他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

ハイテックは微妙

今現在のキーボードの打ち心地がとてもよろしいのですぐ忘れそうになるが、文字を手書きするのは好きである。短編とかコントを考える時は、ノートにユニボールシグノで書いている。ユニボールシグノという点が大切だ。ジェットストリームやゼブラの他のなんかではなく、ユニのシグノであるというそれが重要なのだ。太さは0.38。0.5だと、軸先がノート紙面に引っかからず安定した筆記を望めるのが利点であるが、個体差によりインクがドバドバ出てインク溜まりを形成する可能性が否定できないのが難点だ。なぜなら、ノートは横書き、すなわち左から右であるが、私は左利きだからである。びゃーっとなるのだ。縦書きは、横書きで文章を書き終わった後に版面に貼り付けて印刷してみるとしっくりくるのだが、一次筆記の形態としてはなんとなく違和感が残る。確かポメラ(高いモデル)は縦書きが可能だったはずだが、せっかく横に広い液晶を縦に使うのも気にならないではない。しかし、まあ、横に長い=行長が長い=行あたりを読み返すのにかかる手間(目だけど)が多いということだから、ちまちました縦行を横に並べた方が、情報効率的にいいのかもしれない。何と言っても、そのやり方を採用しているかどうか、継続して採用し手に馴染んでいるかどうかが大切なので、やらずにごたごた言っても仕方がないといえば仕方がない。やってみて、あとは仕上げをごろうじろというあれだ。で、手書きをしていると、日によって「今日は手書きの調子がいい日」「今日は手書きの調子が悪い日」というのが存在する事を感じる。中学、高校などはノートに何かを書くのが日課というか職業みたいなものだから気がつきにくいけれど、その段階を越すと紙に筆記具で向かい合うという行為が珍しいものになることもあったりなかったりし、匠の熟練の技とはまた違う、繰り返し訪れ得るビギナーズラックみたいなもので感覚の違いに気づく。今日は、なにか今ひとつ手首の動きがよくない日だった。体全体がどういうわけか物理的筆記に向かえ全身の号令を出されている時はいくら書いても疲れず楽しくさらさらいけるのだが、どうもこう歯車が噛み合っていない感じがした。毎日やればいいのだが、それには「うん」と返す他ない。うん……。寒かった。居間の扉を閉めた。昼飯として、素パスタに鍋キューブ帆立と海鮮ダシを砕いて粉末にして食べた。原料である帆立の生臭さがやけにリアルに香り、絶妙に食欲を削いできた。