他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

message dying

洗濯機を回した事を忘れて、昼過ぎくらいまでドラムの中で留守番させてしまう事がある。どっかのH&Mで買った(アパレルのでっかい、安くてサイズが豊富なのはH&Mという名前の店舗だったと思う、違ったっけ?)ごついバスタオルのごく一部分に、色が抜けた白班があり、おそらく洗剤を、注水と同時にざぱーっと適当に入れている後遺症なのだと思われる。カラッと晴れているわけでもなく、曇って陽の光が見えないでもない。生半可な、中庸を踏みしめるかのような晴れだった。家の前のアパートは、塀を飛び越えて、一階から二階への手すりにまでおばはんの洗濯物が干してあって、景観も何もないし、なんだかすげえアパートだなの感をいや増していた。おばはんで思い出したが、それはもう年単位くらいで観ていないけれど、ジャルジャルはまだYouTubeに毎日ネタ未満のスケッチみたいなものを投稿し続けているのだろうか。あの、真面目に向き合っていると世界が静かにぐんにゃりと曲がってくるような空気と、それに対する執着は、まさに他に類を見ないと言うべきそれで、いつか何かやるんだろうなとは感じるが、それが大勢に受け入れられるかどうかはかなり首を傾げる、個人的には目が離せないものではある。まだやっていそうな気がする。継続、習慣性というのはひとつのスキルで、ただ、とりあえず毎日それをやっているできているというだけで少なからず注目すべきポイントだと思うのだ。で、何やってんですか、という話があるわけだが。昼の方が涼しかった。夜になると、じんわりと身体が熱を持って、あるいは熱を持ちきれなくなっているのを感じる。今日の食事はひどかった。食パンにだしの素をかけてマヨネーズを加えてトーストしたやつ、日清カップヌードル赤、棚に残っていたかぼちゃの野菜スープパウチと、玉子2つを使ったスクランブルエッグ。ほぼほぼ黄色の食品群しかない。生きる事はできるが生活していない食事だった。頭が痛かった。痛くはないが、喪失感と欠落と茫洋と、虚無と混沌が百均で売られているかのようなクオリティで存在を訴えかけてきて、そもそもそいつらには目をやるべきところがないので目のやり場に困って、後頭部の底の方に忌まわしい倦怠感の澱がちゃぷちゃぷしながらずるずるとやっていたらいつの間にか夜になっていて悲鳴がウルトラCのバク転でも決めるかと思った。しばらく独り言がめっきり鳴りを潜めているので、やはり何かしらの失調が。