他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

賽銭箱の中も空っぽではある

頭の中がものすっごい空っぽだった。住人が引っ越した直後の5畳半で、紙粘土で作ったビー玉が(ビードロの玉でビー玉なのだろうから、おそらく正しくない。紙粘土で作った球体が)からころとはねっかえっているだけだった。窓ガラスを突き破って投げ込まれてくる石でさえありがたく思いかねない状況だったが、石も火炎瓶も矢文も何も飛んでこなかった。いくら数字でタフネスを表象しているとはいえ、重い負荷がかかるとそんなものでさえみるみるごりごり減っていくのを見ていた。どんなに篤志家であっても、度重なる出費の「度重なる」が天文学的増大の余地を残している状況にあってはいつまでも安穏としてはいられない。喉元まで水がせり上がってくるのは意外と早い。理想としては、部屋に水が雪崩れ込んできた時点でそこから逃げ出す事が出来れば一番ではあるのだけれど、実際には逃げ出すという選択肢が潰されていて、大人しく息を止められるか悪足掻きに訴えるか、壁をぶち破る腕力が備わっていれば新しいルートを力づくでこじ開ける無茶へと飛びつかなければならない。どれでもなかった場合、仮死状態になってぷかぷかと密室に漂っていて、ふとした瞬間に誰かがドアを開けて排水してくれるのを待つしかない。助けられた恩義さえ忘れて、クラゲのような生活を奪われた事に憤りを感じ逆上するかもしれない。生きていないのも楽ではないが、生きているのも楽ではないので、生きているんだか生きていないんだか分からないどっちつかずの揺籠から放り出されると、どうしていいか分からずとりあえず逃げる。洗面器かバスタブか分からないけれど、また息を止めてじっとするための場所を見つけにいく。見つけるまでは必死だが、見つかると必死をやめて死んだように生きる事ばかりを考えるための粗雑に閉じた境界の中に引きこもる。くす玉を開くための糸を中に引き込んで、たまに怖いもの見たさで引っ張ってはみるが、眩しかったりうるさかったり、くす玉で祝うような、くす玉で祝われるような状況が得意ではない事を思い出すので、紐は使わない炊飯器のコンセントと同じように放り投げておく。スウェットのズボンが緩くなった時に、ハサミでちょん切って使えるようにしておけば安心していられる気がする。くす玉が割れた時は、糸を伝って人目につかないうちに下へ下へと降りておこう。カンダタ蜘蛛の糸を登って救われそうになったのならば、下に降りても変わりはない。おそらく糸は自重でちぎれるからだ。