他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

迷路の最短ルートは壁をぶち抜いて一直線にゴールへ向かう

脳味噌にはギアがあると信じている。眠たくなりたくない時に眠たくなったり、ただボールペンで紙に書き殴るだけの作業がめちゃくちゃにハマって気持ち良かったり、漫然と歩いている最中にぽろぽろとアイディアの破片みたいなものが出てきて止まらなかったりする。けれど、脳味噌はマニュアル車ではなく、意思が第三者に委ねられているオートマ車なので、バスに乗っている時やタクシーに乗っている時、運転席の親の後頭部を見る時みたいに、ただ揺られていなければならない。時々ギアに手が届いて、無理矢理駐車させたり発進させる事もできなくはないけれど、危ないしギアが固いのでなかなか出来る事ではない。でも、脳味噌がオートマでよかった。マニュアルなら、間違いなくラクな方にラクな方にギアを切り換えるからだ。燃料をケチって路肩に停まり、走る理由もないしなんとなく勿体無いと思ってそのまま動かなくなりそうだからだ。ものぐさとは少し違って、ほとんどの生活が一人で自足する人間にとっては、こちらを振り回す他人の存在は本当に大きい。惑星が自転するように、自転するこちらをとっ捕まえて、「なんか面白そうだから逆回りしろ」と逆回転を強要してくる存在が。大事なのだ。人によっては、カレーと福神漬けくらい大切である。人によっては、トイレとウォシュレットくらい大切である。人によっては、外出とよそ行きの服くらい大切である。没頭するのは悪い事ではないが、頭が何かに没していればそのうち窒息して死ぬ。洗面器に顔をつけているだけで人間は死ぬのだ。自家中毒に陥りがちな一方で、顔がつかっている洗面器の底をぶち抜いてこちらを覗き込んでくる他方もある。ずっと同じ水に浸かってすっかり淀んだ目に、花粉やPM2.5が混じった外気を当ててくれるそんなエージェントが、必要なのだ。必須アミノ酸と同じで、自分ではどうにもできないから。誰かが強制的に食べさせてくれなければいけない。霞を食って生きていけるようになった身体に、固形物はジャンクフードはお菓子は割烹は酷だけれど、霞だけ食っていたらいつか痩せさらばえて、視認されるべき輪郭も面積も失って知られず知られずのうちに死ぬ。肉を、肉を食え。牛牛豚牛牛豚鶏だ。とにかく肉を食え。さすがに獅子がごとく崖から突き落とされたら嫌だが、公園デビューを試みる程度は甘んじなければならない。歩いていかなければならないのだから。走らなければ追いつかない事もあるのだから。