他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

チャックに挟まるあいつらは食べられる事なく捨てられるから不憫

ここしばらく、ふりかけの『のりたま』が頭から離れない。ふとぼんやりする事の手綱を緩めると、脳みその隙間からにょろりと緑と赤、黄色のパッケージが顔を出し、リーダーであるニワトリを先頭にヒヨコ達が駆けていく。リーダーと形容したのは、先頭のチキン野郎がオスなのかはたまたメスなのか分からないからである。もう一つ付け加えるならば、私が言っている『のりたま』は丸美屋のあれである。『のりたま』は登録商標らしい。ポリバケツと同じレベルで、「たまご(?)にノリとかゴマが混じったふりかけ」を指すのに用いているが、きちんとその点は先制していたようだ。緑、赤、黄色の3色を挙げると、そういえば、永谷園のお茶漬けも基本色はそれら3つである。だからどうという事はない。のりたまを一度に一袋の3分の1くらいドバッとかけると、少しだけリッチになった気分になれる。最後の方までふりかけがなくならず、いつまでもふりかけの味がするからだ。しかし、よくよくセコい計算をしてみると、「納豆3パック=約90円」に対して「のりたま1袋=100円前後」という事実は重い。なんなら、のりたまをリッチに3回使うよりも、納豆を乗せてご飯を食べる方が一回あたりの値段が安いということになりかねない。納豆は特売されるが、ふりかけの特売というのはあまり見たことがない。実に懐が小さく甲斐性のない計算であるが、そもそも考慮の対象に「おとなのふりかけ」が入っていない時点からそれは察していただきたい。内容量に対してのあの値段は、ふりかけ界の一大詐欺師だと思っている。おとなのふりかけを一切の躊躇なく買う事ができるその段階こそが、大人になるという事なのだろうと割と本気で信じている。確かにおとなのふりかけは美味しいと言えば美味しいのだが、それで得る砂金のような満足感より、田中食品『旅行の友』をぶっかけた鰹くさいご飯から得る、子供が大事にする泥団子のような満足感の方がずっと分かりやすく腑に落ちる。旅行の友のパッケージを久しぶりに見ると、なんとそう言えば、こいつも赤緑黄というカラーリングの装いであった。のりたまといい旅行の友といい永谷園のお茶漬けの素といい、ご飯の相手をするにはこの3色をものにしなければならぬという「ご飯の友連合」の間で交わされた協約でもあるのだろうか。妥当なところでは、小学校の家庭科あるいは食育の時間で習った、食品を栄養ごとに分けた「赤(肉とか)・黄(炭水化物)・緑(野菜)」の3フィールドに対応しているのだと思われるが。