他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ノンストップ

途中で全然目が覚めなくて、意識が急に浮上した。なぜか、枕元のスマホ(アラーム用)の画面を点けた。アラームが鳴った覚えが身体にないから、おそらく目覚ましより早めに起きてしまったのだろう。そうだろう。パッ、と軽く電脳が浮かんでから、まず心がトムとジェリーくらい、戯画的に飛び上がった。1ミリくらいは、実際に肉体とずれていたかもしれない。それくらい、ドキンと身体が高鳴るのも感じたから。ものすげえ寝坊していた。寝坊、とも違う。寝過ごす、でもない。この、目が覚めたら事象が突然「あった」感じ、他にどう言えばいいのだろうか。まあ、ともかく、大変久しぶりに、デッド・オア・アライブに爪先突っ込んだような過失を犯した。睡眠は、基本的に、寝ている間はアクションボタンを何も受け付けないのでどうしようもない。どうしようもないのかな? 砂漠の中の裁縫針、というほどではないが、しらすの中の海老くらいのミスだった。いや、だから、本人にその積りがない過失は、過失……。まあ過失か。おっとり刀もかくやのスピードでばばばばばと服を着替え、布団をたたむのは諦め、炊飯器の保温機能だけ落として炊飯釜そのままにラップをかけた。お茶持った。完璧だ。尻拭いにしては。拭わなければならない尻にならないのが一番だ。わずかに残った頭のメモリで、到着時間を算出した。ギリギリだ。めちゃくそギリギリだ。なんなら、数分遅れでアウトだ。走るか。走るとすぐに痛くなるお腹なので走りたくない。疲れるし。この期に及んで。渡れそうな青信号は走って追いついた。電車とかは、さすがにどうしようもないので一休み期間としてじっとしていた。電車から降りて、なぜだろう、とりあえずトイレに行った。用を足して落ち着く事も大切だ。この辺で、遅れるかもという連絡をしようにも、肝心要のガラケーは充電切れで家に置いてきた事に気付く。間に合うしかなくなった。早歩きは得意だ。足がパンパンになるが。踏破、踏破、踏破。交通法規をおよそ守りながら歩き抜ける(歩き抜けるという言葉は耳慣れない)。何より、かにより、天候が最悪だ。ワーストだ。ひらがなでわーすとと書くとかわいいな。雨だ。雨。洗濯物も干せないし、傘を差すと徒歩の時速が落ちるから嫌いだ。人を追い抜こうにも、傘で立体的に体積が増えているから(3Dと2回言っているようなものだ)、己も傘を持っているし、通行が全体的に緩慢になって困る。結論、ギリギリ間に合った。2分前くらいに。セーフ。セーフ。理論上の最悪出発時間が証明されてしまい、私はとても悲しい。

カーッ、ペッ、ディエム

エアコンの除湿機能、だいぶ冷たい風が出てくるけど、これって冷房じゃないのよね? リモコンにも「除湿」って表示されているから、冷房じゃなくて湿度を取り除く、良心が痛まない方よね? きっとそう。多分そう。だから私は心穏やか……。最後の方が、なぜかエアコンポエムっぽくなってしまった。多分そう、きっとそうの順ではなくて、きっとそう、多分そうという順番にも詩情を感じる。絶対にそうであってほしいけど、そうじゃないかもしれない可能性の質感に、つい目線が引き寄せられてしまう複雑な気持ち、それがよく詠み込まれていると思う。何の話? 家にもともとインストールされていたエアコンは、でかくてちょっと前までは最新型の前線を張っていたっぽいモデルなので、効きはいい。ちょっとうるさいけど。もう、空気が全く別物になってしまった。春モノの空気が在庫なくなっちゃったんで、向こうこれからは全部夏の空気にしちゃいます、売切御免! みたいな。唐突さと、しかしそれ以外へのどうしようもなさが同居している。まず、起きると暑い。除湿機能を夜に利用すると、窓を否が応でも閉める事になる。そこで、体温の充溢と窓から入ってくる太陽光による室温の上昇、これらと不快指数の閾値突破がレースを繰り広げる事になる。だいたい暑い。日中は、これはもうダメだ。屋外に出るだけでびっくりした。開けた、公園というには遊具がない、ただ座るところと申し訳程度の植栽(全部桜なので葉っぱになって、見目麗しいとはとてもいえないしない方が見晴らしがよくてまだマシ)がある広場で、何一つ遮るもののない太陽を浴びると、うげぇと思った。洗濯物がよく乾く、くらいしか褒められた点がない。夏は好きじゃない。すぐ風呂に入りたくなる。でも、風呂から上がるとしばらくは暑い。強制的に冷房で身体を冷やすのは好きじゃない。扇風機が好きだが、あれは家具として場所を取り、シーズン以外では酢飯をオートで冷やす、くらいの権能しかない邪魔ものになってしまうので今から買うのは躊躇われる。仕舞う、というか、置いておく場所が廊下しかないし。結局半袖シャツをまだ引きずり出してしまった。スレて、少し白くなっていた。何年前に買ったやつだ、これ。おやつに、マックでスパチキを食べた。200円帯で売っているマックのあのシリーズの中で、多分スパチキしか食べた事がない。スパチキが美味すぎる。駄菓子みたいな味だが、あのソースがいい。今月の家賃、まだ払ってない。

