他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ムーミンも、虚無ーミンって言いたくなる表情をしている。

ギリギリ人としての形を保った日だった、ような気がする。今日の出来事に対してさえ記憶が曖昧なので、非常にしばしば「気がする」と言っている気がする。体感は馬鹿にできないから無視はしないが、身体感覚と精神が日々ちょっとずつ、なめくじvsカタツムリのレースを見ているくらいゆっくりと乖離していっているんじゃないかと怖い。人間の活動の最小段階は、寝る起きる寝るの三段論法で終わってしまう事を考えると、それ以外は些末で取るに足りない事で、別に何を食べたかとか誰の事を考えたとか金額にしていくら使ったのかとか、そんなのは忘れてしまっても一向に構わないのだろうなと安心してしまいたい。だけどそれでもやっぱりミニマムはミニマムで、お腹が空かない最低限の量であるだけであり、決してお腹がいっぱいになる事はない。どこかにきっと、どうしても拭い切れない欲求の塊みたいなものが、鼻腔の奥で居座った鼻糞みたいに残っていて、満たされて動けない状態へと駆り立ててくるのではないだろうか。お腹がいっぱいになると眠くなり、眠くなると寝たくなり、寝て起きると次の睡眠へ向けて再び疲労を蓄積する過程が始まる。眠りに落ちて意識を失っている間は、ぐるぐると色んな事を考えて、脳味噌のメモリをわざわざ割いてまで、一人で勝手に嫌な気分になったりしなくて済むので、ずっと寝ていたいとか口が滑りそうだが、ひねもす寝ていると頭が痛くなるし吐き気がするし床ずれするしそれにやっぱりあの白く濁った意識の帳みたいなものが下りて頭がからからと空回りするだけのハムスターの滑車と化すので、眠りをシェルターとして擁護するにはいささかデメリットが無視できない。第一、眠っていると意識的にぼーっとできない。ぼーっとするのは、何割か意識的にするから意味があるのだと思っている。往来の脇にちょんぼりしたベンチとかに座って、有為の思考を9割シャットダウンし(完全にトリップすると、後ろから刺されたり首を絞められたりカバンをスられたり幸せの白い粉運搬人にされたりという危険性がある。自己防衛は大切だ)ただひたすらに、前方の空間へ視線を投げやる。たまに、道行く女性の尻を凝視している好き者だと勘違いされたり、思考の放棄を法外薬物のせいであると判じたポリスなメンに職とか務めとかを質問されたりするかもしれないが、そのような危険性の向こう側さえもぼーっと見遣る空白の時間が、主観が間違っていなければ、それなりの快感なのだ。物事の裏側に、親しめる何かを見出す事ができるのではないかと、住人の退去した理性の座で反響している。