他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

街角に小指をぶつける

視覚や聴覚に不自由がある人の世界を疑似体験する方法として、目隠しをつけたり耳栓をつけたり色々あるのだが、昨日の疲れが水分の飛んだ粘体のようにふくらはぎにべったりと染み付き、一歩一歩進めるにも気が遠くなるほど億劫だった。一日経った今でも、がりがりと脚の裏側を削られた気分だ。慣れない靴でものすごい距離をぐいぐい行軍するとつまりこうなるのだろうけれど、それにしても行動デバフを受けている感覚がものすごい。階段を上るにも、よし、俺は行くぞという強い気持ちを固めて、泥団子のように綺麗な砂で研磨してからじゃなければとても心が持たなかった。持ち上がらないわけではなく、可動域に稼働を認める事がとてもではないがつらいのだ。多少のストレスには平気だが、ただ脚の下部が疲れでバキバキになるだけでこんなにもどうしようもない気持ちになってしまうとは、やっぱり生き物だなと思う。膝が笑うと言うけれど、これはふくらはぎが笑っている。いや、もう無理っすから。うちらにこれ以上働かせようとするの、勘弁してくださいよ。爆笑の裏に秘められた、さらなる刻苦への忌避感が窺える。椅子に座っても寝ても立っても、そこにしがみつく違和の強張りは気配を弱める気配がない。ただにぎゅっと縮こまっているだけだ。しばらく横になって意識の風船から手を離してみたが、これはだめだ。ふくらはぎが爆笑し続けている。わっはっは。翌日に筋肉痛が来るだけ、まだましなのか。しばらく自分で作ったご飯を食べられなかったので、身体全体ががたぴし言っているにしても目をつぶって鞭打って台所に立ち晩御飯を作る事に成功した。正直、全身の電源をオフにして棒切れのようにばったんと倒れこみたい気持ちはあるのだけれど、剛体の金属のようにあるのだけれど、それをなお押して走る何かしらの回路がある。何なのか分からないが。InDesignのデータ結合で、テキスト入力やら画像の挿入やら、今までできていたよりも高度な処理ができるようになった。画像のパス取得だとか、文中に実は普通にプレイスホルダーを置ける事だとか、やろうと思ってもいなかったがやってみるとめちゃくちゃに便利な操作がいくつもあって、肥大化したテクノロジーは偉大だが肥大だと思った。でもめちゃくちゃ便利だ。慣れるまで、準備が完了するまで非常に時間がかかるけれど、そこからが早い。F1カーを組み立てるまでと組み立ててから、みたいな。