他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

大福餅の他には中小もあるのだろう?

昨日発作的にいっぱいコントのDVDを買ったので、それを観ていた。一人の人間でも、色んなものを書くものだ。本を買う癖は昔からあったので本を収納、あるいはそこに存するだけのスペースを設けるのは無意識のうちにやってしまっている事なのだが、映像ソフトというか、CDとかDVDは大量に買って持っておくという経験をしてこなかったので、今現在机の上にバナナマンのライブDVDが散財する惨状に成り果てている。何かをしながらコントの音声を聴く、という作業BGMみたいな流し方をしているものだから、展開は覚えているがそういえば身体的な動きではここはどう表現されてどんな身振りがついていたのだったか、という点は覚えていなかったりする。コントとかを観ていると、セリフはほぼ一字一句決まっていて、それに身体が伴って読み上げられているだけなのだが、そのはずなのに、その瞬間瞬間に生起した未熟な肉声に聞こえる。本当に、書かれた文字列は音のついた文字列に勝てるのかどうか不安になってくる。勝ち負けとかではないのかもしれないけれども、後発のデバイスが先達に敵うのはとても難しいという事の証左かもしれない。線画と完成グラフィックのどちらがより訴求力を持つかといえば、大概の場合において答えは圧倒的に多数の支持を得て決する気がする。emissionが少ないから、こういう事を多分考えるのだ。温室効果ガスと違って(まあこれに関しても諸々立場による言い分があるけれども!)、これは恐らく出した方がいい、出せば出すほど旨味があるそれなのだ。洗濯物を干そうとして、7つあるべきハンガーが6つしかなく、しかも出窓からの可視域を見渡してもどこにもその痕跡が見つからなかったので、「あ、これはパクられたのかな」と合点した。室内の在庫と洗濯済みの在庫、これらを照合してみると、海外のH&Mで買ったクソでかくて分厚いバスタオルが一枚見当たらないのだ。前の家では、ベランダの物干し竿にかかっているハンガーが不可解に消失するという現象に見舞われ、結局カラスが巣作りのために持って行っていたという真実を目撃して解決した。今の家は柵で囲われたスペースに出窓があるから、闖入者がわざわざ侵入してこなければ失物の憂き目には合わないのだ。どこの不埒野郎だこのヤロー、と思いつつすべて干し終わり、ふぅと息をついて出窓の真下に視線を下ろすと、壁ギリギリ、出窓直下に落ちてくたれたバスタオルが見えた。私の中では性悪説が基本原理らしい。