他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

くじらレーシング

観念して、掛け布団のシーツと、一夏お世話になったタオルケットを洗った。寝具周りは、秋用にチェンジする事にしたのだ。次の機会があれば、枕と敷き布団のシーツも洗わねばならないところではある。大量に洗濯物を干すのはなんだか久しぶりで、そして、洗濯物を干すに憂いのない天気というのはいいものだなと思った。ピカピカしている。網戸だけかけて、外の空気を入れていると、ちょうど気持ちの良い塩梅になる。近所のアパートの階段に、大根を干す、あの青いコロニーみたいなやつ、あれがぶら下がっていた。確か、あれで海産物やら、なんやらを、干物にできるスグレモノだったはずだが、実際に使われている場面は、もしかすると初めてか、そうでなくても、片手の指で足りるくらいの回数しか見た事がないかもしれない。それくらい、例えていうなら、常用漢字ではなかった。モノは知っているのだが、現実感がなくてふわふわしていた。田舎なら、あれではなくて、大根が直接ビニル紐とかでくくられて、連ラムネや連たまごボーロ、ひどい例えではぱらぱら開いていくコンドームのように、縦にぱーっと並んでいる。白い、まだぴちぴちの大根しか見ていないような気もするが、あれも時間が経てば、茶色でいい感じになるのだろう。すごい眠い。そういえば、午後の予定を、一週間間違えていた。一人で恥ずかしくなった。夕方になって、食品トレーと牛乳パックをリサイクルに出しつつ、晩飯をどっかで食って帰ろうかなー、と考えながら、ぷらぷら散歩していた。いつにも増して独り言が多く、いや、普段もかなり独り言を言いながら過ごしたり歩いたりしてはいるのだが、今日は特に、自転車のペダルを踏み漕ぐように次々と冗句が出てきて、自分でもうるせえなと思いながら歩いていた。何も考えずに進路を取り続けていると、唐突に、ソープとかそんな感じの店が密集しているエリアに出て、うおっ、とのけぞりそうになった。ちらちらあるなとは思っていたが、まとめてくると面食らう。一個、これはいいな、と思う店名があった。他の業態より、ソープの方が面白い名前が多いような気がする。性風俗業店名コーパスを作ったわけではないので分からないが。迷い続けて、油そばを食って帰ってきた。18時前でも、もう暗くなっている。数日前、Siriを誤起動した時に、呼んでないし、起動音が嫌いなので、「かえれッ」と言ってみたら、無言で終了していって、なんかごめん、という気持ちになった。ちゃんと分かるんだな……。

60%等倍縮小

これまでの人生で、一回くらいは開いた事があったかもしれないが、初めて意識的に虚構新聞を読み、徘徊し、腹を抱えて転げ回っていた。なんの契機でアクセスしたのかは忘れた。頭の中に情報のネットワークがある人が、時事ネタに真剣に向き合ってふざけると、こういう事になるよな、なるなる、と思った。元ネタがなんなのか、2006年あたり? から続いているので、キルドヤと同じく、今では思い出しづらいものもあるが、単発の発想としてもかなり面白い。リンクを次々と踏み、しばらく過ごしてしまった。あ、思い出した。リレーのバトンが、現実に2mのものが出て来ちゃった、というトレンドがあったからだ。私はこういう、「ふへっ」という笑いが出てくるものが好きなので、ちまちま見に行くつもりである。今日は晴れていた気がする。多分晴れていた。外をよく見ていないので覚えていない。電気を消した中で、ぼうと浮かび上がる自分の太腿以下を見て、なまっちろいなと思った。実になまっちろい。下半身が最後に日焼けしたのはいつだか分からないくらいなまっちろいまんまである。小学生の時とか、そんなんではないか? 一人で完結して、一人の域を出ないで、家を出ないでなんかやっているのが、一番ストレスが少なくて、ずっとそれに浸って来たのだから当然ではある。楽しいのかどうかは、分からない。だからストレスが少ないと書いたのであって。楽しいとストレスの多寡は別物だと思う。書こうと思っていた事があったような感覚があるが、それがなんだったか忘れた。大した事なかった気がするので、まあいっか。いいのか? 分からん。また、適当に、一人で回転寿司でも行って、2000円弱くらい食って帰りたい衝動の生起を感じる。くら寿司とかのチェーン店は、一人で行った思い出の方が圧倒的に少なく、システム的にも誰かを連れて行った方が楽しい事が分かってしまっているから行かなくて、よく分からん、あんまり名前を聞いた事のない、なんちゃら水産とか、なんちゃら漁業みたいなチェーンに行く。だいたいどこに行ってもエンガワのユッケは美味いので、これはエンガワを褒めるべきか、ユッケの味を褒めるべきか、エンガワをユッケにした開発チームを褒めるべきか。サイドメニューは頼んでもいいのだが、一人だと値段の割にコンテンツ性が少ない(単一)なので、その分3皿くらい多く食った方がよい。わさび巻きが好きだが、チェーンにはなかった気がする。海鮮丼屋で食ったわさび巻きが、一番凶悪で原体験だったが、わさび巻き好きである。

