他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

瀝青の性癖

「見るも無残」と言うが、無残だと、「残って無い」というわけだから、視覚によって知覚されるべき対象物がそこに存在しないわけで、それはつまり物理的に即物的な意味で「目も当てられない」という事ではないだろうか。奇しくも、いや私が詳しくないだけで奇しくもなんともないのかもしれないけれど、「見るも無残」と「目も当てられない」は全くではないにしろ同じ意味である。目から鱗とはこの事だろうか。そうでもないか。目からフケくらいなものだろう。……。眼球から頭部組織の搾りカスが排出されるとは、それ如何にという感じではあるが。目から鱗は、思ってもいなかったような視度からのアイディアなどに対して使われていると思う。青天の霹靂も近いと言えば近いだろうか。青天の霹靂もなかなか凄まじい情景を想定したぶっとび慣用句だけれども、それはともかく。魚の鱗を取り除く作業をした経験はあるだろうか。なくてもいいので、「魚の鱗がどんなものか」という一点のみに絞って、想像と経験に基づいた思考を巡らせていただきたい。……。どうだろう。十分に巡っただろうか。放流した思考が川を遡上して卵を産み付けに来ただろうか。そのコロンブスの卵を塩で美味しく頂きながら、話を聞いてほしい。ずばり。魚の鱗って、そんなに目を塞ぐようなシロモノではないと思うのだ。一枚一枚が小さくて、薄くてだけどしっかりして、とは言え色味が付いていたとしてもそれは半透明だ。そんなしょぼいマテリアルが眼球から剥離したとて、「うわあ! そんな事考えもしなかったよビックリすごいなあ!」とのリアクションには至らない気がする。比喩として物足りない気がする。瓢箪から独楽が出るほどに驚きはしないだろう。鱗が数万枚単位でレイヤーを形成した、めちゃくちゃごつい鱗のカタマリがごろっと剥がれれば、それは目から鱗だろうが(それ以前に、そんな文字通り目の上についていたたんこぶがいなくなった事で覚える爽快感の方が上回りそうな気もするけれど)、小指の爪ほどもないような欠片が視界を塞いでいたところで、多少の不便こそあれ、決定的な思索を妨げるほどの障害にはなり得ないだろう。龍鱗ほどにイカしたブツであれば話は変わってくるだろうが、お魚の鱗では少なからず大いに心もとない。もし眼球が女性のおっぱいだとすれば、乳輪くらいしか隠せていないだろう。そんな格好で外出に乗り出せば、それは痴女である。なぜおっぱいを見て嬉しくなるのかといえば、それが普段は覆い隠されていて捉える事が叶わないからに他ならない。おっぱいという大発見を妨げるのに、おっぱいという大発見の価値を高めるのに、鱗、お前ではこの役目を務めるに足りない。これから以後は、目から鱗ではなく、「目からブラジャー」が辞書の項に立てられるべきなのだ。