他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

チョロQが走るために、少しだけバックが必要なので

喧嘩の戦法のひとつに、手近にあるものをとにかくひたすらやたらめったら投げつけるというものがある。いざこれを試用してみようとすると、部屋の中でどのポイントに立つかでこちらの武器になりうる飛び道具sphendneの数が驚くほど増減する事に気付く。しかし、それはものがそこにあるというだけの一次的な認知であって、すぐに「これは投げたくないな」「これは別に投げてもいいや」などの価値判断が続出する。今向かっているでっかい机は、なんとか投げられなくもないので、開脚した状態で投げつければ相当の殺傷能力を誇るだろう。でも、DVDとか本は投げたくない。この状況を対人場面に置き換えてみた時、今まで生きてきて胸の中に転がるに至った結晶をいちいち検分してみると、これは道具として用いてもいい(用いたい)、これは表に出さずに密かに胸の内に仕舞っておきたいが湧き出る。多分、ほとんどのエレメントは外気に触れさせて差し支え一切ないものなのだけれど、出来る事なら門外不出にしておきたい、可愛いのか可愛くないのかそれに対して抱く感情が自分でも分からないがしかし、なんとなく大切なそれは、切り札として取って置くべきなのか、それとも究極にパーソナルな愛玩アイテムとして抱き枕にするのがいいのか、どちらなのか決められない。これにプライドと名がつくのかもしれないし、アイデンティティの名が与えられるものなのかもしれないし、個人的な思い込みに過ぎないのかもしれない。なんなんだろう、と思った。生活の中で、生卵が闖入したら嫌な瞬間を考えると、いざ瞼を閉じようとして枕に頭を落とすと後頭部で「くしゃ」という音がするその時かもしれない。生卵を割り損なう事もほとんどなくなったが、卵の殻が割れる、中身のない軽い音は他に比するものがない。人の骨があんな音を立てて折れるものだったら、と想像すると不安になる。それこそ、さあ寝るぞと布団に倒れ込んだその瞬間に身体中から「くしゃ」が聞こえ、無秩序に広がる生卵みたいになるだろう。ティッシュに硬度を与えると、卵の殻が砕ける時と同じ音がする、気がする。分からないが、薄膜で文字通り皮一枚繋がって飛散する事のない殻は、厄介にタフでもある。嫌なやつになる時の範は、ひとつには生卵に求められるのではないか。溶いてしまった生卵は、黄身と白身が渾然一体と化しているが、誰かがどんな人間であるかを理解する作業というのは、白身と黄身を丁寧に分離していく作業なのかもしれない。