元禄箸のフリット

下ネタに、コンドームは頻繁に登場するけれど、ペッサリーは全然出てこないな、と思った。ただそれだけ。なぜだろう。ピルはよく出てくるが、ペッサリーは全然出てこない。なぜだろう。世の中には不思議がいっぱいだ。まあ、受け手が知っているものと、発信側が目の前に出すものと、照合できる関係があってこそ、ネタにできるわけだから、仕方ないといえば仕方ないのかもしれないが。それにしても、中高の保健の授業で、ペッサリーという単語を聞いたかどうか、これを覚えていない。教科書だか、資料集だかに、ちっちゃく載っていたような気はするのだが、どうも自信がない。ペッサリーという語感だけで、ものすごく気に入っているような気もする。ペッサリー。叫びやすいからね。ペッサリー!!! シェービングジェルがなくなったので、薬局に買いに行った。店頭のブリキのバケツに、クイックルワイパーの本体、それも、ボディが4つの節から成っている、折り畳みというか縮められるタイプがあって、長い竿部分を持て余すだろうなと考えて躊躇っていた身には願ったり叶ったりだった。これは、本当に本体だけで、お試しのシートは一枚こっきりしか入っていなかったのであるが。なんでだよ。おもちゃのテスト用電池だって複数本入ってるよ。しばらく使えるよ。一枚って。薬液というか、クイックルワイパー汁がしとどに滲んでいて、なんか生理的にやだなと思っていたけれど、拭いた後のフローリングはたしかに質感が違って、人間の足の裏からも皮脂汗その他諸々が出ているのだなと実感した。国勢調査を済ませた。前の前の前くらいに住んでいたところでも、国勢調査の封筒が来たような気がするし来なかったような気もする。なんも覚えてない。もっとめんどくさいものかと思ったが、サクサク終わった。回答画面にいちいち、ここが迷うところだと思うんでヘルプ付けときました! って感じで、プルダウンの分類がついていたり、そもそものUIがかなり親切で、役所のオンライン関係全部こうならんもんかと思った。世の中には全く不思議がいっぱいでつゆだくねぎだくだ。いつぶりか忘れたけれど、DMMR18同人で買い物をした。絶対に、あの妙な5文字では読んでやらんからな。これです。

https://www.dmm.co.jp/dc/doujin/-/detail/=/cid=d_187124/
絵が最高だなと思って買った。買ったが、サークル主が同人誌を出しているのは前情報で知っていたけれど、CG集だと、う〜〜〜〜んって感じだった。ストーリーが薄くて、CG集の特徴である、差分形式を活かし切れていないという感が非常に強かった。これに関しては、現時点でついているただひとつのレビューが、これまた百点満点の評価となっているので、一読の価値がある。こういう事があるから、たまに漁ると面白い。

