが相互浸潤する事なく、独立の個として並び立っている。ロッパーしそうだ。この前、えの素の存在を思い出して検索したので思い出した。マジにめちゃくちゃにロッパーしそうだ。何もしたくねえ。あの時、コーヒーではなく別のものを選んでいれば、との思いが身を苛むとか書きたかったが、別にそんな事は思っていないので書けない。変なところで正直になるのは本当にやめたいが、悪いことではないので意識のセンサーに引っかからない。何も飾るところなく気分が悪いのでつらい。これだけもらったら、あとは自分がやっとくんで、おつかれっした! みたいな事を言われたので、さすがにもう終わってるか、終わってないにしてもそこまで手を入れなくてもいいだろうな〜とのほほん雰囲気垂れ流しで行ったら何にもなっていなかったので私がやった分に更なる上塗りをする羽目になってそれもまた精神衛生上よろしくなかった。どうせやべえんだろうなと転ばぬ先の杖が転んでもいないのに転んだ転んだとうるさいのである程度の仕込みをして行って本当に良かったというか、臆病な性格がなければ別の意味で終わっていた。頭の中にある評議会で、これはよし通ってオッケーの判決が出るには嫌な期間を要する。それなり以上の形にはして残してきたので、あとはどうにかしてくれるものと思うというか、あっちでどうにかしてくれなければ浮かばれなさすぎる。22時を回って、腹は減ったのだが食う気が起きない。食う気が喉元まで出かかっても、腹の中の気持ち悪さに引きずり降ろされている。

見えないターゲットに着弾させろ

今、私の家で、トイレに関する重大な問題が発現している。端的に言って緊急事態である。家庭の水洗トイレは、他のタイプがどのようなものなのか即座に数え上げる事ができないのだが、タンク式である。トイレで用を足す。便器の中に、器と言うくらいであるから、今しがた体外に排出したものがふよふよしている。ご家庭内の衛生状態を保つために水を結構な勢いで流して下水道に追いやり目的を達成するわけだが、銃と同じで、一度弾薬を消費してしまうと、再度補充する必要が出てくる。ガスが溜まらなければおならも鳴らない。便器が背負っている、空っぽになったタンクにちろちろと水が注がれて、めでたく次弾を装填して来たる再お手洗いに備えるわけであるが、この最後のプロセスに欠陥が発生している。タンクが溢れてトイレがびしゃびしゃになるのも、それは間違いなく大変な事であるが、そうではなく、ある条件を満たしてしまうと、タンクに水がさっぱり溜まらず永遠に手洗い用兼弾薬の務めを果たす水資源が垂れ流しになってしまうのだ。二日ほど前、寝つきが悪く布団の上でゴロゴロしていると、その夜はいつもとどこかが決定的に違う事に気がつく。それが何なのか咄嗟に分からず、悶々と頭の中でケーススタディに励んでいたところ、突然に閃いた。いつもの夜に、雨でも降らない限りは、ここまでの水音は伴わない。結末を予想してトイレに急遽突入、水洗タンクのフタをガバッと開けると、むべなるかな、むべむべ、タンクに蓋をする黒い球体のパーツが、収まるべきところに全く収まっていないのであった。貯水を期待して来宅する水は、休む暇もなくことごとく下水へと飲み込まれ続けていた。水道代の高騰に頭の中で慄きながら、排水レバーをがちゃがちゃやっていると、どうやらレバーとその球は連動しているらしく、「レバー下げ:球上がる、レバー上げ:球下がる」という仕組みを観測できた。今まで生きてきて知らなかったのだが、トイレは割と原始的なシステムでできていた。なんとか上手くはめ込むと、しばらくしてぢょろぢょろという音が先細りになり、流水が止まる気配がした。タンク内にある程度の水が溜まると、内部の水圧で何かしらいい感じになるらしい。昨日は、家を出てトイレ横の窓を通り過ぎる時にぢょろぢょろ音が止まないのを耳にし、しまった水が流れっぱなしだと思ったが、急いでいたので引き返す事もできず、物理法則に大敗を喫した。突如勃発したこの異常事態に、どうにかして幕引きを図らなければいけない。

