他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

断捨離の結果、離れていくのはお前の方かもしれない

それはそれはいっぱい溜まっていた、食品トレーとか牛乳パックをリサイクルボックスに突っ込んできた。「家からスーパーに」行く機会はあったものの、家からそれら回収資源を持って行く事を完全に失念していたので、2ヶ月くらいの間に渡り、冷蔵庫の上と面前を圧迫していたのである。料理する時の動線には被っているのだが、買い物に出かける時の動線には被っていない。それゆえ、「今日はあれとあれを買わなければ……」と考えながら出て行く時に、すっかり脇目を振らずに外出していたわけである。目に見えないものは存在しないに等しいと時に言われる訳を、身体で感じている。その上、どういうわけでそうなったのか時間軸を遡上して昼間の私に詰問したいのだが、家に帰ったらもう半分の牛乳パックの束が残っていた。なぜかは分からない。一瞬、「俺が回収ボックスに入れた牛乳パックが、親愛の念を捨てきれず家まで戻ってくる超常現象に見舞われているのか……?」とかなりの強度を持って思ってしまったのだが、おそらく「もともと切り開いてあった牛乳パックの束」「出かける前に急いで切り開いた牛乳パックの束」のうち、後者だけをひっつかんで出かけて行ったのであろう。愚かな人間である。安くなっていたから買ってきた、コショウとガーリックがかかった味付き鶏肉に火を通して食べてみたのだが、肉の質はアレだし脂がものすごいしで今現在めっちゃくちゃに気分が悪い。内臓の中に、擬人化した泥が正座しているかのようだ。泥を擬人化する必要はなかったかもしれない。かなり気分が悪い方である。見た目からして調味液にずぶずぶに浸っていてやばそうだなと察知してはいたのだが、しかし人は見た目ではないとも言う。その言や良しとして果敢に挑んでみたものの、帰結するところは蛮勇であった。無機物の見た目は大事である。あまりにもアレすぎるので、最後の方はラップで包んで丁重に廃棄してしまった。肉と思うに難い肉と脂をコーティングした皮の結合体を前にして、胃袋と脳味噌が徒党を組んで意識にストップをかけた。「そこまで頑張って食べ切る事を目指すようなものでもない」、と。なかなかのブツを、鶏ももの正肉2枚で生み出したものである。ふう……。日が落ちるのが早い。ん、まだ明るいやないかと思って30分ほど窓から目を離すと、あっという間に洗濯物が夜闇に紛れて見えなくなっている。日が変わらんとする更けの時間に、貸し駐車場の空きスペースにあぐらをかいて酒を呷っている女性2人組を目撃した事を思い出す。