他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

あっち向いて翻意、

1割弱くらいしか残っていない歯磨きチューブみたいな状態で目が覚めて、ほんの数分だけ意識を握りしめたものの、握力がゆるゆると失われて、地に落ちる音を聞かないまま次に覚醒すると家を出なければいけない30分前で、それくらいあればまあご飯食べて水筒にお茶を装填して出立できるらしい事が最近分かってきたので、無意識の自堕落が輪をかけて輪にかけてギリギリまで手綱を返してくれない理由はそれじゃないかという気がしてきて頻りである。そこそこ晴れそうな晴れ間がチラリズムを扇情的にぺろりんちょしていたから、下心を惜しげもなく晒して、洗濯物を屋外に移動した。もう、しばらく、パキパキに乾いて、折り畳もうとすると繊維がミシミシと音を立てる乾き上がりが恋しい。そういえば敷き布団のシーツを洗っていないので、明日洗おうと思ったら、日曜日は昼下がりまでだらだらと降り募るらしいと人が言っているのを聞いたので、目覚めて洗濯機を回して何も考えずにハング・アウトするのはどうやら不可能であるらしかった。8時9時に吊り出して、17時くらいに取り込むのが一番気持ちがよい、よかったような気がするが、これらをまたしばらくやっていないやれていないので、そんなに気持ちよかったかどうか忘れた。日照り日照りなので仕方がない。志賀直哉の短編集は、ひとつひとつが短いので、お菓子を食べる感覚で手軽に気軽にぼつぼつ読める。直前にすごいアクと喉越し、旨味、その他諸々エキスエトセトラのテイストコンプレックスを平らげた後であるが、簡素に質素に塩を振ったのみで、素材の味がゆっくりじんわり出てくるような、さざめきがこんこんと湧き出てくるかのような文章で、描写が込み入る前に羽衣で撫で去ってしまうような、さらりとした軽さがある。これまた、別の意味で、ひとつの手技手管だなとうむむとなる。ジャムパンを食べながらではないが、うむむ! となる。思いついた、いらねえのに面白いと思った飾りをあっちにぺたりこっちにぺたりとする癖が抜けないし根を深くするばかりなものだから、なおさらそういう潔さらしいものにキュンとなる。執と念と着がコンポーネントの大部分を占めるので、意識して克己しなければきっと本当に難しい。誤字とか、脱字とか、意識せずに発生したような文章の綻びらしきものを発見すると、これは別の色味を帯びたうむむが心の中でイラレのパターンを適用したみたく散らばる。納得の往路チケットが欲しいよ。