味のないガムに噛まれ続ける

図書館で借りた本の返却期限がそろそろだなと思ったのが一昨日、返却期限を確認して一日過ぎている事が分かり図書館に返しに行こうとするも目的を忘れて返しそびれてのこのこ帰ってきたのが昨日、全てを反省し返したのが今日。最初は真面目に読んでいたはずだったのだが、いつのまにかすっかり飽きてしまい、半分を過ぎたところでどうでもよくなって放置していたら失態を犯した。あほう。真面目に読んでいたとは言っても、つまんねえなと思いながら意識を画分し気づかないふりをする事でなんとか読み進めていただけだから、これは真面目ではないな。面白いねえと思うようなものを読まなければダメだが、そも面白いねえと思いうるものに手を出す元気がからっぽの状態が長く続いているから、路肩に目的地を決めないままアイドリングして、後部座席をリクライニングして適当な衣食住を送っているようなものである。身体が痛いし心が枯れてゆくのを否が応でも自覚せざるを得ないのだけれど、得ないのだけれど。眠いし蒸し暑いし、身体が薄く浮かんだ汗の春巻き皮でくるんと巻かれているような感覚で、雨が降り始めて湿気がまとわりつき始めたからだと思われるが、恐ろしく不快だな。部屋の壁という壁に吸湿剤を貼り付けて適度な湿度まで調整したい。そうか。台風が発生したんですね。台風が。晴れが続いていたから、もう梅雨だとかそれに類する気象現象はゴーンオーヴァーかと思っていたが、そうでもないらしい。気象庁が梅雨明けを宣言、だとかいうニュースを見た覚えもない。早く梅雨が閉じてくれればいいのに。そうすれば、どこでちゃんとした傘を買えばいいのかという疑問が頭の中をぐるぐるする事もなくなるから。時間をとって、初期化の憂き目を見てハードディスクから吹っ飛んだウィルスバスターやMicrosoftオフィスを入れ直した。パソコン関連の書類をまとめたような記憶があるビックカメラの茶色い小封筒にふたつともシリアルコードが収まっていて、過去の自分を讃えたくなった。邪魔だからウィルスバスターのパッケージは捨てたのだろうか。WordやExcelが帰ってきたところで、別にそういえばあまり使わなかったのだが、ないよりはあった方がいいし、何のためにライセンスを買ったのか分からなくなる。InDesignを使っている最中に突然起動しなくなり、サブスクリプションが切れた事を知った。新しいライセンスを買ってきて、適当に認証したら復活した。再ダウンロードが必要じゃなくてよかった。半端に冷凍されたうどんを食べるとまずい。

大法螺以外にも中小のサイズを取り揃えたい

主食としている玄米がほぼ底をついたので、上から見ると米袋の底が見えてしまうくらいに、送ってもらうよう頼んだ米が到着するまで米の消費量を抑えるムーブに入った。朝ごはんには、業務スーパープライベートブランドでよく分からない食パンを充てている。格別美味しくもないが、下手な食パンのように残念な味がするわけでもない、とても絶妙なバランスの中庸な食パンである。マヨネーズを適当な量絞りかけたのを一枚、はちみつを適当にかけたのを一枚食べただけなので、到底この食パンの全てを理解したわけではないはずだが、底が知れた味がするのでよしとする。変に尖っているよりは、変哲のない形をしてくれている方が気が楽である。気温が高いので、すぐに白い糸が走り出すかもしれない。日本の食パンは軒並み白いので、うっかり白い糸を生やしても気がつかないことがたまにある。どうせ向こう二日中には食べきってしまうはずなので害はないか。晩御飯には釜玉うどんを食べた。自宅でも外でもうどんを食べる機会がないので少しだけ驚いたが、生うどんの茹で時間は1〜2分でいいらしい。短い。けれど、一度茹だったのにうどんを放り込まれて黙ってしまった鍋に張られた湯を見つめながらの2分弱はなかなかに長かった。飯盒炊爨の時にも似たような言い回しがあったような気がする。じっと見つめていては炊ける飯も炊けないし、茹でられるうどんも茹でられない。一袋19円(+税)の安いうどんだったが、生卵を割って醤油を流すだけでも食えた。逆に、これだけシンプルで飾り立てていないからこそ、真価が見通しやすいというのはあるかもしれない。歯応えがあってよかったが、これは店で食ううどんが歯に返してくる、むちむちとしたハリとはやはり品質が違った。いい感じの、どう表現すればいいか分からないが、素敵な匂いもしない。家の近くに、これまたどんな日本語を当てるべきか手持ちが不足しているので不甲斐ない限りだが、うどんやら蕎麦を出す店がいくつかあって、そのうちの一つでピリ辛つけめんといううどんを出している。ああいう店にありがちな、860円という強気な値段設定が足を遠くしているのだが、美味しそうではあるので夏が終わる前に一度食べに行ってみたいと思っている。看板に、頭が悪い量のマヨネーズがかけられたサラダの写真も載っていて、そちらはそちらで気になるところではある。手の親指の爪だけ、伸びるのがめちゃくちゃ早い。なぜだろう。

