他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

手斧

玄米を主食とし、外食などの様々な面で偏りが出やすい食事をなくしてそこそこ健康的な生活を送った時の排便を久しぶりに体験したところだが、ぷちぷちした細胞が「おっす! 腸の中のいらんそうなもの全部連れて来たっす! 追い出すっす! おっすおっす!」みたいな感じで群れてお腹をスッキリさせたのを感じたので身体が軽い。身体が軽いのってこんな感覚だったけ? よく覚えてない。そうと分からないものを「これがそうです」と目の前に差し出されたところでどうしようもない。識字能力のない人を言い包めて権利譲渡書にサインさせる行為などを思い出すと、これがそうです系の知的優越行為に巻き込まれ被らないためにもさすがにひどいアホのままでいると痛い目を見るだろうなと感得できるので、多少は賢くあった方がいいのだろう。あるいは、アホのままであっても、なんやかやと可愛がってくれて構ってくれる知性の高い方々と知り合う事だろうか。最後の選択肢は難易度が高いが、それにしてもお釣りがくるというか、費用対効果が抜群にいい気がする。それにしても、最後はやはり自分の身なので、畢竟城の命運を決めるのは城主である。コンサルでもアカウンタントでも、煮詰めれば究極他人なので、さすがに手綱までは手放さない方がいいだろう。あれだ、中島みゆきの『宙船』だ。お前の手で漕いでいかなければならんのだ。私が消えて喜ぶようなやつにオールを握られる事ってあるのだろうかと思ったが、人間内面博覧会みたいな時代だから、ぽやぽやしていたらまず間違いなくどこかの場面で寝首を持っていかれるだろう。私は寝る時くらい懸案なく安らかにすやすやしたいので、多少真面目に生きていこうかな〜どうしようかな〜。ふりかけ、のりしおとごましお、一体どっち!? 程度のしょうもない選択肢の狭間で捏ね回され磨り潰されていきたかった。……。さすがにこの二択だとのりしおに分がありすぎるような気もする。ごまがいっぱい入っているより、海苔がいっぱい入っていて塩味がする方が実を伴っていると思ってしまうのは私だけか。ごまをしこたま食べ始めると、健康食狂いかばちくそセサミ中華麺みたいになる。洋書は読み終わった。早速頭の中から内容がとろけ出しているので、やはりと言わずて私はアホなのかもしれない。面白そうな付録が残っているので、明日の電車の中で読もう。多分すぐ終わるだろう。先に図書券EPの視聴URLが送られてきたんですが、『TENGU'S WORK』かっこよすぎないですか。

襤褸を儲ける元手

冷房をつけずに過ごせたので今日はいい日である。夕方くらいから、じとじとひた走るような暑さで薄く汗の膜が浮かんでいるような気もするが、許容範囲内というか無視できる範囲内なのでよろしい。それ以外は、何だ。何かしたかしら。本は読んだ。布団に寝っ転がって、上方に腕を突き出して、電灯に真正面から喧嘩を売っていく姿勢で本を読むと、今まで視力落ちるし腕も痛くなるしで辛い思い出しかなかったものだけれど、身体の変化があったのか心境の変化があったのか快適で仕方がなく、さすがに血がどうとか筋肉がどうとかの理由があってたまに横に寝転がって見開き半面を布団に休ませてもう半面だけ起こして読んだりしているが、とりあえず目だけが運動していてそれ以外の器官がほぼほぼサボりっぱなしというこの仕方、たった数日でものすごく気に入った。ただし、日中に布団に横たわってもそこまで不快でない気温の日にしか許されざる蛮行であり愚行なので、いや待て、逆に考えるとそろそろ本格的に寝そべり読みの季節が到来間近だと考えると、これは胸が高鳴りはしないがそれなりに楽しそうな季節ではある。でも和書は寝っ転がって読む気にはなれず、今黙々とちまちまと遅々としてしかし少しずつ読み進めているのは洋書であって、横文字の本を完読しそうになるのはいつぶりだったか思い出せないくらい前である。ついでに今回はある程度内容が頭に残ったまま読み進めてもいるので、そこは驚きである。本は大体読んだ端からほぼ全ての内容を忘れて何読んだのか覚えていない。不思議だ。くそ堅いバキバキの専門書でもなく、かわいらしい小説でもなく(小説は小説でその言語特有のlooseな言葉遣いとかが出て来て、その瞬間に頭の中で辞書がぱらぱら崩壊する音がするので別だが)、ちょ〜どいい感じのズブ素人と専門家の中間くらいに位置した、3倍希釈カルピスみたいな絶妙さがあるからかもしれない。自分でカルピスを薄めた経験はないので、希釈濃度に関しては個々人の経験に照らして自分に一番ちょうどいい濃度を選択してもらいたい。3倍くらいだとまだ濃いのだろうか。ともかく、ある程度ちゃんとした本を久しぶりに読み終える事ができそうな気がしてきた気配がむくむくと女心と秋の空なので、土曜日くらいまでにはケリつけてしまいたい。まだいっぱい残ってるし。IH調理器と炊飯器とエアコンがコンセントを取り合って喧嘩しているから、そろそろエアコンが用済みになればいいなあ。

