他愛がない

めぞうなぎと申します。文字の話です。日記が置いてあります。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

隠れ身の術数権謀

人の事を言えた義理ではないが、こいつ人間(じんかん)で生きていくの下手くそ/しんどそうだな〜と思う人間はたまにいる。たまにどころか、結構しばしばそれなりにoften頻りに見ているかもしれない。人の事を言えた口ではない。昨日、社会で生きていけなさそうですねと言われたのだった。生きてはいる。生活していない、活き活きしていないだけだ。呼吸をするだけなら、ぼんやりとしていれば大丈夫。なぜ呼吸をしているのか自問し始めたら、足が止まって色々まずくなるので、立ち止まってはいけないエリアを認識できるメンタル状態をできるだけ保っておく事が重要である。爆速で行き交う往来でストップしたら、まず間違いなく後続車に跳ね飛ばされて一瞬で全てが砕けて終わる。ゆるゆる走り続けて、とりあえずクラクションは無視して、路肩になんとかたどり着いてひいひい言えるならそれだけで上出来だ。命あっての物種なのだから、進むための足である車をへしゃげさせるわけにはいかない。もうだめだ御終いだと思って実行に移す3秒前くらいに疲れているので、うっかりするとものすごい失言をしそうで恐ろしく、自分で自分が恐ろしいとは見上げたものだが、そもそも疲れて意識が視野狭窄に陥ると滅茶苦茶な暴言を吐きそうになるし止まらなければ吐き出す癖があるので、こういうくたくたの日は誰にも会わないように、会ってしまったとしても言っている内容を咀嚼するのではなく体内で最小接触面積で済むように丸呑みして、さっさと体外に排出してしまうに限る。多少喉や胃が荒れようが、毒をもろに飲んで死ぬよりかマシだ。マシなのだろうか。コロッと逝った方が楽な場面もあるかもしれない。素面で真顔で、聞いている事を聞かなかったようにやり過ごす虚無の心は、感性や情動の働きを押し潰して無感情な人間を生み出すから、たまには感情を発露させた方がいい。私はへったくそなのでできない。身体に散見されていた鈍重な痺れみたいなものはなくなったが、しかし輪郭のない薄膜みたいなアルミホイルっぽい倦怠感は残っていて、早くぶっ倒れて楽になりたいのだがまだ明日がある。優しさは後出しジャンケンみたいなもので、自分が自分の納得できる状態にある事を確認できなければ優しさが滲み出る装置のスキマみたいなものはありえないように思うのだが、道の駅レベルでそこそこ見かけるから、バカみたいに甘いレーズン入りのクッキーを食べながらうつらうつらと考えた。