三輪車でハイウェイを完走する苦難

疲れたので家に帰った夕方に昼寝(?)したら、家中のゴミ箱や水回りで害虫が大量発生したり、なぜか棚に放置している生野菜が腐ってスズメバチみたいなやつが集ったり、家の中がエマージェンシーに陥る夢を見てものすごく嫌な気持ちになった。目が覚めてすぐも頭がぼうっとしていたので、害虫の処理めんどうだなあとしばらく思っていた。網戸を挟まずに窓を開けているが、おそらくベープノーマットのおかげで虫が入ってこない。ただ薬剤を焚いているだけなのにこうとは、薬剤ってすげえなと思う。夜に落ちるのが遅くなったな。昼間にお天道様の光線を日向で浴びると、ちょっとあちいくらいだったが、適当なベンチのある広場みたいなところで日光に当たると、意識がむにゃむにゃとして、肌が日焼けで赤くなりそうではあるけれども、ちょっとそこで気持ちよくお昼寝でもしようかなという気にさせる陽気だった。哀しいかな、残念な事に、何かをしたいなと思った時にそれをできる瞬間というのは少ないものなのだが。変な姿勢でうつらうつらしたせいか首と肩が痛い。ドコモショップの外壁に、「この辺のガラケーはもう修理受け付けてまへん、壊れたらそれまででっせ!」みたいなポスターが貼られていて、幸い私が使っているガラケーはそれには載っていなかったのだが、逆につまりすでに修理リスト落ちしている可能性もあるという事で、怖くて調べられない。怖くて調べられないが、万が一壊れた時に手遅れだとまずいので調べたら、2011年に生産が終了しているどころか修理受付も終了していた。一巻の終わりである。そもいつこの機体を買ったのかさっぱり覚えていないが、結構どころではない年月が経過している事を知って頭が痛くなった。無駄のない四角形ボデーと、表面に一筋走るワンポイントのブラックラメが気に入っているのだが、これが終わったら全て終わりらしい。スマホにはなりたくねえので、この機体がいつどこまでも長持ちしてくれる事をうっすらお祈りしながら使っていくしかないようだった。同じ機体を持っている人を、一年に2回くらいだけ見る。ガラケーを使っている人は、一ヶ月に一回くらいだけ見かける。少ないなあ。何日か前、でかいピザを食べた日の家路で、そこだけなぜか安く売っている自販機があるので、初めてドクぺを買って飲んだ。飲んだ瞬間に、そして缶の縁に内容液が滲んだ瞬間に、う〜〜〜ん、と思った。まずくはないが、あの味を炭酸で飲むのはキツかった。似た系統で言えば、A&Wの方がまだ好きである。湿布の味として言語化できるから。今度、ドクペ好きの人にプレゼンしてもらおうかしら。