多少の不都合はカラビナでどうにかなる

喉元過ぎれば熱さを忘れてしまう悲しい宿命を背負って生きているが、あまりにも熱いものを飲み下し続けてしまうと、爛れて滑されて、熱さを感じられなくなって喉元を過ぎる前に熱さって何だけっけかとなる。熱いものを飲み込めるようになる、猫舌の克服として前向きに捉える事もできようし、羹を羹として楽しめなくなる感覚の鈍麻と摩滅と考える事もできる。どちらかと言えば後者の方で、熱いからあつものなのに熱さを感じられなくなったら、それは世界に対するセンサーが壊れてしまっているようなものだ。だから、出来立てのたこ焼きを口に放り込んだかのごとくある事象に向かっていつだってハフハフするフレッシュなメンタルが欲しいのだけれど、これを表す諺や四字熟語的なあれやそれはあったかしら。ともかく、勝って兜の緒を締めよではないけれど、たちまち嚥下するのではなく首を無理矢理絞めてでもごっくんちょするまえの吟味賞味に時間を割けるようにしたいと思う、思うが、煌々とした夜景を透かして見る夜空みたくさっぱり見える感じないので、ベビーフードからやり直した方がいいかもしれない。道を歩いている時に、「意思的にセックスできる人間にめちゃシコという感情は生起しないのではないか」という閃きを得たが、これは全く何の関係もないし生産性とか意味とかそういう美味しそうなものとは独立して孤立して別のページにある。私が居住空間を空けていた間に、どうやら床下で水漏れが発生していたらしく、大家さんから床下水道工事的なそれをしますねと連絡があったのが昨日で、朝に工事の人が来た。居間に繋がるドアを閉めて、布団に寝っ転がりながら本をぺらぺら読んでいたら、床板を切り裂かないとその空間でその音は出せないだろうという程の回転ノコ爆速ローテ音がしばらく鳴り響いた。床下って、そのまんま物理的に直接的に床下に到達するのか。しばらくすると落ち着いて、家を出るのに玄関は通過せざるを得ないセーブポイントなのでガチャリとドアを開けると、玄関口にぽっかりと四角い穴が顔を見せていて、あっ床下ってこんな感じなんだね納得空間が開けていた。かなりの木屑も出ていたから、そりゃあいい音するはずである。外出先で、安くて値段の割に美味しい方の弁当屋が閉まっていたので、ちょっと根は張るが美味しい方の弁当屋に行った。とんかつはそこまでだったが、付け合わせの、ゆるく茹でた蕎麦をからしマヨネーズで和えたようなやつがめちゃくちゃ美味かった。家に帰って玄関の電気をつけると、床下収納みたいな見慣れない扉が床にくっついていた。切断した板をそうやって都合つけるのか。