月の裏にある川

家を出る時に、ちょっと首を傾げる程度だった空模様は、どんどん怪しくなり、おやつ時にはざんざん降りのびしゃびしゃぴちょぴちょになってしまった。折り畳み傘を持ち歩くのさえめんどくさくなって、悪天候に対しては徒手空拳の身であるから、帰りはしっとりして玄関をくぐる事になった。まあ、雨脚が落ち着いた一瞬と持ち直した数瞬で帰る事ができたので、水滴が滴るようなナリで帰る羽目にならなかっただけマシか。2ヶ月か3ヶ月ぶりに乗る地下鉄路線だった。しばらく、そちらの方面には用向きがなかったものだから。駅を出てすぐにある雑居ビルに入っていた居酒屋が、随分前に閉店していた。普段から客足が怪しい店だったが、自粛の煽りを受けてそのまま仰向けで倒れてしまったものらしい。雑居ビルに入っている店というのは、こう、一階にある店ならばふらっと入ってみようかという気にもなるが、階段を使ったりエレベーターで登ったりしなければならない、二階以上にある店舗は、心理的に足枷があるというか、端的に言って足を運ぼうと思うのもめんどくさい。めんどくさいと思ってしまう。地階にあったって、どちらにしろ飲み屋なら行こうと思わないけどな……。濡れて帰って来たから、比較的すぐに風呂に入った。家に入って、カバンを下ろした瞬間、室温が、部屋の湿度が最悪だなと思った。じっとりぬらぬらして、季節の湿度と雨の湿度が仲良く手を繋いでダンスを踊り、QOLふしぎなおどりで下げてくる。これはもう辛抱堪らんと身体が悲鳴を上げたが、冷房をつけてしまうと、今シーズンは向こうずっとずっと冷房に屈した身体になってしまうしそれは悔しいビクンビクン。そこで、この前ちらっと見た単語が閃き、エアコンのメニューボタンを一押しして良心の隙間を走り抜けた。除湿。この室内の不快指数が極端に高い状態で、何が最大の悪かといえば、それを感じる私かもしれないが、そうではない場合湿気という事になる。こいつが、梅雨(そういえばそんな季節があったな!)を構成し気分を滅入らせ湿らせる最大最悪の元凶である。そいつを刈り取る事ができれば、この張り付くような部屋の空気も幾分か改善される事だろう。送風口から涼やかな風がぶおーっと飛び出して来た時には色んな意味で肝が冷えたが、除湿という事にしてしばらくは運転していきたい所存である。寝る時の寝苦しさにもずいぶんと参っていた。エアコンがどういう仕組み作用で除湿しているのか、さっぱり知らないんだけど。

大陸間弾道投げキッス

寝間着から着替える時に、これはもう無理かもしれんなと思って、ボックスの中に手を突っ込んで半袖のシャツを引きずり出した。擦り切れていないのに、手元の中で一番生地が薄いシャツが出てきた。結論から言って、半袖にして正解だった。さすがに、今日の外気温室温で、長袖のまま過ごす事は困難だったろうし、そこで意地を張る意味もなかったに違いない。我慢大会とか、しているわけではないのだ。一度この涼やかさを味わってしまうと、もう元には戻れないかもしれない、という危惧もある。長袖のシャツを畳んで、衣替えをしなければならなくなる。幸い、短パンの持ち合わせはないので下はいいが、上のシャツはどうだったかなあ。半袖の一枚や二枚、実家かどこかに起き忘れてきたような記憶があったりなかったりする。一日、窓を開けっ放しだった。8割くらい。風が吹いていれば窓を開けている甲斐も醍醐味もあるというものだが、風が吹いていないのに窓を開けていると、なんで窓を開けてるんだ……? という哲学的にはあまりにも底の浅い自省がこんこんと湧いてくる。絶えず空気は流れているはずなのだが、肌で感じて涼しいと思えるほどの風となると、存外難しかったりするのだろうか。日がな、ぽっかりとしていた。結局、なんだかめんどくさくて、一食しか摂らなかった。あとは水とお茶だけだ。夕方くらいになって、一回でどかんと食べるかと思って、甘辛ダレのかかった唐揚げいっぱい定食を食べた。唐揚げを食べるための口実としてご飯がついているようなボリュームだった。正直、唐揚げは6個、多くても8個くらいでいいなと思った。油というか、食事における、食べ物が持つ視覚的カロリーというか。胃の昂進性がじわじわ下がっている、気がする。今なら、もう、二郎系ラーメンは食べられないかもしれない。普通のラーメンを特盛くらいならまだしも。スーパーに向かう途中、しばらく人影を見なかった区画に活気があるのを見かけたのでふらりと立ち寄った。公園が、何ヶ月かぶりに解放されたらしい。でっかい芝生エリアは、どういうわけか解放されていなかったが、周囲のベンチやカフェエリアなんかはもう元通りだった。密ではなかったが、集まってはいた。誰かが置き忘れていったのか故意に置いていったのか、カバーの剥がれた文春文庫が、紙カバーを風にはためかせていた。視力が弱いので、背のタイトルは分からなかった。スーパーのサッカーの横に花が売ってあって、ユリの値札に「かわったかおり」と書いてあった。花の名前、でもなく、謎の注釈が。なんだか分からないが、笑ってしまった。