心に余裕のある怪物

なぜだかなぜなのかよく分からないが、昼前に起きた。そんなに疲れるような事はしていないはずなのだが、これは全く不思議な事である。でも、そういえば、2時半くらいまで、寝る理由がなくて、そして眠くもならなくて、なんとなしに起きていたのを覚えている。特に何もないがゆえに、何もしていなかったわけである。うーん。ちょっと、どうなんじゃろ、という感じがある。少し前まで、元気に本が読めていたのは、おそらく精神が躁の象限にあったからだと思われる。今は、また元通りというか、起伏の薄い平坦で味のしない次元に戻った感じがある。この前、鬱という漢字ってどう書くんだっけ、と聞かれて、すらすらと答えられた。鬱Pが好きなので、字面まで覚えていた。普通は、書く機会も目にする機会も、ほとんどないわな。私がかなり鬱気味で、私の上長は相当の躁気味で、だからこそなんだかんだ上手くいっているような気がする。自分で、私は躁の方ですよ、と言っていたし、私もそう思うので、多分そうなんだろう。結婚する時には、価値観が違う方が上手くいきやすいと聞く。本当にそうなのかは、身近で盛大に失敗した例があって存在感がデカすぎるので疑わしいけれども、あくまで傾向の話であれば、まあ、そんなもんかもしれないと思わないでもない。何の話をしていたんだっけ。そのせいで、買ってきた本の半分がまだ積み残してある。買い物に行くついでに、本屋にも寄ったのだが、面白そうな本が一冊あって、今度行った時に元気があれば買ってくると思う。雑誌の表紙に、「可処分時間争奪戦」みたいな事が書いてあって、ああ、そうだよな、と思った。現在というか現代というか、における人間を表現するにおいて、これ以上の言葉はないと思った。可処分時間……。希死念慮と同じくらい好きな言葉である。食べ物だったとしたら、可処分時間は絶対に美味い。間違いない。希死念慮は……。どうでしょうね……。青汁みたく、好き嫌いがはっきり分かれる味がしそう。人は言葉を食べられませんが。キッチンにミニゴキブリを発見し、ガムテープで粘着し捕縛してやろうと思って、輪っかを作ってぺたっとやったのだが、ガムテープの方にもついていないし、かと言ってキッチンの方に残っているわけでもないし、一体やつはどこに行ってしまったのだろう? 見回してみたが、どこにも何もなかった。もしかすると、とてもリアルな幻覚を見たのかもしれないが、それはそれでどうなんだろう、この前、精神科から電話がかかってきた時に、罹っておけばよかったと思うのか。

でかいいりこ

生姜の甘酢漬けってどうやるんだろう……。生姜の茎? なんか、頭から伸びたところが黄色くなってきた。シェービングジェルがなくなりそうというか、もうなくなったみたいなもんなので買いに行こうと思っていたのだが、結局今日もずるずると、だらだらと、灰色の雲が溶けて爛れてくるように悪天候だったので、外出する気が失せてしまった。近くのラーメン屋で季節限定の山椒だったか麻辣だったかまぜそばみたいなやつが出ていたが、夏季限定だったのでもうなくなっているかもしれない。大変もったいない事をした。あれを見かけたのがそもそもいつだったのか、確か9月の頭くらいだったような、そうじゃなかったような、であり、既に手遅れだったやもしれん。洗濯機を回したは回したが、外には干せなかったので、部屋干しになった。明日は晴れていただきたい。食料品の買い出しがそろそろ必要だし、最近使っていないルートがあって、そちらでぷらぷら散歩ついでに行こうと考えている。寺と墓があって、夏は涼しかった。今は、もう肌寒いくらいになっているかもしれないが。しかし、最近通っている、メインストリートから一本くらい外れた、微妙な脇道の感じも捨てがたい。まあ、どっちでもいいっちゃどっちでもいい。着くまでのレクリエーションになればよいのだから。実はここ最近の買い物で、キノコ類を買い忘れ続けているので、そろそろキノコのひとつやふたつ食いたいものである。二週間くらい前に、よく分からんが3000円くらいする天丼を食べて、まあ、美味いけどそれでも3000円するのか……と思ったところだが、自分では食う機会がないので、いつかどこかでキノコの天ぷらでも食べたい。あんまりキノコというものに対してピンと来ないので、説明付きで。今日は……。あとはどうするか。木曜日にもらって帰った饅頭とか大福とか、結局全部食べ終えてしまった。甘党だから……。ちまちまと、変なタイミングで食べていたからよくなかったのだろうが、一緒に緑茶でも淹れればよかったなあと思っている。生ゴミ対策もマシになったし、多少水分を含んだ茶っ葉が増えようが問題ないはずである。冷蔵庫の中がスカスカなので、やはり明日はスーパーに行くべきだ。行くかどうかは天気による。まだサンダルをつっかけてぷらぷら行けるか、それだと寒いので靴下を履いて靴で行くか。前買った靴下が軒並みゴムが伸びきり、糸がほつれてぽよぽよになってきたので、新しいのを、長袖シャツと一緒に、買いに行くのもいいかもしれない。

