他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ぱちぱちする6月の気温

おはようございます……。

身体の調子がネジ吹っ飛んだみたいに、こう、調節が効かない感じに、あっちがフル回転こっちはお休みと言うのか、心身が全く一体になっていない感じがあります。

自分の四肢を己のものとして認識できない症状が精神病にあったと思いますが、それだけですけど。

記憶を引きずり出したところでよ。

 

時間を棒に振っている最中、短編のアイディアを思いついたので近々書き上げます。

もう手書きでは出来ているので、電子に打ち込むだけなんですけど。

命を吹き込むというか、個性を一律の字形に押し込める作業ですよね。

かといって出版物が全て手書きスキャンだと死ぬほど読みづらいだろうし、書く方も大変だ。

本屋で太宰治人間失格』の手稿版を見たことがある。夏目漱石の何かだったかもしれない。正確なところは覚えていないけれど、赤が入っていたりどこをどう書き直したのかの形跡が残っていたりして、文献学的には面白い点がいっぱいあったんじゃないでしょうか。覚えてねえもん。

担当編集にしか解読できないような汚い文字を書く作家もいたらしいですね。

私の字は可読性に優れていますが、綺麗ではありません。

綺麗と読みやすいの境界線って、どこで引かれているんでしょうね。

認知科学とかの人に聞けばいいんでしょうか。そこまでして知りたいかな。

どうだろう。

 

煮物。

2日目。

味が染みている。

思わず笑顔になるほど美味しい。

煮物はある程度の期間、美味しさが上昇曲線を描く。

カレーと一緒である。というかカレーと煮物は近親者だ。極論両者ともに煮るだけでいいし。

ただ、ある一点を超えた瞬間から、衛生と食に関する器官に牙をむく。

要するに腐る。

肉を冷凍することには一切の躊躇いその他雑念はないけれど、おかずというのか、何かしらの料理を冷凍することに、形容しがたい抵抗がある。

多分、一回やってしまえば氷解してしまう類の根拠のない嫌悪感なのだけれど(冷凍なのに氷解とはこれ如何に)。

かぼちゃの煮物を大量に作って、確か4日目くらいだったと思うんですけど、白い綿みたいなのが生えておりました。その周囲だけ取り除いて食べたような記憶があるが、餅を見れば分かるけどカビは文字通り根が深い。幸いお腹を壊さずに済んだけれど、食べた理由は「せっかく高い鶏モモ肉を使ったんだから捨てるのは勿体ない」だったはずです。私が食べるなら多分そう。

かつて2日目の味噌汁が腐った時も、家の前の側溝に捨てたもん。「雨降るだろ、この後」という恐ろしく適当な理由で捨てた気がする。今この場で懺悔するけど、すいませんでした。ちなみに、本当に雨が降った、はず。

全ての元凶は、6月に常温放置していた私なんですが。食べ物の英霊、本当にすいませんでした。

 

書きぶりが曖昧なのは、こうして日記にでも書かないと本当に何も覚えられないからです。日々に変化が必要って言うのは、多分刺激とセットで覚えるから。

『わたぱち』のような人生ではなく、真水のような人生だ。

誰か炭酸入れて。