概念ぱんつ

明け方というか、朝が来るまで全然眠れず、枕を抱いたり敷いたり当てたり投げたりしていて、外が完全に明るくなってから束の間深い眠りを味わったため、想定より1時間くらい遅く起きた。眠りすぎる泥のような状態もなかなか厳しいものがあるが、眠れない時の、何者にもなれなさというか、時間の隙間と隙間をぐにゃぐにゃと可変的にすり抜けていくような具合の悪さにも特筆すべき不快さがある。夕方にぶっ倒れてさっき起きた、どろどろ鈍い夕寝の感覚もいいものではないが。こう、すぱっと切ってすぱっと離れるような、気持ちのよい睡眠が摂りたい。無理? じゃあもう無理でいいか……。不敷布のマスクだと、もうそろそろ暑くてやれなくなってきている。本当に、マスクの果たすべき最低限の機能を果たしているものとして、お家に送られてきたお国のガーゼマスクは、通気性の面でありがたい。あとちょっと縦に長ければな〜とかは思うが、ぎりぎりマスクなのでまあ贅沢は言うもんじゃないのかな、どうなのかな。高級住宅街を通り抜ける時に、ゴミ収集車が機械音を立てながらゴミをべきべきへし折って飲み込んでいて、その辺りにゴミ袋が出してある事に気がつき、住んでるところが高級だろうが、ゴミの匂いは変わらないんだなと思った。生ゴミ生ゴミの匂いがする。そこには情緒とかが介入する隙間はなかった。ゴミはゴミなんだなと。でも、出ている酒のゴミは、いい酒の瓶とか缶とかだったので、そこはさすがに高級住宅街なんだなと思う。家によっては、明らかに絶対自炊していない、ピザの箱がずんずん積んであったり、カップ麺やら即席食の殼でぱんぱんの袋が出してあったりする。ヨーロッパでは、収入が多いような忙しい人はそもそも自分で食事を作る暇がないので、そこがめちゃくちゃ適当になるか、あるいはハウスメイドを雇って家事を全部やらせてしまうらしい。日本では、メイドというのか、使用人というのか、の文化がほぼほぼ残っていないので(寺のご子息から、ご実家に使用人をいくつか召抱えられていると直に聞いてびっくりした覚えがある)、その辺が収束してあのゴミ袋になるのだろう。多分。帰りに、頭が糖分を求めていたので、マクドナルドでマックシェイクを買って帰った。少し離れた店舗ではラムネ味の限定シェイクを売っていたのに、そこではなかった。売り切れかな。パッと見た時の字面の可愛さ、可愛さで、ストロベリー味にした。飲みながら帰って、無心で飲み終わってから、何味でもない、何味という規定の数値に達する事のない、永遠に「未満の味」だったなと気付いた。ストロベリーという言葉で、あの味の輪郭は抉り出せない。

イチジク浣腸カフェオレ

昨日で疲れたので、昼過ぎまでぶっ倒れていた。午前に2回くらい起きたが、起き上がる気が起きなかったのでもうええわと思って寝ていた。長時間寝ると、脳が溶けたような感覚がしておそらくよろしくないのだが、最近洗剤でボロボロになっていた手が、塗りたくったアトリックスハンドクリームのおかげもあるのか、だいぶ快方に向かっていた。手荒れが進むと、皮が向けて肉が近くなった部分から、リンパ的な液体っぽい何かがじわじわと滲んで来るのだが、それがなくなった。暑くなってきて、靴下を履いて靴を履くと足の甲とか足首のあたりが猛烈にかゆくなる。あせも的なそれか。足の甲は、それが辛いからとサンダルをつっかけても、サンダルがつっかかっている部分が足の甲と接触するので、かゆいのを避けようとして結局かゆくなる。もう、ドラえもんみたいに地面から数ミリ浮くか、足基底部にホバー機能でも実装するしかない。リック・ドムも確か浮遊したと思う。子供の頃、デザート仕様のリック・ドムのバズーカ部分を、妹が破損した記憶がある。ガンプラねぇ。もう長い事触ってない。最後に作ったのはいつだろうか。最後に作ったのは何だっただろうか。MGのジオング、かなあ。色々あって、結局最後まで完成しなかったけど。人生で一番最初に組み上げたMGは、ギャンだ。親父が作っている脇で、なにかの部品を手伝ったりしたかもしれないが、一人で最初から最後まで組み上げたのは、ギャンが最初で最後だったはずだ。なんだかよく分からんが、あるいはそのなんだかよく分からんところが気に入ってか、ずっとギャンが好きだった。今でも好きだ。PS2の、ジオンVS連邦のゲームで、ジオン側のストーリーをほとんどギャンだけでクリアするくらいには。あの、全く垢抜けない感じが、サーベルでぶすぶすやる感じが好きだ。モンハンも、結局太刀しか使わなかったし使えなかった。近接攻撃が好きだ。ケロロ軍曹でネタにされて、まさかの現実となったMGギャンを、私が好きだからという理由で親父が買ってくれた。親父から親らしい事をされた覚えは全然ないに等しいが、あれは親父なりの振る舞いだったのだろう。ふと目が覚めて深夜の夫婦喧嘩を聞いてしまった時、「あいつは一人であのプラモデルを組み上げられたんだ」と言っていた。あれは、嬉しかったのだが。噛み合わない歯車というのは、本当に、どうにも。起きてから何も食う気がせず、結局夕方の変な時間に、すた丼で焼肉丼を食べた。すた丼は、頭の悪い旨さがあるからいい。鶏肉より豚肉の方が美味かった。