感情の雌伏

連日朝5時に目が覚めるので、まだまとわりついて来ないさらさらした気温で延べられた掛け布団に寄っかかってゴロゴロしながら7時とか8時を待って行動を始める。凪いだ早朝の平静に身を浸していると、これが幾星霜地続きにどこまでも続いていきそうなエターニティを感じる事があって、早起きは三文の得と言われて安いんだか高いんだか分からない価格をつけられているけれど、この無邪気な真空を味わえるのであればそれなりの対価を払ってもいいかもしれないと思える和やかさなのだ。エアコンで生態環境を整えようとか、いらん事が頭の中に湧いて来ず、ただ筋を弛緩させて放り出しておくだけの贅沢な使い方。二度寝のふりをしてもう一度目を閉じてみても楽しい。とりあえずそんな感じで起き出している。久しぶりに納豆ご飯を食べたら、ちょっと癖が弱くて物足りなかったので、冷蔵庫の中で水分を失いかけ様子が怪しくなりそうで面倒な生七味唐辛子というこれまたなんとリアクションを取ればいいのか難しい、味の方もなかなか一筋縄では領域を囲い込めない調味料をスプーンでどかっと掬ってぽいっと乗せてみたところ、全てが七味唐辛子の荒波に飲み込まれ、他は全てどこにも見えなくなった。赤潮が全てを押し流した。さすがにメイン口座に4万円しかないと、ひょっとして何かしらがサムシングハプンした場合致命傷を負ってそのまま立ち直れなくなる可能性があるため、サブ口座の通帳をマシンに差し込んで残高を見ると、予想の十数倍くらいあって、なんでやこれはどういう事やねんおにいやんと慌てて入金詳細を見た。覚えのないまとまった入金履歴があって、とりあえず歩きながら考えようと外に出て数歩歩いたところで、そういえば出国前にあまりに多くのゲンナマを携行していたので、万が一カツアゲされると怖くておしっこびしょびしょ濡れ濡れ大魔神になるなと危惧した結果、空港のATMで安全のためのご入金申し上げていたのであった。全く忘れてしまっていたお金がぽいっと不意に出てくると猛烈に嬉しくなってしまうので、しかしそれは結局もらった段階で支出収入の果てなき荒波のうちの一つのヒダとして既に計上されてしまっているものではあるのだが、少し気分が良くなった。来月までは生きていけそうな気がする。行った事ない店に行って昼飯に油そばを食べたら、二郎系のスープなのに変に甘ったるく、麺もよわよわちんぽな歯ごたえだったのでしょんぼりした。もう一個のよく分からんけど意識自覚をごり押ししてくる油そば屋の方が美味しいね。

