他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

無菌培養

結構本気で、毎日「人と関わらずに生きていくにはどうすればいいか」を考えている。

なぜだ、と聞かれれば、人と接すると抑鬱状態になるからだ、と答えるしかない。

身近な人間だと程度は軽いけれど、多かれ少なかれ塞ぎこんでしまうのには変わりない。悪い意味で過度に内省的だし自責的な面が強いので、わざわざ人と接触して辛くなって、家に帰って一人になってからもう一度辛くなる意味が分からない。

そんな時間があったら自分の好きなものをひっくり返して咀嚼している方が賢い時間の使い方だと思う。

賢くない発想なんだろうな~、とは思っている。

人と接さないと、ただでさえ望みの少ない将来が更に先のないものになることは明白なんだけど。

それでもやっぱり、一人以外で行動することの意味が分からないし、気持ち悪い。uneasyと言うのがちょうどいいのかもしれない。身の振り方が分からない。どこに何を打つべきなのか分からないし、帰ってきた球の真意が分からない。ためつすがめつしている内に、目の前から誰もいなくなっている。

『器用で不器用な男と不器用で器用な男の話』の器用で不器用な男の方は、社会でまともに振る舞えてすげぇなあ、と観ながら思っている。

表に出ずに、匿名性が高い何かをそこに置いておいて誰かに摂取させるのは好きだから、サングラス色眼鏡をかけたまま日向の方を日陰から見遣る方針で生きていくことを弥縫策としてとっている。

明日の朝もちゃんと起床できるのか不安で仕方がない。

娯楽っていうのは、生きるのをぐずぐずと先延ばしにする為の言い訳なんだな、と思っている。誰に非難されているわけでも糾弾されているわけでも指弾されているわけでもないのに、言い訳を先回りして用意しておく被害妄想っぷりには呆れるけれど、被告人も原告も自分自身なのだから終わりがない。どちらにしろ自分が折れ負け惨めな目を見るしか負のスパイラルから抜け出す方法が今のところ見つからない。

こういう色々が澱となって溜まって、何かの拍子に浮上したものを言葉で掬い取ると、多分、いつも考えている事書いている虚構になる。

したくてもできない事は、酒でも薬でも煙草でも女でも男でもなく、あんな感じの字面を見つめた会話なんだけど。

そんなまだるっこしい事に付き合ってくれる相手はいない。

私が友達として認めるたった二人のうちの一人(女)が彼氏と十二泊で旅行に行くと言っていたので、私は「十二パコやな」と返した。「二十四パコの予定だよ、ふっふっふ」と返ってきた。

あの時に、こいつは友達だな、と思った。

 

KORNはやっぱり初期が好きだな。他人の澱をピッチに譬えた文章を白地のノートに書いた覚えがある。

毒を吐き出し終わって綺麗になったものは、まだ私には呑み込めない。