リストカット入場証

寝ようとして、タオルケットをかけてから数十秒、圧倒的に何かが物足りなかったので、シーツはかけられなかったが、間にいい感じにタオルケットを挟む形で掛け布団を乗せた。ぬくぬくして、昨日はかなりスムーズに寝る事ができた。ぬくぬくして、という形容詞を用いたところに、季節の移り変わりを感じる。日中の着物も長袖にして不自由なかったので、もう全面的に移行しても問題なかろう。しばらくゴミを捨てていないので、というか家にいてゴミを排出する活動をしない期間が続いていて、ゴミを捨てる日だという事をすっかり忘れていた。生ゴミは、ハナマサで買ってきた業務用のジッパーバッグにある程度まとめてから捨てるようにしたのだが、これは結構効果的だった。百均で買ってきたジッパーバッグだと、そもそも角っちょから液体が漏れ出してくる事頻りで、一体何のための密封容器なのかと思ったものだが、さすがに業務用は違う。そもそも袋が厚手な感じがするし、閉まる時もしっかり閉まる。玉ねぎの皮とかは、そこまで気を使わなくていいのでそのままゴミ箱に入れているが、卵の殻とかお茶のパックとかは全部ここに入れる。秋冬にはハエがあまり湧かないとは言え、キッチン周りが改善されたのは喜ばしい。一応設置したゴキブリホイホイは、怖いので中を見ていない。ゴキブリホイホイは、人生の中であまり組み立てた回数は多くないはずなのに、あのポップで舐めた顔をしているゴキブリのイラストが頭にこびりついて離れない。強力な薬剤で中から殺したり、そもそも物理的にぷちゅっとやったりする方法もあるのだが、どうにも納得いかないので、ただそこにいて、ただそこで終わっていくだけのゴキブリホイホイのやり方が好きだ。ゴキブリの死が、私の行為によるものとは言え、それが直近ではなく、緩やかな下降曲線の末、X軸に到達するようなものだからなのではないか。また分かりにくい話を……。前々より分かっていた事ではあるが、一日中天気が悪かった。天気図を見れば、いい天気になりようがない事は一目瞭然だったが、まあ。雨は降るし寒いしそこそこの風があるし。気圧が低いのか、やっぱり、頭が重くて、いつもの鈍重なホワイトノイズがパゥワーアップし、昼過ぎに一旦ぶっ倒れていた。弱いな。天気に弱い。今晩でバスタオルの在庫がゼロに戻るので、明日は快晴で、洗濯物が気持ちよーく干せると、私が気持ちいいのだが、明日の天気は知らない。靴を片方すっぽかすあれは、もう何年やっていない事やら。

