他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi

四捨五入して一人称

ずっと書き忘れていたことがあるので書きますね。共感できなければ水に流してください。流しそうめんの季節ではないですけれど。

あれ、流しほうとうとか流し餅巾着ってもしかしてビッグビジネスチャンスじゃないの!?

 

っていうのは覚えてるんですけど、書いた分がブラウザが落ちて消えたので悲しいです。もっかい書くけど。簡略的に。

 

僕は一人称を色々使います。僕とか私とか俺とか。フィクションを作るには何を使ってもいいですからね。あたしとかウチとかわっちとか。

この間壁を見つめながらぼーっとしていたところ、ある閃きがあったので共有します。

僕は意識があるべきところに収まっていないというか、はみ出している感じがあります。第三者視点というか、幽体離脱というか。私よりは少し外界寄り。一人称っていう感じがしないんです。だから、一人称というのが気持ち悪い。居心地が悪いというか、もにょもにょしますね。それゆえ、色んな一人称を戯れに使いまわして誤魔化しているんですけど、捕まえるべきものを捕まえられていないというか、その一人称で指し示しているのはお前の一体何なんだ? と自分に聞いています。一人称というほど、綺麗な数でお前の性格まとまってないやろ、と。自分が過去に書いた文章や、日記でさえ読み返すと異物感がもの凄いと言いますか、これ本当に私が書いて俺が読んで僕が発表したものなのかしらん、と不安になります。催眠術でもかけられて虚偽の記憶を植え付けられたんじゃないのかと。

なんで、一人称のズレがあるので、今度からは約一人称というか、フィクションの中の私みたいなもので、他人が書いた他人の物語の中で使われている、焦点のあやふやな、立脚地点があやふやな一人称的一人称と読んでいきたいと思います。

余談なんですけど、一人称二人称三人称って、離れていくものではなくて、同一平面上でどの仮面を被るかという問題な気がするんですけどどうでしょう。

 

確か上記のようなことをオリジナルでは書いたはずなんですけど、まだ字数が足りないので昨日買ってみて大当たりだったえっちCG集の話をします。

サークル・デルタブレードの『催眠術で人妻マナカさんとえっちしよう』というやつです。DMMでもDLSiteでも買えるよ。ただ絵が好みだから買ったんですけど、これはストーリーもキャラクターもすごくよかったです。おまけで入っている夫妻の日常も「あぁ、そうよ、エロ漫画で必要な欠かせない要素はそこよ~!」と言いたくなる絶妙なワンシーンを切り取って見せてくれます。

発売から大分経っているのでサークルの次回作が期待されるところですが、痒い所に手が届く絶妙な呼吸を知っている感じで、べた褒めしました。以上です。