隣戦態勢

一ヶ月ぶりに銀行へ記帳しに行ったら、ひたすら印字の音が続いて、果たして残高は大丈夫だろうかとハラハラしながら待ち受けて、結果、先月ドタバタして払い忘れてしまったので2ヶ月分の家賃を入金したところ残金4万円となった。月頭にとてもやんちゃな残額となってしまい、今月の生活が不安である。しかも8月の間にいくつか入金があってのそれなので、8月はなかなか盛り上がった月だったのだと思われる。消費が冷え込むなどの表現をニュースで聞くが、消費で冷え込んだ。生きていけるのだろうか。先月分のお金がいつもらえるか分からないので、しばらく慎ましやかに生きていこうと思う。ささやか〜に、薄味に生きていかないとそもそも味がしなくなりそうだ。まだ頭が時差ボケでアホになっているし、そもそも睡眠時間がインフレーションを巻き起こしているので、5時くらいに目が覚めて、ごろごろして7時くらいに起き出してやる事やって後は本を読んでいた。でも本を読みながら眠くなったので寝たら合計7時間くらい寝ていた。やはり身体と頭と心とその他がうまく一致しておらず、すったもんだ七転八倒しながらどうにかこうにかハウルの動く城みたいなムーブをキメている気がする。眠いけど眠くなくて寝ると際限なく眠れる。右に進んでも左に進んでも、結局身体が傾いているのは眠いの方角なので、どっちに進んでもさっきと同じところに戻って来てしまう、もしかして私たち、呪いの森に迷い込んじゃった!? みたいなテンションになってくる。頭がぐるぐるしてぼろすかになると、そもそもパンくずを落とした事を、そもそも何を目印に置いてきたのかを忘れる。帰ってくる日を誤って遅く伝えていたため、昨日の夜大家さんが家の様子を見に来た。そういえばあの時にお土産を渡していればいらん手間を取らずに済んだのに、もう脳細胞部屋が全て軒並みぐちゃぐちゃで、いきなり家のベルが22時前後になったのでびっくりして駆け出したのだ。お魚咥えた野良猫おっかけて裸足で駆けていくサザエさんの気持ちが少しは分かろうというものだ。ついでに、そうだ、どうやってもきっちり締めることがどういうわけか不可能だった、狂ったヒンジを装備したトイレのドアが、ほとんど騒音なく綺麗に静かにぱたりと閉まるようになっていて、私がいない間に大家さんが変えてくれたものかもしれない。凝集していた油が暑さで溶け出して滑らかに動き出したなんて事はないだろう、多分。

馬ズと弛まズ

その土地の空気の匂いというものがあり、帰って来た時に、じゅんじゅんと滴るような湿気の匂いがした。曇っていてよかった。晴れていたらまず間違いなく死んでいた。荷物を引きずって帰る過程で、一瞬太陽に晒されただけで全身から吹き出してどろどろになったので、やっぱり曇っていてよかった。飛行機の中で『ステキな金縛り』『スマホを落としただけなのに』を観て、オチがそこそこ似ていたので偶然的なセレンディピティ的なあれを感じた。そういえば三谷幸喜脚本を意識的に観たのは初めてかもしれないが、コントの一場面で継続的に爆発し続けるあの恒星誕生様態みたいな方法が好きになって、ちまちま場面が変わりフリーフォールではなく道路を走っている時の一瞬の浮遊感みたいな刺激では満足できなくなっている身体になっている事が分かった。スマホを落としただけなのには、なんか面白そうかな〜どうかな〜くらいのテンションで再生したらすごく面白かったので、やはり適当にたまたま偶然出会うのが性に合っていると思う。アルコ&ピース酒井健太のサイコ極まりないブリブリバキバキの演技はすげえなと思った。ものすごくナチュラルに板についてべとべとに気持ち悪い。最後のドーン、ぐるぐる、バーン、から始まるクライマックスはよかった。スマホは落とさなかったが、ぶっこ抜いていたサブ機のSIMカードを無くした。今までそんな事を思った事もなかったけれど、あんな小さいカードに全部詰められても、小さいからそれはなくしちゃうよと思った。現になくしたから。財布の仕込みポケットに入れておいたのだが、いつの間にか紛失したらしい。頑張って再発行していきたいと思うが、もしかしたら〜カバンの中に落ちてないかな〜という色気もあるのでちょっとだけ待つ。頭が時差ぼけでバカバカのバカになっていて、眠くて覚醒していて眠るといつまでも眠れてお腹が空いたり空かなかったり極に振れまくっている。余ったから持って帰って来たクスクスを鍋に適当にぶちまけて生成し、棚の中に残っていたレトルトカレーに流し込んで食べたら、思ったよりも大量になった。底なし沼をすくってもすくってもとぷん、とぷん、と揺れるだけでさして減っていないように見えるのは、水と小さな粒子がいい感じの関係を築いてぷくぷくになっているからかもしれないと思うほど、食っても食ってもなくならない黄色い粒とカレーの混合物。ある意味カレーが飲み物だったかもしれない。

