他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

低鳴る心とは言わない、なぜか

「ときめき」という語をよく口にするようになってしまった。しまった、と言ってしまうと、なんだか後悔しているような響きがあるので語弊があるが、特に後悔とか遺憾に思うとかそういうのはない。ただ現象として、ときめきを口にのぼす頻度が高まってしまったなあという程度である。今時の言い方をすれば、という前置きを見たのが既に相当前になってしまったが、今時の言い方をすれば「トゥンク」である。今流行りのコンテンツに乗っければ「トゥンクの叫び」であり、これを時間軸の逆の方向へと走らせると「世界の中心でトゥンクを叫ぶ」となる。ものすごく意味のない事をしてしまった感が否めないが、否定よりは肯定の方が前向きな心的影響を及ぼすものらしいので肯定的に捉えておくにやぶさかではない。国会議員の遠回しな、3回持って回ってワンと鳴くような言い方になってしまったが、またしまったと言ってしまったが(!)、ときめきという語をこっそり声に出したり心の中で反芻する事が増えた。ヘリウムガスでも飲んでみるかと思う程度には浮いた話がないが、心の隙間にするりと、ときめきという語が挟まってしまった。奥歯の間に居座ったニラやニンニクの芽、ほうれん草のスジと似たようなものだと思えば良い。歯に挟まるものの例として緑色の細長い物体ばかり挙げてしまったが、鶏肉の関節間際のコリコリした部分とか、魚の小骨とかももちろん挟まる。ものを挟むのに貴賎などない。フォアグラとかキャビアとかは挟まりそうにないが、アワビとかは挟まりそうである。高級食材も、食べカスまで小さくなって歯に挟まれば疎まれる存在になってしまう悲しい定めなのだ。まあなんか色々言ったが、ときめきに対してああだとかこうだとかいうのはない。ただ、「ときめきだなぁ……」「ときめきだわぁ……」という外的・内的発語が増えたというだけなのだ。ときめき……。毎度毎度通りかかるたびに、絶対客が入ってないんだろうなと思うと同時に、店先のメニューボードに「お店はいつも暇です」と嘆願なんだか自虐なんだか見ていられない書いている中華料理屋が、油淋鶏を「ゆーりんちー」と書いていた。多分漢字が分からなかったんだと思う。看板を表に出しているおばちゃんは、どう贔屓目に見ても漢字に強そうではない。ひらがなで書くと、ゆーりんちーって可愛いんだなと思ったが、「お店はいつも暇です」は「いつでもお席ご用意できます!」という大人の言い換えが必要だったんじゃないかな、と思ってもやもやする。