念座

愛し麗しのぐんぐんグルト、昨日は売り切れだったが、今日は大丈夫だといいなと思いながら、行きがけの道で自販機のラインナップを確認すると、昨日までぐんぐんグルトがあった場所にはぐの字のカケラもなく、見知らぬ真っ青なスポーツドリンクがでかい顔をしていて、おまけにその上占有列が1枠から2枠になっていたので頭が真っ白になった。夜でも、在庫補充のトラックが来るんだ、と知った。人生で、自販機の品揃えが更新される瞬間を感じたのは初めてだった。あまりにも短く悲しい最初だった。あの100円は、ダブついた在庫を処理するための価格だったのだろうか、それとも自販機のメンツが、このタイミングで6月仕様になったとでも? 分からない。分からないが、また、ぱったりと自販機を利用しなくなりそうだなとは思った。ぐんぐんグルト……。もっとぐんぐんしたかったのに……。頭が痛い。眠くないが眠い。変な睡眠習慣がつきそうだ。頭痛い。よく晴れた日だった。日中は屋内にいたので太陽の具合は分からなかったが、多分ぺかぺかして陽気な一日だったのではないだろうか。日陰で風に吹かれると気持ちよかったと思う。公園の芝生にレジャーシートを敷いて寝っ転がったりしたいが、そういう事を最後にしたのは何年前、という単位の話になる。何の話? 渋谷の人通りは、今日もだいたい元通りだった。少し少ないといえば少し少ない。電車はまだ座れる。ソーシャルディスタンスを空けて座っている人が多い。座る席と書いて座席なのだけど。気になるならば気になってしまうだろうから、とやかく言う事ではない。車窓から突然差し込む光が眩しい。玄関先が、完全に敷石になってしまった。記憶の片隅に、字面の面影雰囲気だけでもいいから、地面が丸出しになっていた、まだ未完成の感を残し、それゆえ途上の魅力を放っていた、黒っぽい茶色の在りし日の姿を留めておきたいと思う。地面が丸見えだから、たまに玄関のタイルにダンゴムシが上がってきていたりしたのだと思うが、こうなったらどうなのだろう。一日中、頭の中でロリータ戦士絵描き歌が流れていた。ほとんどずっと。東京03のリモート単独公演の中で流れる、箸休め的映像ネタなのだが(YouTubeで観ている以上、いや録画を観ている以上、どれもこれも映像だけども!)、バナナマンのデブドリンクの作り方とはまた違う中毒性があって頭に残り続ける。響き続ける。コントの仕組みとしてもたいへん面白いので、よかったら観てみてくださいよ。(https://www.youtube.com/watch?v=AFKtj88mhTk

