他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

果汁は果汁100%だが全体として100%ではない

Chromeの新規タブ背景を変えられる事を偶然発見したので、デスクトップに設定している画像と揃えてみたところ、お気に入りの画像なので大変満足度は高くなったのだが、後ろにシークレットではない普通のウィンドウを敷いている時にデスクトップと間違えて操作しそうになるので一長一短だと思った。吉野家の高菜牛丼を食べたい気持ちが緩やかな上昇曲線を描いているが、お待ちどうさまと出された丼の側面がほんのり心持ちべっとりしていた時に心が「スン……」となるので、その瞬間を想像して意気消沈し結局バナナチップスを袋から直接口に放り込む操作で満足してしまった。満腹感は覚えていないので満足はしていないのだが、これでよしとした。「スン……」という独特の擬音表現については『悪魔のメムメムちゃん』を見られたいが、そういえば読み返していないので心が虚無に侵された時にもう一巡する時間を取ろうかな。実家に帰るたびにめだかボックス涼宮ハルヒの憂鬱シリーズを読み返そうと思って、思うだけで終わっている。めだかボックスは一回読み返したような気がする。読んだ当初よりもいくらかの分別がついた今、もう一度谷川流の文章を読んで、どんな感想が内より湧き出づるのか、楽しみである。なんかここまで書いておいて急激に疲れたな。身体の中に、疲労を包含しておくオブラートのカプセルみたいなものがあって、それが背骨に沿ってじわあと広がって、じわあと背面全体に鈍く広がっていく感覚を覚える事がある。それが病的に、実体を伴うと帯状疱疹とかいう日常生活と集中力を根本から引っこ抜く病気になるわけであるが、そのお疲れカプセルを身体から析出抽出して、ゴミ袋に入れて、燃えるゴミの日にぺいと集積所に置いておきたい。もし、世界に疲労埋め立て場みたいなスポットが生まれたら、自分でも排出しておいてこんな事を言うのはまっこと無責任なのだが、近寄りたくない。疲労といっても様々諸相があるわけで、長距離走らされた後の全身に覆いかぶさって取り憑くような疲れだとか、朝起きた時に身体をラップのようにくるんでいる不透明度20%くらいのあえかな疲れだとか、そういうものが中を見透せたり見透せなかったりしてずももももと積み上げられて瘴気を放つ集積所があるならば、そこはもう、近寄るだけでげんなりして疲れて、その疲れをそっと取り出して投げ銭のように放り込んで、重い足取りをよたよたと引きずって帰る事になるだろう。着地の時に、音も立てないまま。