nothing other than

正直者がバカを見ない世の中であればいいと思うし、コツコツやった人がある程度の最低保証を以って報われる世界であればいいなと思う。コツコツやっても運やその場の流れ、偶然でコツコツやらなくてもどうにかなってしまうのなら、コツコツやるしんどさを味わう意味が分からなくなるから。今日は立て込んでいるので大して書けない。最近こういう日がちらちらある。人生が満ちている、のだろうか。

ego riser

ベッドから離れた机に目覚ましをかけた電話を置きっ放しにする事により、それはまあそうだろうなという感しかないが、アラームの時間通りに起床する事に成功した。それはまあ。けれど、なぜか疲れていたのでもう少し寝た。不思議だ。何もしていないわけでも、何かにめちゃくちゃ急き立てられたわけでもなく、それなり〜に普通〜に生きていただけなのに、そこについてくる疲れはそれらよりもterdyで尾を引く。平生との輪郭が曖昧で、ひもQみたいなグミのように、多層成形のオナホールとは違って、境界のグラデーションがある。ここからここまで、カットしてエイやっと千切っては投げ千切っては投げするわけにはいかない。自分の肉体まで持って行かれてしまう。これが積もり積もって垢となり、あるいは血肉となり、その重みで歩くのが遅くなるのだろう。あるいは、貨物を引く牛馬のような。午前中に謎の締め切りがあったので、それを待ち受けて、ついでにどうせいるんだろうなと思った締め切り破り人に恩赦したりなんだりして、変な時間になったので昨日の夜に買って来たまま冷蔵庫へ放り込まれて冷たくなっていた、いやもともと冷たかったのだけれど、サンドイッチを食べておいた。なんかパンがカサカサしていやがるなと思ったら、パッケージのセロハン部分が損壊して、爪で引っ掻いてめくれたような傷があった。たった一晩、べろべろに空気を吸って冷蔵されているだけでここまで品質が低下するのかと思った。どんなに安いものでも、ものである限り生きているのかもしれないなと思った。さして美味しくもないし不味くもない、私の事どう思ってるのと詰め寄られたらえーっと、別に、そこまで取り立てて何かというわけでは全くないというとそれはあれかもしれないけれど、えーっと、みたいなぐずぐずの答え方しかできない味だった。こういう、数値化できないが及第点みたいなもので横溢しているのかもしれない。街中に出て、探し物がなくてしょんぼりした。ついでに寄ったCDショップにtoolの棚があって、そういえばそろそろ新しいアルバムが出るらしいなと思い指でちょいちょいくすぐってみると、30 AUGリリースと書かれていた。明日じゃねえか。この国ではフラゲが成立しないらしい。でも、明日からは動けない。一度本場でほやほやを買ってみたいものだ。色々よさそうなものを見繕って帰った。街に至るまでまあまあ遠いので疲れた。気持ちいい方の疲れだ。

