他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

二枚も舌があるなら生産力も二倍かと思っていた

キャッチコピーが全然キャッチーじゃなければただのコピーであり、キャッチーじゃないならばそれは虚空を一心に見つめて虚ろな瞳で呟いている呪詛やポエムと一緒なので、ある意味一周してキャッチーだった場合と同じように当事者意識を持って観察する事ができるのだが、今日の車内で見かけたMAZDAの広告はコピーがダメダメだった。暴投もいいところである。キャッチャーのミットに投げなければいけないのに。そもそも分量が過剰だし、読点が異常に多かった。コピーを書く時はできるだけひとまとまりで、一回の嚥下で全てを飲み込ませる必要があるので、わざわざこちらで切り分けてポーションを増やす読点は自殺行為なのだが、小学校のご丁寧な作文くらい文節が腑分けされている文章があり、見ていられなかった。地元のメーカーなので出来る事なら擁護したいのだが、私の家族はトヨタ派なので救いの手はなかった。駅構内でもいくつかただのポエムと化したコピーを散見したが、社内の広報部からNGが出たりしないのだろうか。というか、社内の広報部はどんな気持ちであれらにゴーサインを出したのか。それとも、キャッチャーのミットは私が知らない間にめちゃくちゃデカくなっているのかもしれない。ピッチャーを覆い隠すほどに。昨日見た、見事と言う他ない木彫りのちんこはやっぱりなくなっていた。近くに警察署があるので、ポリスメンに回収されたのかもしれないし、自宅でのお楽しみのために誰かが持って帰って有効利用しているのかもしれない。やっぱり写真を撮っておけばよかったかなと思うのだが、しかし写真が残っていないからこそ記憶の中で美化できるので、そのものを残しておかなくて正解だった。図書館で新しく出た岩波文庫開高健のなにかを見つけたので借りてきて、昨日からちまちま読んでいる。あまり速度を伴って読めない文章だが、しかし感銘と憧憬と、押し流されるようなその文体に感嘆尽きるところがない。うっかりすると、「すげえ……」以外の語彙を失いそうになる。可能な限り微妙の妙を切り分けて、何から構成されているのか叙述を図る事を心がけてはいるものの、そうは言ったってすごいものはすごい、ともかく第一声くらいは第一印象に譲って「すげえ」と言わせてほしい。完全に、徹頭徹尾天衣無縫の文章ではなく、どころか所々に綻びを容易に見つけうるのだが、そんな事は取るに足りない些事だと、先を早く寄越せと脳がせっついてくるものが、文章の中に横溢している。一口一口がいちいち美味しいと、なかなか完食しようという気が起こらない。