あめんぼざむらい

家に帰ってきてぶっ倒れてから、意識がぼんやりと戻ってきた中で雨が降り始めた。一瞬、しとしとした音で降るからいい雨だなと思おうとしたのに、耳を澄ませるとどこかのびちゃびちゃが聞こえてきてげんなりした。明日もまた外に出なければいけないのだけど、久しぶりに雨の中をゆかねばならない。憂鬱だ。歌詞とかで「ゆく」という動詞があると、大仰じゃね? と思う。合唱曲に多い気がする。使命感とか、ミッションとか、なんか分からんがそういうのをおぶっていそうな気がする。そういえば骸attack!! のサビに ゆけ たたかえ があった。なら、まあ、ええか。朝はそうも思わなかったが、夕方から夜に差し掛かるくらいの渋谷のスクランブル交差点を渡りながら、良くも悪くも緊急事態宣言が明けたな、と思った。でも昨日か一昨日か、なんちゃらアラートが発令されたんだよな? 帰り道に繁華街を通っても(通り道なので仕方がない)、誰かと連れ立って飲みに行く飯を食いに行くと思しき複数人集団が、元どおりではないがそこそこの数見えるようになった。人は娯楽がないと鬱憤が溜まるんだなぁ……と思った。娯楽というか、人と交わるという事がないと。それを思うと、グラブルやっててよかったなあというか、毎晩のDiscord通話がなかったらもうちょっと精神が鬱々としたままずるずる行ってたんだろうなと想像される。やってなかった方がよかったなあと思う部分も大きいが。愛憎相半ば、みたいな。そんな感じ。帰りに、ぐんぐんグルト飲むぞルンルン♪ と思いながら例の自販機に近づくと、全体の中からまさかのぐんぐんグルトだけ売り切れていて、口があんぐり空いて塞がらなくなった。心の中で。まさか、近辺に私以外のぐんぐんグルターがいた事に驚きだが、あるいは、この辺りはそれほど中身が補充されず、私が連日のようにぐんぐんグルトをピッ、ガシャンするものだから、手薄な在庫が一掃されて売り切れてしまったのかもしれない。それなら……。しょうがないな……。この気持ちが届いた、という事だから……。しかし、一日の一連の締めくくりを飾る清涼飲料水がなくなって、ちょっと寂しかった。酒を飲む人間の気持ちとは、こんな感じなのだろうか。実は歩いて10か20歩くらいのところにもうひとつぐんぐんグルトを売っている自販機があるのだが、そちらは350mlだかの、ちょっと寸胴でちっちゃいやつなのだ。それで500mlペットと同じ値段なのだから、いかに元の自販機が優秀なのか理解できよう!!!

えぽむにゅ

唐辛子と大蒜の油漬け、香りがものすごくオイリーで、中に入っている香辛料の匂いもほどよく移ってかなりお気に入りの調味料なのだけど。辛い。すげえ辛い。うっかり喉奥につんと当たると、思わず咳き込んで涙目になるくらいに辛い。しかも、ただ摂食時に辛いだけではなくて、翌日朝まで付き合いを強要される。トイレで座って力んでいる時、身体下部の粘膜のひりつきを感じて毎度毎度じわじわとゲージが削られていくのを感じる。つまり、要するに。辛味成分が身体の中では処理しきれないくらいにアレなのだ。美味いのに。調味料としてはものすごく美味いのに、後に傷が残る。禍根が残る。常に飲める水分がないと不安なので、いつもお茶を沸かしていたが、沸かすと、やかんから直接コップに注いで、お茶入れ(お茶を入れておく長い、プラスチックの容器。お茶を入れる用途が第一なのでお茶入れと名指ししてみたが、あれにはきちんとした名前とか、代表的な商品名とかがあるんだっけ?)に移すのがめんどくさく、ついでに洗い物が一つ増えるので長らく放置してしまう事頻りだった。逆に言えば、こんな事でもなければ、腐った水には、白い膜がちぎれたような、怨念の残滓みたいなものが浮くという事実を知らないままだっただろう。知らなくていい事実であるのはまた事実なのだが。変な匂いは取り立ててしないが、見るからに分かりやすくとろりとしていて、白っぽくぶよぶよしていて、水という物体も腐るのだなと知った。精神的にも衛生的にもめんどくさいので、あきらめてお茶パックをお茶入れに投げ込んで、水道水で水出しすることにした。水という漢字が……おお……。水出しだと、やかんでぐらぐら煮え繰り返させるのに比べて、焦げたような匂いというか、おそらく香ばしさに分類されるあたりの匂いがかなり弱くなる。その代わり、苦さが多少前面に出てきて、甘みも感じられるような感じられないような。洗い物が少ないし、少なくとも腐る事はないしで、これからずんずん暑くなると考えると、水出しの方が多分楽チン。最高ではないが良い。これからの季節、湯で淹れたお茶を飲んだら汗がずんどこ出てくるので、風呂入った後なんかとても飲んではいけない。飲むけど。払わなければいけない料金やら何やらがあったので、仕方なく外に出た。日中も暑くなってしまった。あちい。身じろぎするだけで汗が出てきそうな気がする。コンビニとかにあるナイロンのシート、いつなくなるんだろう。