流れ作業という激流

目覚ましから40分くらい寝坊して起きた。いや、正確に言うなれば、目覚ましが鳴った事をしっかりと認識し目覚ましを止めたのはよかったものの、想定外にベッドの布団がぬくぬくとしてあんまりにも安寧をもたらすのでぐずぐずと20パーセントくらいの意識覚醒度でうつらうつらを続けていたらそんな時間が経ってしまった。昔は空間がアイテールで満たされていると考えられていたらしいけれど、人生を満たすものは虚無である。出来事と出来事の間隙に滑り落ち緩衝を果たすのは虚無だ。何ものにも揺らされず何ものをも揺らさないが故に、虚無は人生を梱包しうる。虚無っとプリキュア。適当な事をある程度頭を働かせて言うと、そこまで適当に聞こえないから不思議である。今まで独り言でいくつのなんちゃらプリキュアシリーズを口ずさんできた事か計り知れないが、その数値はそれ、そこまで人生に影響するものでもないだろう。昼前に火災報知器が爆音で、爆音と表現するにはあまりにも尖りすぎている音なのだけれど、轟々ときゅいんきゅいん鳴り響き、そういえばこの国の火災報知器はこんな、ものすごい、生物の本能的危機感を尖った靴の先っぽで肉がえぐれるくらい蹴っ飛ばしてくるようなギラギラしたサウンドだったなと思い出した。聞いた事がなければ一度聞いた方がいい。一瞬、天地が引っくり返ったのかと思うほど心理的世界がぐにゃりと歪む。音を受け止めるために脳味噌がメモリのリソースを割き、それ以外に向ける意識がなくなって空白になる。全ては危険を知らせるアラートの元に跪き、瞬間的な帝国が出来上がり瞬時に瓦解する。一言で言えばものすごくありえんくらいうるさい。これを描写するにおしゃれな筆致など無用である。うるせええええ。たまに見かける、巻きグソみたいなバルブ電球も見たくなってきた。どこかにあるだろうか。宿のお布団がぷわぷわでハッピーに柔らかくてサイコーなので、昼寝でもしようと思って潜りこんで、浅瀬のような睡眠をとった。眠りの船底が意識を優しく引っ掻く、眠気が来ていないのに寝ようとした時の睡眠だ。近くの便利ショップ的なところが閉まっていたので、夜の徘徊ついでに少し遠くに位置するスーパーに行って、サンドイッチと、食べるかどうか怪しいハムの塊を買って来たところ、帰り道で誘われたのでモロッコ料理屋に行った。ちゃんと作ってあるクスクスを食べながら、嫌いな奴の部屋に撒いたら効果的だろうな〜〜〜と考えていた。

乳殺菌

剣の使い方を知らなければ、それはただいたずらに血を流す可能性があるだけの鋭利な長物になる。道具の使い方を知らなければそれは道具たりえない、道具として実現しないという事が言いたかったのだが、最近はWordやExcelがさっぱり使えない新社会人というパッと聞いた限りでは信じられないタイプも確かに存在するらしいので、道具は便利だが増えすぎるとその便利を使いこなすための道具にもある程度の精通を要求されるわけで、大変な時代だなと思った。私もExcelはよく分かっていない。というか、一番なかよしこよししているはずのInDesignでも、正直言って何の為にあるんだろうなこれはという機能が目白押しなので、一つの炭鉱から利益を得尽くす事は人生の時間が有限である事を考えるともはや到底無理なのではないかという感じがしてくる。ほどほどそこそこに掘り進められた坑道の入り口で、いい感じのかけらを持って帰って棚に並べて鑑賞するくらいが精神衛生上よろしそうな気がする。ジャルジャルに野球部というコントがあったはずだが、あれを思い出すと、道具を知らなければあんな事やこんな事になるのだなあとしみじみと分かる。できれば自分の身の回りで起こってほしくない事ではあるが、事実は小説よりもだいぶん奇なりなので、期待するだけ損である。去年も泊まったところに今年も移動してきたが、ひたすら一日中移動していると、その間に寝てぐだぐだするしかなかったとしてもものすごく疲れている。何もする事がないというのは、めちゃくちゃに忙しい時と同じくらい、向きは違うが絶対値として近い程度に疲れる。人間には一定程度のストレスが必要だという言説の真らしさを感じる。何度も言っている気がするな、これは。一年前は真上の部屋からベッドが軋む音と男女のまぐわう吐息艶やかなサウンドがハーモニーで薄い天井からドリップコーヒーだったが、今年はどうだろうな。部屋で疲れてぽけーっとしているところにBGM:セックスが流れてくると、それはどうしようもなく笑ってしまう。ふふふ、と声が漏れる。なんかこの宿、ベッドがものすごい高いな。倒れこもうとすると、うっ、となる。本当に大した事をしていないのに眠くなってきた。さっきご飯をいっぱい食べてきたからか。お腹いっぱいご飯を食べて、もう入らないと弱音を吐きそうになるその三歩前くらいに、生きている実感の片鱗が析出してくる。むしゃむしゃもぐもぐ。

