他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

豆電球を代えるためにジャックは木を植えた

人の話を聞く時になると、ある人数以上になると唐突に気をやって全く関係ない隘路脇道に思考が転がり込んではっとすると自分のいる位置を見失っていたりするものだが、ある程度の役割を担った上でその場に座り存在している事を要求されると、お家から出るパスポートさえ発行されずただまんじりと任されたロールを果たす事に集中する他なくなるので、6人を超える空間にいると自分はダメなのだろうなと思う節がある午前午後を過ごした。立派な構えの立派なレセプションの、しかしどこか時代遅れして気後れしたくてもできないような中途半端さを宙ぶらりんと残した絶妙な建物に足を踏み入れると、どちらに身を振ろうか考えて立ち止まりそうなので、ここは萎縮すべき場所ではない、萎縮するに足らないとの判断を下してゴーサインを自身に下す事も時には必要である。背筋を正さなければならない場面になると、さすがに無頼豪傑の血をしとどに流してはいない悲しい小市民であるから、頑張ってぴんとは行かずともぷぃんくらいは伸ばそうと精一杯努めるのだが、いかんせん普段の姿勢が姿勢であるがゆえに、伸ばしたくても直線とはどのようなものか身体で理解できず、腰7割上半身6割程度の直線度をもった、自覚的には非常に奇妙な姿勢を取る事となり、改善しようと足掻けば足掻くほどあちらがぐねりこちらがぐねりと取り返しがつかないとっ散らかりようになるので、途中からはもうこの程度で妥協するしかないと前のめりになった腹を括ってとりあえず座りそこに居続ける事に注力するようになる。昔に生まれていたら折檻されていたような気がするので、よかったようなよくなかったような気がする。全身にケッタイな疲労感がのめりついて離れず、濡れ鼠を引きずるような億劫さがあって、夕日が夕陽の色を濃くして墨汁の羊羹みたいなエーテルに満たされる前の時間に重さが頭の中にある意識の秤を何周もぐるぐるして計量を損ない、めちゃくちゃ眠くなる事もあれば底に薄く淀んだ澱のような時もあれば勃発的に頂点をなす事もあって、ともかく変な時間に少しだけ質の良くない鈍色の睡眠を取ってしまう。目が覚めると喉の更に後ろの方、身体を突き抜けた意識の後方に苦い、嫌な感触の弛みが強張ってうずくまっているのを感じておえっとなるが、これで得るものが寝付きの悪さである事を思い出してそういえばともう一度おえっとなる。こういう空隙に気付きがぽつりと垂れてくる事があって、それをまた引きずって、いる場合ではないのだけれど。