エビフライのしっぽを集めて揚げたフライ

のっぺりとモノトーンに灰色一色の空を見て、これなら降られずになんとか目的地まで辿り着けるだろうとの目算はもろくも打ち砕かれ、駅への道半ばでシャワーを浴び始める事になったので、降りそうな時には傘を持って出かける事がとても大事だなと何回目になるか分からないけれど思った。帰る時には小休止だったので、屋根や張り出しテントから垂れてくる水滴に気をつけるだけでよかった。傘を持っていない時に雨の中を移動しなければならない場合、でかい樹がある道を通る事ができるならば、浸潤被害を相当に軽減する事ができる。上の方で、葉っぱと葉っぱがいい感じに重なり合って雫が垂れてこないからだ。問題点は、そうやって凝集された大きな一滴がミサイルのように落下してくる可能性も捨てきれない事だが、総合的10に絶えず被弾し続けるよりも、0の庇護下にあってたまに来る単発の10に怯える方が楽である。あんまり濡れる事を厭わずに移動すると、気温がまた下がり気味で風邪を引きそうな感じもあるので、やっぱり折り畳み傘ではないきちんとした傘が欲しいのだが、じゃあそのちゃんとした傘を買えるちゃんとした店はどこなのだろう、という迷宮が口を開けて目の前に出現するから、早く梅雨が終わってくれるととても嬉しい。たま〜にDMM GAMESの新規リリースタイトルを確認するのを忘れているのでたま〜に見に行くのだが、惹句がもうダメなのであああああ〜〜〜と悲鳴を上げてそっと閉じるようになってしまった。自分が何を求めているのか分からないが、DMMが提供してくれた中で一番総合的に押しも押されぬ最高傑作だったのはキルドヤだという真実は変わらないまま結晶化してこの胸の中に一生死ぬまで残り続けると思うので、ああいうのはどう考えてもロングランポピュラーにはならないだろうと分かってもいて寂しいのだが、あそこまで尖り散らしたコンテンツがまたひょっこり出てこないかなと楽しみにする期待だけは熾のように残っている。すでにキルドヤのHPがサーバー上に存在しないので、かつて見たはずのプロデューサーの名前を思い出してどこまでも追って行きたくても後を尾けられない。Webページを完全保存しておくべきだったと、今になって悔やまれる。近くのラーメン屋に新メニューで担々麺が出ていたので食べた。普段のラーメンとは違って、かなり小麦感の強いしっかりした極太麺で、胡麻の砂に水を混ぜたようなでろでろのスープが美味しかった。けれど、普通にいつも出ている味噌豚骨みたいなラーメンが一番美味しいのだなと色々食べて気が付いた。さすが主軸に据えられているだけはあるのだ。

煮え切らない生乾き野郎

事前に「今日は何もしないぜ!」と決心しておいたので、生産的な事は何もしなかった。週明けや週半ばや週末に向けて事前に消化しなければならない事があって、それの皺寄せを明日いっぺんに全部やる事になると分かっていようとも、とにかくぜってえ何もしねえぜという確固たる意思があったので、人格法廷内でよかろうとの判決も下りたため、何もしなかった。何もしないのは大変辛い事で、何もしなかった自責と何もしなかったツケが後日雪だるま式になってロールキャベツ、じゃねえや襲いかかってくるから、それを飲み下す覚悟を持ってこその何もしない日である。すでに胃が痛い。未だにアマゾンプライムのタブを固定したまま、延々とポプテピピックを観続けていたが、確かにこれはずっと観ていられるのだが、これをずっと観ていると何か引き返せなくなりそうな気がするので、そろそろ別のものでも観ようかな〜と思ったものの今日は何もしない日だったので選択を先延ばしにした。金色のガッシュベルのタブも一応固定してある。150話くらいまであるので、一気には観られない。小中高と一緒だった同級生が詳しかったはずなので、万が一どこかで遭遇する事があったら、どの辺まで観ればいいのか教えてもらいたい。一部のパンチあるギャグしか知らないので。夕方が見え始めた頃から、突如マクドナルドに行きたくなったので、ゴムつっかけをつっかけて駅の方に足を伸ばして食べに行った。そのせいで晩御飯の時間である今にお腹が空いていないわけだが、当時は知る由も無い事である。ダブルチーズバーガーの親戚として現れた、やきにくソースがかかったやつだけをまだ食べていなかったので、それに食指が動いた。そもそもそれの構成がなんだっけ、と気になったのでマクドナルドのHPを見に行くと、広告があれだけハイカロリーなテンションなのに、メニュー一覧はいやに大人しかった。白背景に普通のゴシック体で、なんだ、お前この程度なのか、とさえ思った。特設ページに行くと「おう……」となる配色だったが、やっぱり下にスクロールすると大人しくなった。ノリと勢いよりも、読みやすさを重視するその分別に、こちらが蹴つまずきそうになった。薄目で見ると、メニュー表が全部同じバーガーに見える。薄目で見るからであるが。やきにくソースのやつ、HEINZのスモークBBQソースを思い出して美味しくはあったのだが、メニュー表に映っているベーコンを食べたような記憶がない。挟まってた? ほんまに? 気づかなかっただけ? 分からん。気になるのでもう一回行く、かもしれない。

