他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

じゃんけんは全てグーが勝つと言ってくれ

貯め込んだ、あるいは捨てるのを忘れていて堆積したビンを回収に出した。ビン本体はビンだが、ビンの蓋はカンである。回収業者はその辺に敏感なので、ひとつひとつ手作業で心を込めて丁寧に蓋を捻り外して分別した。ラー油だとか豆板醤だとか、鯖そぼろだとか、ここ数ヶ月で自分が辿った調味料の軌跡がよく分かり、だからと言って胸に去来する云々が特別あるわけではないのだが、大量に貯め込んだ物を一気に放出するのは開放感というか一種のエクスタシーじみたものがあり、ダムの建設をゼロから観察し、一年間貯め込んだ水が一気に吐き出されるところを見ると似たような感慨を得られるのやもしれない。淡々と日々が経過し、いつの間にか残高が増えている預金通帳も同じようなエモーションを寄越してくれるかもしれないが、満たされるほどの額が残るほど立派な生き方をしているわけではないので実証は難しい。お金は確かにいっぱいあって困る事はないが、決してないと思うのだが、それはそれとして、数字として積み上げられるお金は、使わずに貯められて残っていくわけで、将来への配慮保険という意味合いも少なからずあるのはもちろんそうだが、私みたいなしょぼい金銭感覚からするとどうやっても蕩尽できない金額を一人で有している現実もそこにはあり、そのお金ってなんなのかな、と考える。ショッピングモールの立体駐車場がいっぱいになるくらいの車を持っていて、「こんなに車を持っています」と言われても、「別に1台、せいぜい2台くらいでよくない?」と思う。トヨタのそれなりの家庭車でいい。持てる限りの車を駆使してリース業を営んでいるのか、もしかしたらいっぱいの車は全部軽トラやトラックで実は物流に大きく寄与しているのか、世界中の車を集めてミュージアムを設け技術的啓蒙に勤しんでいるのか、そこには色んな使途があって、所有する本人が何を望んでいるのかは分からない。とんでもない物量を持っている理由が分からないのは、本能的に怖い。店に、周囲と雰囲気があからさまに違う人がいた。cut a figureという英語があるのだが、まさにそれで、輪郭に沿って存在がエンボス加工されているかのようだった。そこにその人のプレゼンスがある事に、一抹の不安もなく、正々堂々と真っ直ぐに「あった」。ひょえ〜と思いながら気にしていたのだが、あとで店長から話を聞くと、私が知っている数少ない俳優の一人だった。なんか似てるなと思ったら、本人だった。あそこまで存在は強度を持てるなんて、知らなかった。