念じて願った

部屋のどこにいても、生ゴミのもんわりした匂いが漂ってくるようになったため、ゴミ袋をふん縛って玄関に放り出した。あまりにも有効範囲が広すぎる。縛ったり押し込んだりする時にゴミ箱に顔を近づけると、温度を伴った香りが顔をぶってくるのが生々しい。玉ねぎとか人参とかキノコの石搗きとか青唐辛子のタネとふわふわした中の白いあれとか、それらがこの気温で熟されて生活臭のティーアで最も低い方に分類される武器を獲得していた。明太子の下に敷いてある吸水シートみたいなやつも、時間経過によってむんとしてくる。匂いがするたびに、意識が何かに集中していてもふっと現実に戻る。火炎系の魔法を使えればなー、と、人生でこの瞬間に思う。この瞬間だけかもしれない。サツマイモを買ってきたら、焼き芋をするために炎出せればなー、なんて思うのだろうか。焼き芋は直火でやるもんなんだっけ? 焼き石でやるもんなんだっけ? なんか……。こう……。開高健みたいな肉の手触りがある文章が読みたいにゃー。語尾が無意味に「にゃー」になる。困ったにゃー。そうだにゃー。理由が分からない。口に馴染むようになった言葉は、直前2ヶ月くらいまで遡れるルーツに思い当たったりするのだが、にゃーについては全然思い当たるところがないんだけどにゃー。ペットの中では比較的猫が好きだが、そもそもが別に生き物に対して興味関心がないのでどうでもいいっちゃどうでもいい。動物の中で、その特徴を人間のパーソナリティに一番置換しやすく分かりやすいのは猫だと思う。耳とか、手つきとか、にゃーとか。あとは尻尾とか? かなりぼーっとしていた。魂に指向性が必要だと思う。行きたいところがなければ、旅行も旅程もない。目的地がなければ、出発も道中もない。数学で使った定点なんとかは、さぞかしつまらないだろうなと思ったが、つまらないのかなぁ。つまらないけどなぁ。stagnantは、人間の在り方に対して毒だと思う。冷やし担々麺が季節限定メニューとして出ていたので食べに行った。そもそも担々麺って何なんだろう。これが担々麺の大体を包含した、まずここを基点に担々麺の概念を拡張していくのがいいと思いますみたいな担々麺を食べた事がない。横でサラリーマン2人が話をしていたが、すげえ面白くなかった。人の話なんか、面白い事の方が少ないだろうが。卓上調味料のニンニクネギ辣油、仕込み方が変わったのかただ出来が悪いだけなのか、油の香りとか素材の甘みとかをさっぱり感じず、駄菓子みたいなしょっぱさを感じただけだった。冷やし担々麺は、味が薄くてちょっと油の入った冷やし中華みたいな感じで、微妙だった。帰りに買ってきたぐんぐんグルトは美味い。

モダン縮地法

公式情報を積極的に追っているわけではないので、昨日東京03のコントでも久しぶりに観るかぁ〜と思って公式チャンネルを開いたら、リモート単独公演、という絶妙に見慣れないし聞きなれないタイトルのついた動画がサジェストで表示された。言わんとする事は分かる。リモートで単独公演をしたのだろう。え、誰が? 何が? 何かが? 東京03だった。特徴的なワードで検索をかければたちまち辿り着けるはずなのでURLは移さないが、zoomで東京03の各メンバーと音楽班が一同いちルームに会し、視聴者はそのルームに参加してリモートで「単独公演」を楽しめたらしい。おわぁっ、と思った。そんな面白い事考えるのかと。小林賢太郎は、劇団カジャラの公演が中止になってしまったため、noteで各地公演のあいさつと、定期的にラジオコントを公開する事にしたという。アプローチがずいぶん異なる。テレビジョン的(「生放送的」と言ってもいいか)であるか、そうでないか。小林賢太郎は、おそらく、狙った通りに完成した成果物を自分の理想とする在り方とルートで届けたい人だから、そうしたのだろう。東京03の方は、YouTubeの公式動画のコメント欄は公開されているし、なんならリモート単独公演もリアルタイムでコメントを打つ事ができたらしい。小林賢太郎が観客からのリアクションを得る時に最上だと思っているのが目の前のお客さんの笑い声、拍手だと考えていて、これは文字や言語化する前の一番シンプルでピュアな衝動で、それを生で拾い上げるのが、確かな手触りとして嬉しいのだと思う。小林賢太郎という匠が作り上げた絶品の有様に対して、観客は主観的に鑑賞する術がない。ただひとつ、腹を抱えて笑う以外に(生で観ると本当に腹筋が辛くなるほど笑う、それくらい小林賢太郎の書くコントは面白い)。どこかで読んだ、ラーメンズのコントには観客の居場所がない、という評論に、確かに納得する部分があった。翻って、東京03の方は、実際の公演の時にもチャレンジ企画のようなゴールのない演目が含まれている。リモート単独公演の前説で言っていたが、感想をSNSなどでシェアしてくれると嬉しいという。こちらはかなり、楽しんでくれたんだよかった〜と嬉しさがこみ上げる、有機的な感じがする。小林賢太郎のスリムな無機質的なスタイルも、無論否定するものでは全くない。ただ、コンテンツを届けるにあたって、採用するアプローチの違いを考えると、動く時のイデオロギーみたいなものが、違うのだなと思ったのだ。共通項にバナナマンがあるので、3組合同公演してくれないか。ぜっっっっっったいにめちゃくちゃ面白い。で、晩飯を食い終わった後、Twitterで流れてきて、ムムム! と唸ったVtuberに関する論考があるので最後にこれをくっつけておく。容赦のない単語選択だが、それゆえに本質を突いている。

