他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

日焼けサロンで美白でも

紺屋の白袴、別によくない?」と思った。ことわざの原義を切り離して、紺屋が白袴を着ている状況を考えても、やっぱり、「紺屋の白袴、別によくない?」と思う。ことわざの原義を切り離した時点で話が変わっている、とか野暮な話は言わないでほしい。いいじゃないですか、紺屋が白袴履いてても。眼鏡屋の店員が絶対メガネかけてなきゃいけない理由もないし、牛丼屋の店員が絶対牛丼好きじゃなきゃいけない理由もないのに。もしかすると、その紺屋は、「他人が紺袴を着ているのを見るのが好きなのであって、自分は別にそこまで」という人かもしれない。ラーメン屋の店員だって、さすがに勤務日毎日ラーメンは飽きるからたまにそばの弁当屋でご飯を買って食べている(本人から実際に聞いたし弁当ガラも見た)。プロフェッションと人格を一対一で厳格に対応させなくても構わない、と私は思うのだ。昨日感じた事をもう一つ書き忘れていて、小林賢太郎は映像で聞いたまんま、本当にあんな声だった。悲しそうに呻く時も「あぁ〜〜〜〜」って絞り出す時も笑い飛ばす時も、YouTubeラーメンズとカジャラの映像を観て頭の中にインプットされたインベントリのうちどれかに対応できた。安定している。しばらくすげえしか言えなさそうだ。山手線でぐるぐる移動している時に、ある駅に着くと窓の外に看板広告が見えた。「幼稚園・小学校のお受験専門」みたいな事が書いてあって、受験産業もきっちり階層分けされてすごいでございますわね、と思ったら、よく見るとそれよりエッジの効いた事が書いてある。情報をかき集めて整理すると、「幼稚園・小学校のお受験『に着ていく服の』専門店」の広告らしかった。私の第一声は、「狂ってる」だった。お塾でノウハウが確立(画一)されたかと思ったら、頭の中だけでなく装いにもごく一部だけが握るスタンダードがあるのかと。お受験の審査員も、お洋服なんか見ているのかと。同じ世の中でありながら隔世の感がものすごい。5ミリのコンドームを装着しているかのようだ。そして、その辺に心血を注いでいる人がいるというのも。勝手にやってくれや、と念を送るに留める。街中で新入社員フレッシュマン(英語に寄り添うとメンだけど)を見ると、必ずと言っていいほど集団で凝り固まってわちゃわちゃと行動している気がする。しかし、一人で馴染めない(馴染まない)やつはダマにならないので目につきにくい。スーツが身に沿ってないのは、どうしてか分からないが見て分かる。