ぜろてをもちまして

電車の中で、英会話教室の広告がいっぱいあるので、暇だし見ていたら、予習として自分の話したい事を書き出してきてもらいます、という文章があるものがあった。例文をコピペしてんじゃねえ、お前の話したい事をお前の言葉で話すんだよ、分かったな、という狙いらしかった。ほう。自分の話したい事。自分の話したい事。自分の話したい事……? 英語でも日本語でも、その他どの言語でも、別に話したい事はなかった。何もない。無理やり絞り出したような、歪なカスみたいなものは提出できるかもしれないが、正直にやると白紙で突き出すしかない。義務教育課程じゃないのだから、予習をしてこいに対して白紙を出しても怒られはしないだろうが、じゃあお前は何をしに来たんだと思われて言われるだろう。本当に、話したい事はないんですか、何でもいいんですよ、何でも。ないです、ゼロです、手持ちの札がありません。はあ……。まで見えた。何をしに来たというか、何をしに行くんだという感じなので、絶対行かないが、経済が回っているという事はああいう場所に行く人間が少なからずいるという事で、彼らは一体何を話そう話したいと思って他人に教えを乞いに行くのだろうか。そこまでして話したい事、あるか? そこまでしなくても話したい事はないので、私が無理なだけかもしれない。皆手札が、というかそれ以前に山札があるのか……。すげえな……。引いてくるものがないのでは、不戦敗とかもはやそういう次元ではなくて、同じ土俵に立っていない、勝負すら成立していない。本当に、お前はここに何をしに来たんだ、である。そう言われても、やっぱり言いたい事なんてないので、さあ……? と言って、帰って寝る。眠い。道を歩いていて、色々いい加減過ぎた電光掲示板。文言。「新規の客様200引き」「お気軽に声をかけってください」。何がとは言わないがひどい。ひどすぎる。見ていられないので一回しか見ず、それゆえ末節は間違っているかもしれないが、瑕疵の部分は過たず転写しているはずなので、こうだった。絶対入らないぜ、と思った。少し前に発売されて衝撃を受けた、トイレのウォシュレットさえアレだからお尻を流すのさえパーソナルにやろうぜ! というコンセプトのお尻シャワシャワに、香り付きニュータイプが出ていた。なぜ、排泄した後の尻穴をいい匂いの水で流す必要があるのだろうか。ローズとかラベンダーとか、6種類くらいのラインナップがあったが、尻の穴を嗅ぐのが流行っているのかしら。

コンクリート、豆腐、茶碗蒸し

そろそろAdobe CCのサブスクリプションが切れる時期だったような気がする。因果が巡って死ぬほどIllustratorを使う用を仰せつかったので、それを始める前とやっている最中と終わった後に手元にないといけないので、そろそろどうにかしようと動き始めなければいけないな。来週どうにかしよう。ゴミ箱の上のコバエがホイホイを観察すると、中のゴミ袋を昨日取り替えたからだろうか、さらにたくさんの(おそらく)ショウジョウバエ(漢字で書くとかっこいい!)がちいさなキューブ状のゼリーに埋もれて死んでおり、殺虫剤とはバカにならないものだなと思う。少なくともまだ五匹はゴミ箱エリア付近をうろちょろしているので、そろそろ仕留め切って一度台所周りをリセットしたいところである。さっきチケットサービスからメールが来て、今年のバナナマンライブのチケット予約が始まった事を知った。日程を見て「あぁぁぁぁ〜」と声に出してしまった。ちょうど東京にいない期間だった。来年もいないかもしれない。一度でいいから、小林賢太郎のコントは生で観る事叶ったので、ぜひともバナナマンのコントも一回だけでいいから生でその場に居合わせたい。なんだかんだあっても毎年演っているから、いつかは行けるかもしれないが早く行きたい。早く観たい。今年は残念だが、実に本当に全く致し方ない。行きたかったな〜。現場で幕間映像を観たい。来年に期待。一年に一回は、と口では言うものの、実際には三ヶ月に一回くらい実行に移しているような気がするのだけれど、頭の悪いものをお腹いっぱい食べたいな、という欲がドミノピザのチーズ1キロピザに対して噴出してしまったので、若干名の有志を招集して挑む事とした。一枚でいいんじゃないのか、という空気が濃厚だったため、こういう思い出には楽しさがつきまとってはいけないという謎の信念に貫かれているがゆえ、場が落ち着き切ってしまう前に二枚に増量する事に成功した。効能はない。会場から往復30分くらいの店舗にピザを取りに行き、まあ一悶着未満の事態はあったものの無事品物をゲットする事に成功し、持ち帰って開けてみるとそこにはチーズの海があった。そこまで伸びるわけでも、芳醇な香りがするでもなかったが(終了後、部屋にほとんど香りが残らなかった)、ただひたすらにチーズとピザ生地と塩の味を噛みしめるだけの頭が悪くなるような一時間を過ごし、後には何も残らなかった。これである。あと一枚多く注文していれば、間違いなくお葬式のような空気になったはずだ。絶妙な采配に、乾杯としてコーラを傾けた。