https://not-miso-inside.netlify.app/blog/better-stop-watching-vtuber/

ゴールデンぼちゃん

朝は曇っていたけれど、だんだんとぺかぺか晴れに向かって行った。少し湿気も孕んでいて、じんわりと汗の膜に覆われるようで消耗した。暑い日にマスクなんてしているものではないが、暑い日とは言ってもマスクはしておいた方がいいので両極端に引っ張られてねじ切れそうだった。ドクぺとファンタがやたら安い自販機があるのだけど、それをスルーして、やってるのかやってないのかいつだって判然としない店の横にある自販機を見ると、ぐんぐんグルトの500mlペットボトルが100円だった。心の中で、小さくガッツポーズをして快哉した。ぐんぐんグルトは美味い。単独で飲む飲料としては、十本の指に入る。パッケージにゴクゴク飲めると書いてあるが、実際にゴクゴク飲めて止まらないのでこれは正しい。ゴクゴクという副詞、感じは間違いなく伝わるのだが、字面と音の響きを真面目に立ち止まって考えると結構気持ち悪いな。ともかく、ゴクゴクお楽しみいただけるわけなので、ぐんぐんグルトはジュースの中でもたいへん好きな方にカテゴライズされる。実はぐんぐんグルターだったのだ。そんな名詞はない。清涼飲料水というのは、清涼飲料水らしいべたべたした甘さがその持ち味かつ欠点のひとつであるのだが、ぐんぐんグルトは甘さがそこまで後を引かず気にならない。乳酸菌が入っているから、という主観的な免罪符を感じているのかもしれない。ともかく美味いので、これが500mlペットで100円なら嬉しいな〜ルンルン、と思った。書きながら飲み終わってしまった。寂しい……。いつでも安い事が分かったので、また飲みたくなったら買いに行こう。発芽米は、炊く時の水の量がよくなかったのかもしれなかった。しかし、それでも、米としてはそこまで美味くないので、実に何とも言えない気持ちになる。明太子の化学調味料に化かされて食べ続けているようなものだから……。鶏モモの精肉を明日使い切らないといけない。そろそろ匂いが出始める頃だと思うので。ハナマサで買ってくる肉は、ラベルの消費期限を3日くらい過ぎたところで変な匂いがしないが、昔住んでいた最寄りのスーパーで買ったものなんかは、鼻がひんまがりそうな異臭を発していた記憶がある。いや、消費期限を守れという話なのだけど。今日は疲れたのですごく眠たい。腹と腰の奥の方に、どろどろした淀みがある感じがする。明日は洗濯物を干す日なので忘れないようにしないと。晴れるのかしら。

デリカテッセン

朝、一回起きた時に雨が降っていた。寝る前に、そういえば天気予報で降水確率40%の雨雲マークがあったなと思い出して、洗濯物を取り込んでおいて本当に良かった。取り込むというか、ハンガーを室内に引き入れてカーテンレールにぶら下げただけなのだけど。昨日あまりにも疲れたというか、ずっとお家でじっとしていた身体には反動が大きく、朝起きて10時くらいにもう一度起きて、結局昼過ぎまで泥のようになっていた。だいたいいつも泥のようなので、あまり変わらないと言えば変わらない。塑性というか、なんというか、行動と情緒の振れ幅がものすごく小さいので、少々のイレギュラーがあったところで、別になんともないというか見て見ぬ振りをしながらいなしてしまう悪癖があるというか。何て言うのかね。アルジュナのバトルモーションみたいに、うねうねぴゅんぴゅんしてる。一日部屋の空気が淀んでいると思ったが、窓を開けていないせいだった。網戸をかませば、窓を開けて換気できる。たまに、作業の間隙をすり抜けた蚊が部屋に入ってきていて、布団へぶっ倒れたところで耳元にぷぅ〜んが訪れる。昨夏導入したベープノーマットが布団の脇に置きっ放しになっていたので、コンセントを刺して起動したらば、数分のうちにぷぅ〜んが遠くなり、ついには聞こえなくなったので、やっぱりベープノーマット大好きちゅっちゅと思った。薬液の散布は目に見えないし、静音なので稼働音さえ聞こえないが、しっかり仕事はしてくれる。こういういぶし銀みたいなタイプが好きだ。いぶし銀がどういう意味なのか、パワプロの能力いぶし銀から感じ取った雰囲気でしか話していないので、実のところよく分からない。銀のカトラリーはよく磨かなければすぐ曇ってしまう的な話も聞いた事があるし、いぶし銀の銀は鈍くどっしりした感じかと思ったらそれだとぴかぴかした感じになるし、一体いぶし銀って何だ……? と思い始めた。渋い感じか? せっかく買ってきたロメーヌレタスがじわじわと萎れている。キャベツにしろ白菜にしろ、一株買うと一人で食うにはあまりにも多すぎる。多いなぁ……。いくら加熱すると嘘みたいにぺっちゃんこになるとは言っても、それにしても多い。見た目上の嵩は、水分がどっか行って縮むとはいえ、物量としては依然そこそこあるからだ。全部まとめてフードミキサーで粉々にして液状にして、ドリンクにして飲めば簡単じゃーんと思わなくもないが、食事って何だ……? となる。

