他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

かき抱いたぬいぐるみの話を

逆上した時に、しばしば「お前に〇〇の何が分かる!」と叫ぶ場面が見られる。心の祭壇に抱いているものへ、そしてそれが脅かされている時に、近づいてくるものは何であれ怖いし恐ろしいし、排除排斥の念を抱くものだ。そうでないなら、なぜそれを心の祭壇に納めたのだ? 大切にしているものから遠ざかる歩を刻む足などいらない。ここまでは正直どうでもいい話なのだが、もし仮に「お前に〇〇の何が分かる!」と言われたら、私は「確かに〇〇の事は全然分からんな。領土侵犯して悪かった。ごめんちゃい」と引き下がってしまうだろうと思ったのだ。的外れな返答で敵の隙を誘い出し、好機を逃さず優位に立つキャラのような、知能の伴った計画的な言動ではない。踏み入られると嫌な領分に入られたら、それは嫌だろうなという至極当然の帰結から導き出される撤退である。フィクションだと、「お前に〇〇の何が分かる!」と来れば、次には「落ち着け」というなだめすかしが続くか、「馬鹿野郎!」という対話相手の心中にわだかまる諸々の要素を無慈悲にも血も涙もなく蹴っ飛ばす短慮な罵倒が飛ぶかのどちらかが多い気がする。「お前に俺の何が分かる!」で「馬鹿野郎!」と言われたら、私はそいつとは一生金輪際関わりを断ち切りたいところだが、どういうわけだか、迷いを吹っ切る手伝いをしてくれたという方向の美談に落ち着くものがままある。俺でないお前に俺の事が分かってたまるかと思うが、しかし自分の事が自分でもよく分からないため、自身ではとてもではないけれど「お前に俺の何が分かる!」とは言えない。「お前に俺の何が分かる!」「俺はお前じゃないからお前の事は分からない、だけど」「俺も俺の事は分からない。困ったな」という実りのない不毛な会話を繰り広げてしまうと思うし、現実でもしばしばやっている気がする。「どう思いますか?」と聞かれても、内心「さあ……?(何を言っているんだこいつは)」と思いながら、状況を拾い集めて適当な答えをぶん投げているため、理解とそれに伴う発展に対して積極的な感情が湧かない。だから、「お前に〇〇の何が分かる!」と言われてしまうと、知らないし分かってないしそれに対する思考も進んでいないし、口を噤まざるを得なくなる。私は知識の多寡について、鼻をかみ終わったティッシュくらいのものとしか思えないのだけれど、それを大事にしている姿勢を見せられると、それはお前の心の祭壇に入っているものの一つなんだな、と思う。