ぷんすこ

寝つきが悪いままずるずると続いていて、これはよくないなと思っているのだがどうにもならないものはどうにもならないので、頭を低くして通り過ぎるのを待つしかない。あんまり寝つきが悪いので、頭の中は全く稼働が衰えず、適当な事を考えてはちぎり捨て考えてはちぎり捨てして、由無し事が紙吹雪のように散っていくのだが、これはもったいない事なのではないかと突如思い立ち、あるいは反省し、棚に残っていたキャンパスノートを引っ張り出し、ボールペンを枕元に持ってきた。頭の中に浮かんだ一時的に面白いアイディアを、これはもったいないから覚えておこうという余分なカロリーを削減するためである。これはある意味では功を奏したし、ある意味では逆効果だったのだが、忘れてしまうかもしれないという恐怖は確かになくなったのだけれど、排泄の喜びというか、アイディア未満の原石が出てくる気持ち良さが後を引いて、鎮めようと思った頭がぐるんぐるん回転を始めてしまう。これは功罪ある。どっちがどっちとは言えない。もう、私の身体がアホになっているというだけだ。寝る時、タオルケットでは寒くなってきた。冷感の面と化繊の面があって、冷感の方をかけると寒い。化繊の方だと微妙に暑いが、まあこっちが答えな気がしている。しかしそれでも、あと数ミリ正解にたっぱが足りていない感じがあって、おそらくは、シーツをひんむいたままの掛け布団をひっかぶって寝るのがベストなのだろうと思われる。四連休のどっかで、朝早くに目が覚めたが寒かったので掛け布団を乗せたら適温でずいぶん寝過ごした日があった。もう夏も終わりであろう。半袖は寒い。しかし、長袖は暑いっちゃ暑いし、衣替えもめんどくせえよなと思ったら、洗濯物のパイルの下の方に長袖シャツが埋もれていた。昔から、衣替えらしい衣替えという作業をした事がない気がする。優先順位が恐ろしく低いのだ。風邪を引いては、そして寒くてこれ以上寝られなくては(!)元も子もないので、意識を秋に向けてチューンアップしていきたいと思う。余っていたので、大量のまんじゅうと大福ともなかをもらってきた。なかなか、れいわとは思えないラインナップである。れいわで年号に変換できなかったのでそのままにする。生姜の酢漬けというものがあるらしい、というアバウトな動機で買ってきただけの谷中生姜を完全に持て余していて、そろそろ仕込まないとだめになりそうだが、そもそも生姜の酢漬けってなんなのだろう、というところから話が始まる。

腸よ鼻よと可愛がり

「好きな人に『鼻が好き』って言われた事があるけど、それってどうなん?」という話があって、私はぜーんぜん問題ない、普通と思いましたが、すんなりとその結論が受け入れられなかったため、この件についてよくよく考えてみたいと思います。問題を定義しなおすとすれば、「鼻は愛慕感情の理由のひとつになりうるか」、と書けるでしょう。この話を聞いた時、ひとつのエピソードがピンと頭の中に浮かびました。アメトーークの、嫁大好き芸人の回だったかと思いますが、出演者の一人が、「嫁さんが僕の鼻の脂を抜いている時、かわい過ぎて鼻に噛み付いてきた」という話をしていました。ここでは、鼻が欲望の発露の行為対象になっている事が分かります。また、おそらくSMプレイの範疇に当たるのだと思いますが、鼻フックというものも思いつきます。鼻フックを用いたプレイは、鼻フックで鼻を逆さまに吊り上げて間抜けな表情を晒させる事により、行為者の嗜虐心や被行為者の被虐心を満たすものですが、注目すべきは、変化が起きているのは鼻という部位、ただひとつだけであるという点です。鼻にフックが作用する事で、美醜の転換が起こっているわけです。鼻ひとつが生み出すダイナミズムは相当大きなものなのです。芥川龍之介の小説『鼻』には、奇っ怪な鼻の形をした禅智内供という登場人物がいますが、この小品の中でも顔のパーツである鼻にまとわりつくイメージが滲み出しています。また、鼻の文字がつく言葉をあれこれ書き出してみると、団子鼻、座り鼻、鼻の穴がでかい小さい、イチゴ鼻などがあって、これらは多分にマイナスイメージを含むものですけれども、モデルや俳優に対して、あの人は鼻筋が通っているだとか高いだとか述べられるのは賞賛の文脈であり、鼻に対して美醜の物差が当てられる事が少なくないと言っても問題ないでしょう。顔面という部位がコミュニケーションで重要な立ち位置を占め、鼻がその中に含まれる事を考えると、ある人に対してなんらかの評価を下す時、鼻がその評価に影響を及ぼしたとしても驚く事はないのではないでしょうか。こうして冒頭の問題に戻りますと、美醜という単位は、基本的に、愛慕感情の発出に程度の差こそあれ関係していますから、鼻は愛慕感情の理由のひとつになりうるという結論にも納得できましょう。私は昨日「鼻フェチ」という言葉を使いましたが、これは分かりやすいけれども的確ではなく(フェチという言葉に原義を超えた余剰物がくっついてしまっているため)、執念、拘りと形容するのがいいように思われます。コンプレックスと言ってしまってもいいのかもしれません。一見突飛に見える嗜好でも、精神分析学的アプローチなどで解体して説明できるかもしれないからです。私は、マスクを正しくない仕方で着用した時の、鼻の下にマスクの天辺がくるあの景色に、言いようのない感情を抱くのですが、これもいつか自分なりの説明を見つけたいものです。

