他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

それは、刈り取る者の名前

全体的に、甘い匂いがしますよね。突然こう言われた。私は、「はあ?」という顔をした。近くにお菓子の入ったバスケットがあったので、お菓子の話をされているのかと思った。脈絡がゼロの地点からいきなり切り出されると、生理的に生じるリアクションを垂れ流す他ない。なので、徒手空拳で惚けるしかなかった。これ、栗の花なんですよ。栗の花の匂い。その人はそう続けた。栗の花というワードが出た時点で、脳漿がカウパー液と入れ替わってしまった脳味噌は悲しいかな会話の行き着く先を演算して答えを瞬時に導き出してくれたけれど、スパコンの計算結果が必ずしも正しいとは限らないと言う余白があるから紙での計算もまた揺るぎない地位を手放さずに済んでいるわけである。不確定の灰色をそろそろと綱渡りしながら、でもいっぱい一気に嗅がないと栗の匂いだって分かんないですよねと続けてみた。栗の花って、ほら、〇〇の匂いじゃないですかと返ってきた。そっちの話だった。近郊に漂う栗の花の匂いを、私の文章で表現してほしいという、嬉しいが持ちかけられるのも複雑な話であった。考えておくとは言ったが、そこまで精液に強い思い入れがあるわけではない。帰り際、栗の花と思しき植物群がたむろしている一角に足を運んで、胸いっぱい思い出いっぱいに臭気を吸い込んでみようとした。うっすらと、甘やかな匂いが感じられない事もなかったが、それ以上に、曇り空の下でゆっくりと温められた、肌触りのよい空気の清冽さばかりが感じられるだけで、自涜の後ろ暗さなどどこにもなかった。数日前から読んでいる開高健のエッセイ的なそれだが、本当に読んでいて嬉しいし楽しいばかりなのでタイトルを残しておくと、『破れた繭 耳の物語1』(岩波文庫)というものである。酒池肉林の中をバタフライしているような感覚であり、言葉で直感をもたらすにこれ以上の文章が考えられようかと思うほどの異形で、何も知らないが直截的に体験しているような気にさせるほど没入の手ぐすねを引きまくっており、40度の風呂桶に身を沈めていくような、しかしそれは実のところ底なし沼で、イメージの深淵にずぶずぶと取り返しがつかない侵犯を犯しているような気がして、想像上の生命活動を一切の危険なく追体験させる目が眩むほどの羅列が、ページを繰っても繰ってもまだ続いている。しばらく出会っていなかった、ある種の到達点をこの中に見る気がする。カレールーが残っていると思ったらなかった。