他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

食い破られて、核が流れていったのかな

一日に3個もシュークリームを食べると、シュークリーム、てめえは食べ辛いなこの野郎と思った。最初の3口くらいはいいのだけれど、残り約6割程度まで食べ進めてしまうと悲劇が起こるトリガーがそこかしこに芽を出すようになる。ぽっかりと大きく口を開けたシュークリームの断面にかぶりつこうとすると、お尻の方にあるクリーム注入穴から、あるいは口の中に入りきらなかった断面から、室温になって溶け出した内容物がだらしなくだらだらとこぼれていく。じゃあひっくり返してまだ無傷な面を探してそちらから攻めていけばいいのかと言えば、アホみたいに開口した間口から同じく中のクリームがだらだらだらだら、汚れるものが汚れていく。どうすればいいんだろう。シュークリームのクリーム部分が少ないと、スーパーで108円くらいで売っている、冗談みたいにカサカサでカサブタくらいの量しかクリームが入っていないパチモンを食べている気分になるし、いいものを食べてもクリームが大盤振る舞いで入っているとメスイキしたのかと思うほどだばだばこぼれてしまう。美味しいね〜、美味しいね〜、とだけ考えていれば済む話ではなくなってくる。端的に言うと、気が散る。一緒のもらってきたセブンイレブンのサンドイッチは、レタスが死んでいてハムからは何の味もせず、パンは砂を噛むようでチーズがねとっとしていた。たまに生活感が教えてくれる事だが、値段と質は大体においてまともに比例する。私の周りには、実家が太く精神にゆとりのある人間がいる。物腰から違うというか、人間としてのせせこましさから全く異なり、ふへっ、と敗北の息を吐いて、それから後はこちらからはどうしようもない。悠と窮では、どちらが勝つのか火を見るよりも明らかである。窮という字は、今気付いたけれど、すごく情けなくなる構造をしている。身体が弓なりになるほど、なんかに乗っかられている。姿勢から、生き方から負けている。焦点が定まらない、乱れ打ちのような会話についていく中で、ある人が、ある場面で、この人たちとは人種が違うなと悟り、戦意を喪失してやめていったのだという話を聞いた。身にはつまされなかったが、息の詰まる思いがした。とぉっても優秀な人だったが、幻が剥げた時というか、ナマの地を踏んだその感触に全てを吸い取られ、今までを放り出してもいいとの心持ちになったという事である。ふと何のきっかけもなく、常軌から出発する人は、なにかの拍子に、心に映るなにかが屈折してしまったのだろうか。