ツォーンベリ

2日間くらいだろうか、首にずっと違和感がある。一昨日だったか、それさえ記憶が曖昧になってしまったのだが、起きた瞬間に、オヤこれはダメだと思うくらいに、なんだか首が痛かった。寝違えた、とは痛みの質が違う感じがする。首の骨がどこかで少しずれているような、そのまま稼働させられているような、そんな感じが。身動きを取りづらいので、早いとこどうにかなってほしいのだが、なかなかそうもならない。身動き、ままなりた〜いと思う。思い出したように、明太子を買ってきていた。でも、買ってきて食べてから気が付いたが、前によく買ってきていたのは普通の明太子であって、辛子明太子ではなかった。こんなにぴりぴりしなかったはずだ。明太子というのは、非常にまぬけな響きをしているとずっと思っているのだが、そうでもないのだろうか。他の人が明太子という音の響きについてなんやかや言っているのは耳にしない。ずっと、間の抜けた響きだなあと思いながら生きてきた。寝つきが悪いのはいまだに改善せず、4時5時くらいまでのたうちまわっている。ピンピンコロリではないが、パッと寝てパッと起きられるようになりたいものである。いちいち人間の根っこの部分からやり直して、海に入りに行って海から出てきて、また海に入って進化をやり直すみたいな、そういう面倒をしているような気がしてくる。元ネタがあるのかどうかちと知らないが、睡眠は小さな死という言葉もある。睡眠が定期的に乱れるというか、いっつも乱れていて安定しないので、いつも通りといえばいつも通りなのかもしれない。快適な睡眠サイクルを送り「続けて」みたいものです。今日は渋谷に行く用事があったが、JR山手線ホームの前に、コロナは風邪と宣う集団はいなかった。彼らもまた連休を謳歌しているのだろうか。東京を対象にした某キャンペーンも始まったと聞く。なんちゃら通りにある街路樹の、花の色が綺麗だった。小さい花が粒々と咲く、名を知らない樹なのだが、こいつの花がまあ綺麗である。赤い方は一ヶ月前くらいにも見た記憶があるが、白い方の花が、絵の具の白がそのまま抜け出してきたみたいな、目ん玉に強烈に映える白であって、息を呑みそうになった。白という色はあまり好きではないのだが、あの花の白色は綺麗だった。夕方家に帰ってきたのだが、向こうずっと、近隣の家庭から美味しそうな匂いが漂ってきて困る。さっきは肉じゃがのような醤油系の匂いが、今は卵焼きのふかふかした香ばしい匂いがする。まったく羨ましいったらない!

