他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

イワシの信心

カプリコのあたま』を食べた。厳密にはカプリコはアルファベット表記なのであるが、カプリコに対してそこまでの思い入れはないのでカタカナで書いておく。書いてやる。今晩、悪夢の中にカプ助が出てきて私を苦しめるような事もあるかもしれないが、そこまで確率は高くなさそうなので考慮しない。朝起きて、枕がカプリコでべっとべとになっている、とかは嫌なので勘弁してほしい。カプリコのあたまを食べた。味は正直、元々のカプリコをそんなに食べた覚えがないし、はっきり言えばうろ覚えなのだが、商品の味云々より、その商品が入っているケースの方に意識を取られて、味どころではなかったというのが正直なところである。どういう事かというと、カプリコのあたまというくらいなのだから、カプリコのてっぺんの方、カップアイスで言えば蓋を開けてすぐ一番目立つとんがった部分、一番キャッチーなあそこだけを贅沢に取り出しましたよ(大トロ的な意味ではなく、その部分だけを生産しましたよという、「皆さんこの部分お好きですよね!?」という押し付けがましい大義名分に則って生産の手間を省く口実なのではないかという意地の悪い考えが浮かんだが、そんなことはなかろう)なので、確かにあの頭の部分だけを好きなだけ、内容量を定義域とする範囲でばくばく食べる事ができる。昔行った、卵かけご飯専門店(すぐ潰れた)を思い出す、素敵なコンセプトではないか。だが、そのブツが入っている容器のせいで、すぐさま「カプリコの一番いいとこだけ貪り食うぞムフフ」という思いは霧散する。外装を開け、中身をするっと取り出すと、取り出そうとすると、まずそもそも、一粒一粒がバラバラに入っているのではない。アポロとかポイフルみたいに、容器の中で個と個とが物理的に研鑽しあっているのではない。秩序立って、ピルケースみたいなものにはめ込まれて出てくるのである。脳みそが「???」となる。図解すると以下のようになる。

| 粒 | 粒 |

| 粒 | 粒 |

| 粒 | 粒 |

| 粒 | 粒 |

| 粒 | 粒 |

こんな感じなのである。それはもう、整列して出てくる。しかも、あたま達が埋め込まれたそのプラケースの上に、みっちりフィットするように別のプラ蓋が装着されている。カプリコのあたまと言うより、カプリコのあたまの標本と言った方が正確なのではないかと思ってしまうほど、パッケージングされた状態で外装に包まれていた。正直めちゃくちゃ食べづらい。「いいところだけいっぱい取り出したよ!」というパーティーなコンセプトと、相反するプレゼンテーションの仕方に、開発会議で何があったのだろうかと思いを巡らせた。