他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

人間の目は邪眼じゃなくても疼く

起きた時から、世界の異変を感じた。世界が私に向ける敵意を、薄ぼんやりとではあるが感じ取ったのである。文明の箱入り娘として育ったとて、人間の動物的直感は完全に衰えてしまうものではない。確実に、何かがあると思った。ご飯を食べた。洗濯機を回した。洗濯物を干した。窓を開けた瞬間、7割程度の陽光を直接肌に受ける。陽の光で色づいた向かいの壁が、うっすら黄色くなっていた。黄色? 黄色……? 耐えられないほど悪質なものではないが、無視できるほど軽微でもない痒みが、双眸を襲った。この感覚には覚えがあった。しばらく忘れていた。優しく嬲られるようなこの掻痒感は……。花粉症だった。布団から身体を起こしてすぐ、ティッシュで鼻をかんだ。昨日までと、なんだか鼻水の質感が著しく異なる気がした。こんなにさらさらしていなかったし、ティッシュに訴えかける周期が目に見えて短くなっている。めちゃくちゃ目が痒い。眼精疲労から来る、バシバシと筋肉がパルスを放つようなあの感覚ではなく、シーズンに準じた、真っ当な花粉由来のオーセンティックな痒みだった。目がグラグラする。鼻水が、常に1割だけ開いた蛇口のようにちろちろと湧き出続けている。去年のこの季節は、花粉とは無縁の場所にいたから完全に忘れていたのだ。高校生の時分、自転車通学がゆえ、屋外を乱舞する花粉を大量に吸い込み、別世界のものだったはずの花粉症の領域に踏み込んでしまって以来、一度ポーズを置いてしまったがために、身体がリアクションを起こすのを忘れていたのである。静電気が走るように、突然スイッチが入った。夜、寝ている間に。毎秒継続的に与えられるスリップダメージがしんどいものだという事をすっかり忘れていた。忘れているわけにはいかないのだ、人間も自然界の一部なのだから。牛乳を買いに家を出る時、門のすぐそばに植えられている金木犀の木を、縋るように眺めてしまった。季節を外しているので、「がく」の残骸みたいな、ヘンテコな形の組織が葉とともにくっついているだけだった。金木犀を見ると、妹がタッパに集めて持って帰ってきた金木犀の花が、数日後腐り果てて絶後の悪臭を発した事象を伴って思い出す。美しいバラにも棘があるというか、物事に限度はあるのだと、あの時少しだけ知ったのだ。猛烈な勢いの消費に供給が追いつかず、明日は箱ティッシュを買いに行かなければならない。屋外とはそれすなわち敵陣ど真ん中であり、四方八方から一髪の間さえなく集中砲火を食らっているに等しい。