仕込まれたので孵るのを待つのみ

蓋を開けたらコバエがぶあああと吹き上がってきたので、もう一度惨劇が起きるかもしれない。コバエがホイホイを見ると容器の中でいっぱい臨終しているのだが、そのいっぱいを4倍したくらいの物量で攻められている。落城したくないのだが、人海戦術のすごいところは人海戦術であるところである。人ではなく虫だが。おにぎりとバナナを同じ容器に、ほんの數十分一緒に入れていただけなのに、完全におにぎりがフルーティーな香りをまとってしまい、一口パクッとするたびに芳醇な甘さが口に広がり、生理的に無理だった。よく熟したバナナを舐めていたとも言えるが、それにしても海苔の磯香を掻き消してバナナが凱歌を上げるとは誰が想像しただろうか。バナナ風味のパンは美味しいが、バナナ風味のおにぎりはゲロ吐くほどではないが食みつくのを一瞬躊躇する程度にはナシなので、匂いの移りやすいものには注意していきたいですね。5時間くらい、動画のスクリプト起こし作業をしていたのだが、めちゃくちゃめんどくさくて、耳と頭と手と目を同時に使う作業だとは知らなかったので、びっくりするほど疲弊した。パソコンのスピーカーとマイクを内部的に繋げて自動音声入力に投げる方法があって、それを試したのだが、環境音がきついせいかさっぱりディクテーションしてくれなかったし、外接スピーカーをおそらくマイクが内蔵されている部分に近づけてもこれまたぴくちり文章に起こしてくれなかったので、動画を裏ウインドウで垂れ流しながら、最上部ウインドウでGoogleドキュメントの音声入力ツールを起動して、動画を肉声で復唱して書きとらせるという間抜けな事をしていた。脳味噌の裏側が煮え繰り返りそうなほど面倒でしちめんどくさい作業だったが、いちいち数秒刻みに動画プレイヤーを停止してちまちま書き起こしていくよりは精神的によっぽど楽である。今まで音声入力を使った事がなかったが、固有名詞や口語的にこんがらがった音の塊はほぼ例外なくトンデモ変換の餌食になるけれども、はきはき発音できる場所、それほどクセのない名詞部分に関しては、それなりの精度で聞き取ってタイプしてくれる。橋端箸みたいな同音異義はまだまだ脆弱にしても、おおまかに骨子ができていくだけでかなりありがたい。全てシャドーイングし終わった後に、出来上がった文字列と実際の発声を突き合わせていく過程があるわけだが、これまたジリ貧と言ってよいほどメンタルを鬼ヤスリで削られるので、憔悴した。

