さすがに4日間も同じ題材で話をしたので語るべき事はしばらく出てこないでしょう。
拙筆による4つのキルドヤにコミットしたレポートが、諸君とキルドヤのアイスブレイクの契機となればこれほど嬉しい事はあんまりありません。主観的には、あのゲーム(の空気)を相当気に入りましたので、もっと広く周知されればいいな、と思う次第であります。誤字脱字がないのもポイントが高い。
作り手側は、ここは絶対気付いてほしいポイント、ここは分かる人には分かる変化球、ここは自分と同じ感性をした人間しか気が付くまいというポイント、色々仕込んできているものです。私も某所にて記事を書いていた時期には、そういう事をしていました。ほぼ誰にも伝わってなかったっぽいですが、最大公約数的エンタテインメントに不確定要素をぶち込む遊びは楽しかったです。
さて、これはそれなりの数のシナリオを読んでなんとなーくうっすら感じることなんですが、エロゲのライターってシーン終わりの文末に「~のだった。」って使いがちじゃないですか? 皆が皆そう、というのではないですが、『こいのす☆イチャコライズ』だともみあげルパンRがそうだった。キルドヤにもいくつか見受けられる。エトセトラ、エトセトラ。
僕自身はこの「~のだった。」文体があまり好きではなくて、これを使わないシナリオライターの書く筋の方が概して評価が高いのですけれど、なんでこれを使っちゃうんだろう。テキストとして、華麗な感じではなくて、ベタッと張り付いた感じがしてスタイリッシュじゃないと思うんだけどね。
「疲れて眠ってしまった彼女の横に寄り添い、俺もまた瞼を閉じた。」とか、スパッとシーンを切ってほしいというのがあるからかもしれない。「~のだった。」は、そのシーンの語り部が一人称視点から神の視点にややズレる含みが少し出てしまい、行為とその意味に没入している姿勢が感じられなくなるから、と言えば分かるだろうか。
見つめるのだった、じゃない。見つめていた。
胸の上に倒れ込んできた彼女の髪を優しく撫で続けるのだった、じゃない。優しく撫で続けた。
このへんは文体の好みが如実に表れるから強くは主張できないけれど、「~のだった。」がシナリオ中で放つ、文章の中での童貞臭さと表現するべきなのか、そのこなれなさが目に引っ掛かってしまって仕方がない。
色んなフィールドで独自の言語野が駆使されているとはいえ、軸足は読むに快い文章に置いておいてほしいな。お前はどうなんだ、と言われれば、諸手を挙げて口を開こう。
ペンはペンでも剣より強いペンはな~んだ? の答えが見つかるまで舌鋒戦だ。