他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

一生、冷めてしなしなになったコロッケの衣しか食べられない体にしてやる

あったかかった。あったかくなってきたのか、ただ今日がたまたまたまさかあったかかっただけで、明日にはまたぞろ手の平を返すのかどうか未知だけれど、今日はあったかかった。とは言っても、ただ寒くないだけという意味であったかかっただけであり、ポカポカしていたわけではない。金が無いわけではないが、潤沢にあるわけでもない状態と同じである。家の中でさえ1000歩も歩いていないのではないかと思えるゴミみたいな日だったが、とりあえず開高健短編集は全部読み終わった。ボーッとしていて図書館の返却期限をとうに過ぎていたが、明日返しに行く事としたい。恐ろしいまでの地の文であり、後ろにくっついていた解説を読むと、その所以が何となく察されて、なるほどと少しばかりではあるが合点がいった。鉄片で生肉を抉るような文章だという印象は、頭から最後まで変わらないままだった。そのくせめちゃくちゃに想像的な比喩が紛れ込んでいるのだから、一筋縄ではいかない。この間スーパーで牛スジを売っていたが、下手な味付けがされていたので買わなかった。したたかというか、厚みと重みを伴って迫ってくる文章は、布団の重みと似たようなもので、ある程度までは心地よい。ネスレの抹茶カフェラテというスティック顆粒タイプのそれを買ったものの、湯で溶かしても、コーラから甘みと炭酸を引き抜いたような味というか、全く中核がどこにも感じられないぼんやりしたノイズ未満の苦味しかしなくて、正規の分量を逸脱し2本分投入してみたところでそれは相変わらず、これがあと数十本あるのかと思うと気が滅入りはしないがしょげる心持ちではある。こういうインスタント飲料の素みたいなのを買って飲んでみるたびに、いかに完成品の清涼飲料水が完成しているのかをまざまざと感じる。よほどカスみたいな商品でない限り、コアとなる部分の味だけはしっかりしている。紙パックに2リットルも入って80円前後で売られているような、どこの馬の骨の出汁とも知れないあのあたりのゲテモノは別だが、およそ買ってまでして飲む水分は確かにその値段だけの価値はあるのかもしれないと、その価値を量で薄めたものに触れると思う。でも、ジュースは買わない。どうしても、水筒にヤカンで沸かしたお茶を入れていく。一日に2本くらい、ジュースのペットボトルを消費する人はごまんといるはずだ。飲料業界がどんな風に回っているのか全然知らないが、私みたいなやつが少ないから新商品を出したりできるのだろう、多分。