他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

冷やし中華が夏に始まるなら、冷やしフレンチは秋に始まるのか。

夏を物語るアイコン、記号の一つに、「氷」の字が書かれた看板(看板というよりは布切れ?)がある。背景で、海波がざっぱーんしているやつである。どうしてあれだけで「かき氷」を指すのかいまいち分からなかったのだけれど、今日ひとつの閃きを得た。もしかして、あれは判じ絵的な性格を持ち合わせているのではないだろうか。というのは、「かき氷」=「欠き(「かき」を欠く、行為として氷を欠く)/書き氷」というダジャレによって、「氷」一文字が「かき氷」を表していると考えると、腑に落ちるからである。これが極めて推測外れな、明後日の方向を向いた誤射であったら目も当てられないが、その時はその時で全く関係ない道筋からでも目的地に至る事はできなくはないという教訓を得た気分になるので問題ない。都市伝説などもそういう類だが、机上の空論は、机上では実体が少なからずある。対話相手が着席してくれるかどうかは全く別の話だけれど、同じ土俵の上に立つ限りでは無視できない実論のひとつなのだ。主観的現実とでも言おうか。同じカメラ視点を採用してくれるかどうか。また別の話をすると、「すきやばし次郎」と「先走り汁」は同じリズムで構成されている事を発見した。人目につかないところで、「すきやばし次郎」「先走り汁」と交互に口にしてみると、とても口馴染みが似ている事に気がつくだろう。気がつかないならそれまでの話だけれど。いまいち感覚をつかむのが難しければ、「すきやばし次郎」「先走り次郎」の組み合わせで実感してから本番に臨んでみるのがよいだろう。先走り次郎とは何ぞや、と立ち止まる暇があったら、音の類似に思いを馳せていただきたい。高級料理店とちんちんの分泌物が、音の平面だけとはいえ近場に存在する事実に、くすりとする心の余裕があるかどうかであなたの人間としての在り方が如実に現れるのだと主張しておけば私が変な事を考えてもっともらしくプレゼンしているだけだという責めを塞げるだろう。風呂の水道管がかんっぜんに詰まったので、ドラッグストアでパイプの汚れを溶かす系液体を買ってきた。私はパイプユニッシュに馴染みがあるのだが、それではないので回りくどい描写を強いられる事となった。千円くらいはするかと身構えていたら、三百円くらいで十分なものが買えた。安い。想定よりも詰まりがひどく、ボトルの7割くらいを消費してしまったが、なんとか流れるようになった。重畳重畳。もも水は変わらず美味しいままだ。