昨日の日記のタイトルに自分で笑ってしまった。
負けた気がする。
大学の先生に「頭の中が中学生だな」って言われたけど、なんかあれを思い出すな。
いいじゃないですか、言いたいことを書くくらい。
書かせてよ。
水曜日がタスクのデッドラインなので、そこまではなるべく料理に時間を掛けまいと、鯖燻製とチキンフライを晩飯用に買ってきた。計算上は、これで4日は十分に持つはずで、つまりこれがなくなった時すなわち束の間の解放というわけで、これは一種の檻の中の食事と言える。自分を縛る餌。
やっぱり、ちゃんとしたご飯を食べないと心が萎むから。今はね、ヌテッラという朝の楽しみがあるからいいけどさ。
もう、一塗りいくらかなって考えながら塗る自分が嫌だよね。でも、こうやって育ったしこうやって生きてきたから、これからも食事の時には一口いくらかなって姑息な計算をしながら俺は生きていくよ。
たとえ目上の人にご飯を奢られる場面であったとしても、俺は一口単価が気になるからな。
もしも僕が「パンの上に弾丸を防ぐくらいヌテッラを塗りました!」と日記に書く日が来れば、きっとお金持ちになっているのです。
金持ちになったとて、いいもの食べるようになるわけじゃないから。今まで量を惜しんでたそれなりの食べ物を、それなりに惜しまなくなるだけだと思うな。
豚バラパックを細かくラップ分けして冷凍保存を考えるんじゃなくて、特売とかあんまり気にせず3日で一パック使うようになるだけだと思うから。
生まれ育った環境というのは、抜けないもんだと思うぞ。
いくら大きなカブが引っこ抜けたってね。
まあ、これは「生活水準を上げると元に戻すのが難しい」という、私の家庭的トラウマに起因するものなんだけど。
滅多に見ない顔でこの言葉を言っていた母の顔は忘れたが、とても複雑な気持ちになったのを覚えている。
難しいんだってさ。
俺は壊れた人間関係を修復するのとどっちが難しいのだか、いつも考えているよ。
生まれ育った環境、大事。
棚の中でバナナがバナナ臭を放っている。
分かるだろう、あの、なんとなくガスっぽい、スウィートスポットが浮き始めた頃のバナナが放つ、何とも鼻にかかる甘い、しかしガスっぽい香り。
前買ってきたやつは、どうやら「俺スロースターターっすけど、火ィ着くとすごいんスよ!」的なバナナだったらしく、昨日暮れから熟成がものすごい。
どうにか蕩け切る前には食べ終えられそうだが、バナナももうちょっと、こっちの都合と折り合いをつけてほしい。
「この日辺りからスポット出ますから」「ちょっと待って、そこは朝のデザートがヨーグルトの日だから、一日くらい遅らせられない?」みたいな。
バナナ会議を開きたい。
では。