他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

いいケツしているのは触るのにであって食べるのにではない

よく晴れた朝9時くらいに、窓の敷居を超えた陽光の中に手を伸ばして洗濯物を干している時、重めにしっとりしている洗濯物が素肌を擦って腕を軽くしていくわけだが、数時間後には気持ちよく、時にはパキパキに乾く事に想いを馳せると、たまには洗濯物になって思いっきり日向の中に放り出されて、ハンガーにしがみつく他ないまま数時間を過ごしたいなと思った。気を散らすものが物干し竿の上には存在せず、洗濯物の身になってしまえばハンガーを曲げて曲芸に励む腕力さえ失われるわけで、血骨身ありとあらゆる身体部位を奪われて風の攫うままにぱたぱたと降参の白旗をはためかせているのも、もしかして気持ちいいのではないかと思うのだ。まだそんな季節ではないが、8月の刺すような直射日光の中で曲げたら折れるのではないかと危惧してしまうほどの硬度で乾き上がるタオルにもなってみたい。畳もうとすると、繊維がみしみしと音を立てる。多分大丈夫だと思っても、使い慣れたタオルが殉職する可能性で背筋が恍惚としながらみしみしと折ぐ(タオルの職能は拭く事で、ここでは何も拭いていないので殉職ではないかもしれないけれど)。レジャーシートを持ち出して、日向ぼっこに時間を溶かすにはうってつけの季節かもしれない。言うだけで行かないのだが。ここで行動を牽引してくれる外的要因が欲しくなり、いないので意欲が沈潜してしまう。日向ぼっこしてえなぁ……。数日前に買ってきたぼんじり2㎏を一晩室温に置き、冷蔵庫の中に移送して解答に成功した。人の頭を殴り飛ばせそうなほど堅固盤石な肉板だったが、ふやかしてしまえばただの肉の塊である。生肉の塊で殴りつけられるのも、衛生的に精神衛生的に嫌だが、殺傷能力の面では確実に退化を享受した。食べ物の本分である、食べられるというフェーズに移行したのだ。キノコや何やらのサブ野菜を買ってくるのを忘れたので、玉ねぎと人参を炒めたものに相席させる事にしたのだが、でかい袋からちまちま一欠けずつ菜箸で取り出してフライパンに放り投げている時、恐ろしい真実を認識し損ねていた事に気が付いた。ちょっとここでお尻に手を置いて考えて欲しいのだが、それが無理ならエロ漫画のお尻を思い出して考えて欲しいのだが、ぼんじりとは鶏のケツの事である。可愛いぷりっぷりヒップをちょん切った部位なのである。で、自分のお尻をもみもみしてみると直ちに直感されるのだが、ぼんじりもケツなので、言うまでもなく9割くらいが脂脂肪エトセトラエトセトラそんな成分で満ち満ちてみっちみちだった。一口かじるごとに、脂の味わいしかしない。豚トロが豚のトロなら、ぼんじりは鶏のトロである。噛み付いて、流しに迸る脂の軌跡が美しく見えた。こんなものがあと2㎏も残っていると考えているだけで、胸が山火事になったように焼けてくる。