ジャンクフードのしぼりかす

今日もさっぱりこんな事になるとは思わなかった時間までaffairsが時間かかったのでまともに書けないが、ただひとつ、「首を絞めながらセックスするとめちゃくちゃに気持ちいい」のは真であるという世の真理を知った。

ジャムの砂糖漬け

泊まっているところを移した。移動するだけでぺちょぺちょに疲れる。ちょっと長距離バスに乗るだけでこんな気分になるのだから、全国ツアーをしている人間の疲労は推して知るべしという感じがする。まずコンセントがイかれていて、どうやっても押し込めない風に異物らしきオブジェクトが突き出しており、机上灯のコンセントを引っこ抜いてしかPCに給電ができない。そのくせ部屋のシーリングライトがカスみたいな光量しかないため、電気スタンドをつけなければ毎秒視力が低下していく急激な下降曲線を感じる事ができる。ついでに、毎回消してくれよな! と壁に書いてあるトイレは、電気がつかなかった。夜10時に真っ暗の中ズボンを下げて便座はどこだ便座はと間抜けに後ずさるしょぼさがお分かりいただけるだろうか。この随所随所で痒いところに手が届かない、クソみたいなユーザビリティ、やっぱりこの国だなと思った。変な時間に、しかし体力が尽きた故に力尽きて寝たので眠くないが、水溶き片栗粉みたいな疲れが体皮の裏側にゆるやかにこびりついているのを感じ、それが訴えてくる症状としては眠い。やはり、適時の睡眠を取らないと身体がバカになる。それはそれとして、適度の睡眠を取らないと身体が使い物にならなくなるので、この両者がいい感じに折衷してくれるポイントを求めて寝たいが、それが分からんから苦労しているのである。なんか外で鐘が鳴っとるな。確かにちょっきりいい時間だな。流れに流された結果、昼飯はしっかり食べたので、その量と脂を夜におしなべたらちょうどよさそうだったため晩飯を抜いたが、ちょっぴりうっすら腹が減ってきた。でも何も買ってないし何も食べ物がない。水と塩しかない。クスクスの粒がある。湯がない。水で戻しても食べられない事はないだろうが、超絶時間をかけてわざわざ冷たいクスクスを作って食べると、心がどうしようもなく萎んで悲しい気持ちに成り果てそうなのでやりたくない。そもそも器もない。あれもねえ、これもねえ、不足だらけだな。風呂に入り損ねたら階段が真っ暗になって、シャワーのある階まで降りるのがかったるくなったので、もう明日の朝入ろう。めんどくさいし。寝癖も直るので一石二鳥だろう。枕元に電灯が設置されていたので、乳首みたいなスイッチをオンにしてみたら、あってもなくても変わらないような弱々しい誤差と言ってもいいルクスが漏れ出てきた。焼け石にスポイトくらいだ。

