他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

使い捨て版:明日天気になあれ

電車が終着駅に着こうとし、さて立つかと前を向くと、私と全く同じカバンを提げている人がいた。瞬間的にものすごく驚いた。心の中のパラメータを示す表情指標が、瞬間的に30パターンくらい明滅した。とても気に入っているくせにどこで買ったのか覚えていないのだが、確か青春なバンドと同じ名前のブランドの製品だった気がする。カバンのくせに6千円くらいした覚えがある。可愛いので買った。私は自分が「可愛い」を許す基準がさっぱり分かっていないのだが、当人のくせに、それでもしかし、唐突に「あっ、これ可愛いじゃん可愛いじゃん可愛い〜」となる瞬間が訪れる時がある。現在年間350日くらい使い潰している可愛いカバンがそうだし、夏前に買った靴もそうだ。7年か8年か、あるいはそれ以上、実用性とデザインの最も優れた妥協着地点としてコンバースのスニーカーだけを頑なに買い続けていたのだが、実家近くのでっかい靴屋でふと見かけた、なんだかよく分からない、チェックとか色々入っているごちゃごちゃした筆箱みたいなデザインのスニーカーに突然可愛いがときめき、コンバースに特段の理由なく立て続けた操を放り投げた。買ったのは数ヶ月前だが、まだおニューとしておろしていない。「おニュー」も「おろしたて」も、もはや死語だと思う。直近の用例を思い出そうとしても、今みたいになるよりも3世代前のドラえもんスネ夫が言っていたような記憶がおぼろげにあるくらいだ。気に入ると、時宜を気にせずいつまででも使い続ける性分なので、あげぽよは未だに現役で口に上しているが、私があげぽよと言う時は相手の話をよく聞かずに、勝手に気分が高揚して発しているだけなので、内容についてのコメントとかではない。「なんか、こう、人と接してると何してるか分かんなくなりますね!」くらいの意味しかない。浮ついた足音を擬音に互換して発語した結果、なぜかあげぽよになるという事である。何ヶ月履いたのか分からない現在のコンバースは、前の雨で踵に重大な欠損破損がある事を浸水にて確認し、また歩いていても「完全にくたびれとるなコイツ」と分かるような感触を足裏に返してくる。この感覚、伝わるだろうか。もともと紺色だったはずなのに空色に成り果てている。どういうわけか、右足だけ非常に頻繁に紐が解ける。供養の時が近いのだろうなと思いながら歩く様は、まるで、晩熟まで連れ添った熟年夫婦のようではないか。スニーカーを捨てる時って、燃えるゴミでいいのだろうか……?