スカイ・ハイ・トゥ・リーチ

ゴミ箱に蓋をしたのに、蓋をあけるとコバエがぶわっと立ち上る様子に「二度ある事は三度ある」という悲しい格言を思い出したので、頭の中でうぞうぞと蛆が再発して這い回る前にコバエがホイホイを買ってきてゴミ箱の蓋真上に設置した。前回の悲劇が発生した後、これを置いておくだけでコバエがほとんど立たなくなった、効果は間違いなく裏打ちされた代物ではあるので、しばらくは枕を高くして眠りたいところであるが、万が一再び万の軍勢を湧かさないために気は配っておこうと思う。使用前に、ゼリーが入っているケースの密封シートをべりっと剥がすのだが、内容物の匂いを嗅いで、ああ、そういえばこんな匂いだったなと思った。思い出は、時として知覚に結び付けられて甦る。昼、かなりでかい街路樹に覆われた街道を歩いていると、前方で何かが落下するのが見えた。一瞬、葉っぱかしらと思ったのだが、葉っぱにしては落下が急すぎるし直線的すぎる。ストン、あるいはドスンとしてもよいような軌道を描いていた。目が悪いので落下物に接近して目を凝らしてみると、なんと上方の巣から哀れ落下してきた鳥の雛であった。羽毛など全く生えそろっておらず、申し訳程度の肉と皮だけで身体が構成されており、それが四つん這いを引っ繰り返したような体勢でぴくとも動かないのだから、これはもう落下の衝撃で、一瞬で逝ってしまったものと思われた。アスファルトに衝突した時、カシャッと卵の殻が割れるような音が聞こえたが、それもあながち間違いではあるまい。まだ表情というものを読み取る事さえ困難な未熟さで、焦点の分からない淀んだ黒が空を見上げていた。そばで同じ事態を目撃したご婦人たちがあらまあいやだ可哀想という様子をしていた。梢を見上げてみたが、どこに巣があるのか分からなかった。落ちてしまったところしか見なかったので、その後の顛末は分からない。この間の放置された茹で卵と一緒で、カラスに腑臓を貪られて果てたかもしれないし、往来の激しい道だから、駆けてくる自転車の両輪に押し潰されて、もう一度軽く壊れる音を響かせたかもしれない。手に取って土の上に置いておくには、なんというか、あまりにも発展途上が過ぎてグロテスクだった。水筒を洗い忘れたので、いや洗うのが面倒だから持っていくのが面倒で、道中の自販機でポッカのスポーツドリンクを買った。いつもは100円の麦茶みたいなやつを買うのだが、まずいのでこちらにしたらこっちもまずかった。アクエリアスの優秀さがしのばれた。

一面を分解して複面にすると深みが出る

余裕のあるいい時間に起きたな、よっしゃもうちょっと寝よ! と考えたので、結局余裕のないそれなりの時間に再び目覚める事になった。実りのある活動をしているかと考えると、それはまあどうだったかな〜というところなので、無為ではなかったが中身もないのでプラマイゼロである。いい気候が続いている。流し下の冷暗所にそっと置いておけば、玉ねぎも人参もそれほど早く痛まないし、外を歩いていてもやっぱり汗はギリギリ滲まない。うっすら嫌な気分が差してくるかな、差してこないかな、どっちでしょ〜うか、答え合わせどうぞバンっ! という感じのまま安定しているから、ちょうどいい。日本の夏がここで思いとどまって踏みとどまってくれたならこれ以上に嬉しい事はないのだが、崖を滑り落ちてもチキンレースを迫ってくるやべえ奴なのでそろそろ本格的に身構える準備を始める心づもりをする算段を立てようかと思ったり思わなかったりする。冷蔵庫を開けると、そして中のものを取り出すと、「えっ、あんまり冷たくない……」と思ったので、冷気ゲージを5から7(最大)に上げておいた。それほど冷たくない牛乳は美味しくないし、生鮮食品とか普通に怖いので。身体がアホウで鈍感な感覚をしているだけで、冷蔵庫の方が敏感に季節の変遷を察知しているのかもしれない。地震を察したネズミやクモが逃げ出したり、ナマズがずんどこ暴れ出すように。数日前の起き抜けに地震があったような気がするが、あのアラートは鳴らなかったしそれほど大きいものではなかったのかな……? 地震だ、やべえと思った瞬間に、頭の中で危機察知系の掻き立てるような物質がどぱどぱに分泌されて超興奮してたちまち目が覚めるのだが、地震がやべえ地震ではなく多少の揺れで収まった場合、危機が去った事による本能的安堵で揺り戻しが来てめちゃくちゃに眠くなる。二度寝としては相当質の高い眠りに落ちる事ができる。じっとしているとほんのり汗ばむので、そろそろ夜は寝苦しいかもしれない。この前、ヨーグルトかこれ、どっちかあげるよと言われてもらったBOSSの甘い濃厚ホットココア缶を持て余して、どうすればいいか分からないので冷蔵庫の上に安置したままになっている。まず夏なのでホットココアなんか飲んで身体を中からあっためたくはないし、さて飲もうかという気が起きても、缶なのでレンチンして温める事ができず、しかし湯煎は面倒なので、じゃあどうしようかなと宙ぶらりんにペンディングされている。困ったねえ。