他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

1000本どころでは済まない

一日1000字は書こうという方針を決定した。特に意味はないけれど、文章というのは絶えず書いていないと脳味噌の文章を綴る部分が決定的に鈍っていく。私は残念ながら石頭ではないので脳内で刃物を研ぐこともできないから、手動で少しづつ研ぎ澄ましていくしかない。

以上のようなことをポンと思いついたので一日に二回更新するわけであるが、さっき解析見ても一人も見てなかったし、自分のために書くなら何をしても構うまい。別段日記帳を一日数行しか使っていけないという法はないのだし、筆が走るままに並走していればいいだろう。

さすがに一日に一冊使える気はしないけれど。

むしろそれは日がな一日日記を書いているのでは?日記を書くのが職業の人になってしまう。ダイアリーライターなんて聞いたことがないけれど、響きはとても素敵だ。でも、今後出てくるだろうか。日記を書いて一日が終わるって、一体日記を書きながらどんな出来事に見舞われているんだろう。竜の背中に乗って世界見聞でもしながら書いてるの? リアルタイムマルコ・ポーロじゃん。グーグルマップで世界旅行した気になるのと実体験を限りなく近づけたらそうなるのかな。

 

字数のことで忘れられないことがあって、僕は『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズの谷川流の文章を本当に尊敬していて、中学生の時に読んでこれはライトノベルではなく文学と言ってしまってもいいんじゃないのかと感じた。今でも思っている。西尾維新谷川流も鬱Pも文学だと思っている。傍から思う分にはタダだし。

で、どの巻の後書きかは忘れたけれど、「一生のうちで書くことの出来る文字数が生まれた時に決まってしまっていたら」という話をしていた。これに痛く感銘を受けた。

小説家なんて新刊を生み出す度にものすごい数をすり減らしているじゃないか。なぜ自分の首を絞めているのかと。

正直な話その衝撃的な提起以外何を書いていたのかすっかり忘れてしまったので今度実家に帰った時に読み返してみたいと思っているのだが、これを覚えているままで西尾維新の「一日2万字」目標を聞いた時には仰天した。生き急いでいるというか書き急いでいるというか、鬼鑢で豆腐を削るがごとき所業に見開きの小口が塞がらなかった。

仕事が固まってしまっている時には3万字、それ以上書くこともあるという。

一体いくらのワードリミットを背負って生まれてきたのだろう。

カンストしているんじゃないのか?

でも、一日に少なくとも2万字とお目にかかれるわけだから、結構幸せな生活だろう。

僕も文字が好きだ。

1000字書くのに日本語だとその数倍のタイピングが必要だ。

1000本ノックどころでは済まないが、言葉の彼岸に逝ってしまいたいと常日頃思っている身としてはやってみようと思う。

今日は1126文字でした。毎日字数だけ賃金もらえねえかな。