他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

別居状態のラーメン家夫婦

蛇口が欲しいなと思う事が多い。溜め池になると、水の入れ替えが激しい場合には問題ないのだけれど、stagnantであり人里離れた森の奥で毒ガスを排気しているような沼においては死活問題である。手入れをしないから錆が混じって味がよくないし、貯水タンク的な場所には苔が生えて水が臭くなる。雨水を溜めるのであれば、水中に含まれるゴミを分離するための時間と手順が必要だ。尿だって、摂取したそのままに体外へ排出されるわけではない。さまざまな検閲と身体改造を経て、「おそらくこいつはこの建物に入っていったあいつだと言って確からしい」という程度まで変質して排泄される。その場所の水を生活用水として利用する立場にあるならなおさらであり、その水で蕎麦を打ったりかき氷を作ったりするのであればなおさらの事なおさらだ。蛇口が欲しいな、と思う。ここ3日連続の経験から、「鳥手羽元を味噌で適当に煮込むと下手に味付けを凝るより美味い」という命題がほぼ完全に真になりつつある。味噌がダシ入りなのが有効なのか、鳥手羽と味噌の相性が瞬間的に抜群なのかはさっぱり分からんが、ともかくクックをドゥしたりテーブルをマークしたり味を素したりしなくてもめちゃくちゃに美味いので、どうしたことかと目を疑う。舌は疑わない。美味いから。居酒屋で手羽元の味噌煮つけが存在するのかどうかは酒が飲めないのでこれまた知らんが、うまく出せばかなりの高利率で人気メニューにまで押し上げられそうなポテンシャルを感じたくなるほどの出来栄えなのだ。年末に実家に帰ったら、母に作ってみて感想を聞いてみよう。麺類が食べたいので麺を入れるが、うどんとかではなくつけ麺用の麺をつけ麺にするのではなく鍋のシメのラーメン的に入れる。つけ麺に対しては、結局スープ(つけダレ)に浸る事になるのだから、わざわざ皿を分ける意味を見出せない、洗い物が増えるし厨房の手間が増えるだけとの気持ちが拭えないため、つけ麺を人生で相応に処遇できるようになるにはまだまだ時間がかかるだろう。一軒家で衣食住が住むのに、なぜかお手洗いだけを別置しているようなものなのだ。離れのトイレに行く事に喜びを見出す人もそりゃあいるかもしれないので結構な事ではあるのだが、冬に風吹きすさぶ廊下を歩いたり、もっちゃうもっちゃうもうもっちゃうと思った瞬間に比較的そこにないのは気にならないかと言いたくもあるだけである。つけ麺って最後になぜか割りスープがあるが、ライスが一緒に出てくる店とかないんだろうか。