他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

せんとうにとつにゅうした!

近所の銭湯で入り口の扉が開いていたので、通りすがりに中を覗いてみた。「おんな湯」「おとこ湯」と書いてあった。私は「男湯」「女湯」と漢字で書いてあるごっつい方の表記しか知らないので、ひらがなで可愛らしくプリティに示されているのは記憶の限り初めて見た。こども銭湯のようではないか。とても微笑ましい。しかも、青く染められた暖簾の「男湯」、赤く染められた暖簾の「女湯」ではなく、白いちゃちな厚紙にマジックで手書きされた、ひょろひょろの「おとこ湯」「おんな湯」なのだ。湯という漢字が教育指導要領において小学何年生で習う漢字なのかすっかり忘れたし改定に次ぐ改定に見舞われているから想定するのも面倒であるが、小学生ちびっこ温泉だ。「おとこ湯」じゃなくて「おんな湯」に入っても怒られないんじゃないかという気さえしてくる。きっと、それはそれは怒られるだろうけれど。ひらがなの持つ柔らかさを、ぷにぷにでふわふわな柔肌のような柔らかさを感じる、とても素敵な表記だった。何と言うのか、幼ボイスで「こっちは、おんな湯、だよ!」「こっちは、おとこ湯……だよ……///」と案内されているような気分になれそうな気がする。そんなガイドをしてくれるなら仕方がないのでおとこ湯に入る。おとこ湯が俺を呼んでいる。「見るも無残」という、完全敗北しボロ雑巾と化した状態を指す、できればそんな形容をされないでいたいものである言葉がある。無残だからである。「残」って「無」いのだ。塵も埃も残さず、跡形もなく色んなものが消し飛ばされた状態、それが見るも無残な敗残である。しかし、それはそれとして、史上最悪最強のラスボスを皆の力を合わせて木っ端微塵にしたかのような容赦の無さはともかくとして、残っていないのに見る事ができるんかいなというせせこましいこすいツッコミをしたくなる。したくなったので、した。したかったので我慢せずにしたわけだが、自宅で大便をするのに躊躇する理由は水道が止められている以外にない、見るも無残とは解題すれば「見てみた、すると何も残っていなかった」という事なので、全く問題はなかった。見るも哀れとかではなく、見るも「無残」という無駄にかっこいい響きと字面を持ってきたのが、考案者の性格の悪さを表しているかのようだ。必殺技っぽいもの、無残の2文字が。たとえボロカスに負けて風前の灯で這いつくばっていても、そんな状態のお前など目に入ったうちに入らんよ、という勝者の余裕。そうまでして踏みにじられ、なお抗い立ち上がる気力を残しているのはフィクションの主人公だけなんじゃないだろうか。