他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

面の皮だけ厚い餓鬼

一見とっつきにくい人が、少し馴染んでみると意外と親しみを持てる人で、もう少し接近してみようかなと思ったところ実はもう一段階向こうは最終障壁を用意していて、そのボーダーを越えるか越えないかがその人を味わい尽くせるかどうかにかかっている時、どこまで労力を割いてその人と向き合うべきだろうか。夏ミカンのめちゃくそにゴツくて分厚い皮に包丁で切れ目を入れて、房の薄皮をちまちま剥ぎ取りながら、私はそんな事を思っていた。とっつきにくい人というのは、えてしてファーストコンタクトからインパクトを惜しげなくぶちまけてくる。例えばそれは、夏ミカンの厚皮を剥こうとしたら、緑と橙が混じった液体が掌全体に惜しみなくぶちまけられたように。少し心を許したかと思えば、まだそこにはかすかに感じられるしこりが残っている。それは例えは、取り除かなくても食べられはするが、賞味する意識を阻害してくる夏ミカンの房の薄皮のように。私は夏ミカンを食べながら、とっつきにくい人間について考えていた。そして今それを文字に起こしながら、これって私の事ではないかと思い始めた。手にものすごい「柑橘汁」の香りが残存している。胸いっぱいに吸って吐いたら、先程の労苦をミリ単位で思い出してしまうような、濃厚な格闘の思い出である。格闘家は、愛用する防具の匂いで、自分が今まで闘ってきたファイトの数々を想起するのだろうか。私の手からは、手荒れに酸性の雨を降らせ焦土と為さしめたところの柑橘野郎が吹き出した毒霧の思い出が濃厚に残っている。なぜか血が出ている。電車の駅に向かっている途中、腕を組んでいるカップルを見た。仲睦まじく、大変喜ばしい事である。この世界が愛で満たされれば、……。どうなるかは分からないが、悪い事ではないはずである。多分。腕を組むというその行為に対して今更何を思うというわけではないのだが、目前の現象を即物的に解釈した結果、頭の中にひとつの違和感が生じた。「男が女の腕にひしりと抱きついているこれは、私が見慣れているところのそれではない」、と。女→男の方向性で成り立つ腕組みは、それが世の中で最もよく目にする組成様式だと思うのだが、男→女の向きで構成されるその結合体は、よく考えたら頭の中の「腕組んでる人間ライブラリ」にサンプルが収められていないのだ。もしかすると私は、世にも稀なドッキング風景を目の当たりにしてしまったのかもしれない。男→女もいいと思うし、私はそっちの方が好きだ。