刺し違い配電図

昨日に負けず劣らず忙しかった。一体なんなんだ。いや、理由はある。理由はきちんとある。家に帰ったら、ただちに風呂に入って布団にぶっ倒れて1時間くらい仮眠する予定だったのだが、疲れが行き過ぎて逆に目が冴えてきたので、ついでに実家に電話して用を済ませたりしたのだった。家を出る時に、マスクをし忘れていた事に3分くらい歩いてから気付いて、ギャグ4コマ漫画みたいに飛び上がってとんぼ返りした。まださすがに緩和の2文字は早いというか、なんなら明日から通常登校が開始される小学校もあるようだし、ほんまに大丈夫かとの思いが止まらない。確かに、どこかでレール上に戻らないと、きっかけがないままずるずると特殊な状態に置かれたままになるわけだが。やってみてから考えればいいのかね。とてもむずかしいです。今日もJR山手線前広場をちょっと横切ったのだけど、午前中は、交番詰所の前数メートルのところで、膝の屈伸を使ってぴょこぴょこしながら、両手をぶんぶんして、詰所にいる警官に向かってただただ何かを訴えかけ続ける珍妙な人類がいた。聞き取りにくいタイプの声質だったので、一体何を言っていたのかはさっぱり分からずじまいだが、ともかくシチュエーションと行動の組み合わせだけでギラギラにとんがっているのだけは分かった。警官たちも、苦虫そのものみたいな微妙な顔で見遣っていたが、あの後どうなったのだろう。すげえ眠い。鬱になってだいぶアレなところまで行ったと伝え聞いた先輩と偶然出会って、なんだか元気そうというか、負の雰囲気が滲み出す感じではない、身体の要素がネガに寄ってなさそうだったので安心した。特に何を話したわけでもないのだが。身体の要素がネガ……。まあ、あるのだ。なんか、こいつヤバそうだなと思う時の、黒とか青みたいな系統の色が幻視できる事が。幻視であり錯覚なので、まともなやつではない。しかし、手触りとしては確かにあるものだと思う。日曜の夕方だというのに、電車は普通に座れた。なんなら、車内にいる人間、みんな座れたんじゃないだろうか。どうもひとつおきに座る人が多かったが。心情察するに余り有る。帰りに見かけた広場では、清潔とは言えないおっさん達が輪になってわちゃわちゃしており、その近くで青年がパフォーマンス的な事をやっていて、やはりこの場には負の傾向があるんじゃないかと思い直した。あの詰所にいる警官はおそらく毎日、あんなトンチキの数々を目撃しているわけで……。

知らぬ仏

朝も早くから、玄関先の工事は始まっていた。さすがに、石を打って音を響かせるようなネイティブな事はしていなかった。今日は、今年度という期間で捉えて、一番忙しい日だった。とても。とっても。とぉーっても。おいも。買ってきた発芽米、洗わなくていいらしいし、白米を炊くのと同じコースで出来上がるらしいので、そこは大変評価できるところだなと思ったのだけど、炊き上がったものと明太子を食べ合わせてみると、どうにも味がボケているというかピントが合っていないというか、食べつけている玄米と比較すると、米としての魅力、食べ物としての評価が全てを下回る、発芽米の耳慣れなさとそれに伴う新奇さにおんぶに抱っこされたなんとも言えない何かである事が分かった。一体何なんだろうな、あの薄茶色くてべちゃっとしたでんぷんの塊は。明太子も記憶より随分とパンチの薄い味だったが、発芽米がそうでもないのか、明太子がそうでもないのか分からない。調子がよくないので……。駅に向かうまでの途中を思い出すと、ずいぶんと人が増えたなあと思う。増えたというか、回復したというか。見渡す限りマスクをしていない人の方が少ないのだが、今日も今日とて順調に感染者は増えているらしく、第二波は問題なく秒読みな気がする。電車の中は、人が少しだけ増えたものの、座ろうと思えば普通に座れる程度で、ほんまにこれが電車かと思う。渋谷に行ったが、人がいっぱいいた。人がいっぱいいなければ渋谷という気がしないが、人がいっぱいいるのはよくないのでアイデンティティを保つのが大変なんじゃなかろうか。警官が3人くらい、徒党を組んでうろうろパトロールしていて、何を警戒して巡邏していたのか。マスクをせずに咳をしまくるやつとか? JR山手線前の広場には、へんてこりんな、奇矯な、怪しいものだけに反応する薫香でも湧き出しているのか、今日は特別キテレツな集団がいた。コロナはただの風邪、密になって団結しよう、などの、お腹いっぱいになりそうなスローガンが書かれた幟を立て、サクラなのか本物の素人なのか判別のつかない兄ちゃんにマイクを握らせ、党主だか偉い立場の人だかが論破なのか誘導尋問なのかをしていた。三脚を立ててスマホでその光景を舐めているスタッフらしきものもいたので、YouTubeでストリーミングでもして「パワー」を知らしめているのかもしれない。なんというか……。もう……。家に帰ったら、敷石の敷設が完了していた。敷設という言葉の横に図説として添えたいくらいに敷設だった。