他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

泳げ、イワシの蒲焼くん

暗くなるのが遅くなった。明らかに遅くなった。18時くらいならまだまだ可愛いものだ。家路に就いて、空を見上げると、そこにはイワシの蒲焼があった。イワシの蒲焼みたいな雲があった。何回見てもイワシの蒲焼だった。白かったが、それは確かにイワシの蒲焼だった。せっかく雲のランダムな形が有意なフォルムを取るというのに、その結実がイワシの蒲焼という落差も面白かった。写真を撮ろうかと思ったが、写真は取らない主義なのでやめた。頭の中に残像がうっすらと残っていて、時間が過ぎてから日記などを読み返して、不意にくっきりと、恣意的な再現ではあるが現像されるのが好きなのだ。テクノロジーが進歩して、頭の中のイメージをそのまま念写できる機械が発明されたら、欲しい。夢の中で見た無秩序な何かとか、形容しがたい夢の中の景色とか、そういうのをフィルムに焼いてじっくり見たい。細部を追おうとすればするほど、水面に浮いた油性マジックの筆跡のように散り散りになっていってしまうから。スーパーで、カゴを返す場所と取る場所が同じ場合がある。カゴを拾いたい人は、カゴを返しに来た人から直接手渡しでもらえば手間が省けそうなものだが、どういうわけか、カゴの山に戻されてからそれを取る。今日もそんな場面を目撃して、変な心持ちというか、奇妙な感じがした。よく分からないが、カゴを山に戻すという行為が、浄化的な意味を持っているのだろうか。他人の一時的所有物、手垢のついたものが、カゴの山という集積場に戻される事によって、全ての属性を改めて剥奪され、万人の一時的所有権に向かってオープンになる、といったような。そこには、意識していないだけで、ある一つのメカニズムがあるような気がする。考え過ぎかもしれないが、文化人類学とかなんかその辺の手立てを持っていそうな人に観察してもらいたい。レジカゴ周りでは、特有のオーダーが生起している気がするのだ。粉骨砕身という四文字熟語を思い出して、「粉骨砕身!!!」と思った。電車に轢かれでもしないと、骨が粉になり身が砕けるなんて事はないだろう。しかし、粉骨砕身とはそれほど凄絶な有様を言っているわけである。意気込みを示すのに「粉骨砕身頑張ります!」と言ったりするが、そこまでして頑張ってくれなくてもいいよ、と気が引けてくる。せめて軋骨屈身くらいで許してあげたい。偉そうな言い方だが、体組織を破損してまで頑張らなくてもいいと思うのだ。