jolt green

価値尺度を物差しとして持っていて、それを剣みたく具体化して切り合ったら、ぼろっぼろに刃毀れしそうなけったいな形状をしているので抜刀が面倒である。そもそも、刃の形状がイカれていたら、抜刀どころか鞘に収める事さえできないのでは? 工房で完成できないのであれば、それはウェポンではないのでは? 武器を持たずに徒手空拳で往来をふらつくなど、どアホウのする事だ。だから外に出るのが億劫なのか。被害妄想は身を守る楯鎧にはならない。自傷ダメージが蓄積してぐずぐずの果肉みたいになって地面に染み込んでいくだけになる。だめだ。外に出られない。不浸潤性の板的なやつを張った台車に乗って、ころころ街中を滑走できるだけかもしれない。自転車に乗るのは嫌いではない。でも、もう何年も乗っていない気がする。何年乗ってないんだ。計算できない。まず始点が分からない。ママチャリや電チャリみたいなやつではない、細いタイヤを装備したタイプの自転車は苦手である。というか、怖い。あんな細いタイヤで縁石に平行に乗り上げようとしたが最後、全ての終わりが見える。自転車で派手にコケると、とても痛いのでそういう機会が生起しないように願いたい。いつか自転車に乗るだろうか。守りたいものがあるかどうか考えると、パッと何も出てこないので、城あるいは砦として機能していない。全てが山賊的なバーグラー的な、そんな感じのあれらに開かれている。宝物庫、これは私にとって宝物庫なだけで、よそからすればゴミ捨て場かもしれない、せめてブックオフくらいには映ればいいけれど、はそうと気付かれず踏み付けにされてぺちゃんこになって泥を被りそうだ。建前は砲弾にぶち抜かれて、コンパスで目一杯大きく描いたような円でいっぱいになるだろう。モンハンでラオシャンロンを砦にて迎え撃つ時に、ボウガンをぶっ放したり砲弾をぶち当てたりしたのを覚えている。よくあんなもんを喰らって肉が削げ穴が開かないもんだ。ゲームだからな。たやすくもろもろと落とされる城砦なんぞ、もともと平地でも対して変わらんのじゃないか。お菓子の砦を、アリの大群が行進した跡地。アリって糞尿排泄するのかしら。ミミズが地中をうにうにした後、ふんだんにうんこをするのは知っている。変わった土だなと思ったらそれがミミズのうんこだったから。死んだ後に誰かの何かの養分になればいいが、最近は遺骸を焼却炉に放り込むからな。煙を神様が食べてくれるかな。

銃後憂い無し

身体が随分と即物的にできているので、ちょっと美味しいスープができたくらいですぐに嬉しくなって降り積もった塵程度のことは忘れてしまう。人参をものの見事に買い忘れたので、玉ねぎとマッシュルームを放り込んで、生タイプと形容すればいいのか、すでに水分で輪郭がぼやけかかったようなチキンスープの素をふたかけ、やたらとでかい鶏モモ肉を安置して何も考えず煮るだけに時間を費やせば完成した。小手先どころか指先くらいの手間しかかかっていないけれど、それでも十分食える味になるのでスープの素的なあのぐずぐずした物体は偉大である。鶏肉の皮にぶりぶり毛根が埋まったままになっているのも大変この国らしい、てきとーな処理と品質水準の賜物な気がする。これくらいいい加減に、肩肘の緊張をほぐして生きていっても誰も怒らないと思うのに。けれど、やっぱり鶏皮にマイニングされたままの根っこを食べるといやあな気持ちが仄暗く立ち込めてくるので、その箇所だけは丁重に丁寧にナイフで切り除いてお皿の隅っこに放り出した。二度と来るな。それほどひどく煮込まなかったからなのか、それともちょっといいところで買ってきたからなのか、マッシュルームは適度に食感が残っていてうまうまだった。こういう系のキノコはこっちの方が美味いよな。どう頑張ってカリキュレートしても、帰りの飛行機で盛大に重量オーバーしそうだったので、というかするので、これは間違いない、よく分からんが有名で歴史があるらしいデパートに行って、デパートとは言ってもそこまでデパート然とした雰囲気は薄かったけれど、サムソナイトのちゃんとしたリュックを一つ買ってきた。さすがにこれくらいまともなやつを買えば、10キロくらいの荷物を入れても大丈夫っちゃ大丈夫だろう。私はブランドを信頼する方である。信頼されなければブランドであり続けることは難しいからだ。信頼されるためには信頼を得なければいけない。それを製造だったりサービスだったりで獲得していくわけで、そこができている地に足のついたブランドならば金を払う価値がある。適当に背負うだけでもいい感じのフィット具合だったので、これの2倍以上のお値段するモデルを買っていたら俺の背中は幸福感で死んでいたのではないだろうかと思われた。まだ死にたくないのでよかったかもしれない。まあまあ適当にぞんざいに使えて、しかし実用性とそこそこのデザインが両立している製品に弱い。サムソナイト