金玉袋のシワ占い

部屋、寒いなと思った。窓を開けっ放しにしていただろうか。夕方、意識がうずくまった後に窓の方を見ようと思ったが、そもそも開け放していない事を思い出した。何もしなくても、室温が肌寒く感じられるくらいには季節が進んできたという事か。今は窓を開けている。晩飯を食べた後だから、少し暑いくらいか。秋の虫の音が、とは言ってもこの虫の名前はなんですかと問われると分からないのだが、聞こえてくる。しかも、名前の候補として挙がり得るのが、鈴虫くらいしかなかった。コオロギもあるのか。コオロギは、見た事がないのに便所コオロギの方が印象付いていて厄介だ。寝つきが悪い。大変気分が悪い。2時か、3時か、それとも4時5時か、時には外が明るくなるまで布団と格闘を繰り広げており、休息のはずなのに体力が戻ってくる気配がない。眠れない間、何もしないのはもったいないので、いや、そんな事をしているから眠りにつけないのかもしれないけれど、頭の中で役に立たない事をぐるぐると考えている。たまに、これは、というものを思いつくが、それはやっぱり役に立たなくて、益体もない。手相の事を考えていて、というか、happen to meetという感じで手相の事を考え始めて、玉袋筋太郎という名前があるのだから、金玉袋の筋で人を占う事もできるのではないかと思い当たった。玉袋占いである。他人の玉袋などまじまじと見た事がないし、自分の玉袋でさえきちんと向き合った事があるかどうか怪しいのだが、玉袋に個人差はあるのだろうか。手相は、パッと見て分かるほどに千差万別であり、これは手の平の表面がさほど起伏に飛んでおらず、手相として読み取れる筋がはっきりしているおかげなのだろうが、では玉袋の方はどうかというと、これはなかなか結構難しい。まず、玉袋というのは、それ自体がしわしわで表情に富んだものであり、幾何学のカオスを見せられているような気になる。頭の中で、これぞ玉袋、たしか玉袋とはこんなもの、とイメージを浮かべてみると、黒ずんでいて、ふよふよしていて、おおよそのフォルムは描く事ができるのだが、そのディテールとなると、腕を組んでムムムと唸ってしまう。たしか、いちはやが、漫画を描いている時に地震が起きて、「金玉袋のシワを描きながら死ぬのはイヤだ」と思ったそうだが、等高線みたいな金玉袋シワが図像的には一般的なのかなと思う。つまり、地理学的なアプローチで金玉袋占いをする事も可能かもしれないわけで、しかし、じゃあそんな事をして何になるのだとも思う。寝られない夜は、頓狂な事を思いつくものだ。

ローテク

最近、また寝つきが悪くなってきたんですよね。室温が安定しないというか、暑いような寒いような難しい気温なので。タオルケットをかけないとちょっと肌寒いけど、お腹のあたりだけでもかけると暑かったり。しかし、昨日はそれに加えて別のファクターもあり、電気を消してのたうちまわっている時、ゴミ箱の方からくしゃくしゃと、握りつぶしたビニール袋がだんだんと元に戻るような音がした。一回であれば、押し込んだゴミが形を復元しているのかな、で終わりなのだが、断続的に続く。頭の中に、一つの強烈なイメージが浮かんだ。もしや。アイツでは。黒く油が光る、平べったくてすばしこいアイツでは。生ゴミの扱いを一新したばかりだったので、なぜこのタイミングで来るんだと悪態をつきたくなったが、寒くなる予兆を感じたので出てきたのかもしれない。出てきたのかもしれないというか、そもそも、この家に越してきてから2年くらい、一回もアイツを見た事がない。気配を感じた事もない。まさに平穏そのものだったのだ。長い安寧を引き裂くように、突然アイツは顔を出した。それがまず第一の衝撃だった。アイツに怯える事なく暮らす、なんと幸せなのだろうか! 洗濯槽のホコリ取りを外すと、机の中から出てきてやばい状態になっている給食のコッペパンみたいな平面が見えて、これは洗濯槽を洗浄しないと洗濯する気になれんぞと思ったところだったので、薬局でゴキブリホイホイと洗濯槽洗浄剤と、トイレットペーパーを買ってきた。ゴキブリホイホイは、2箱セット以上で売られているのしか見た事がない。一箱バラで売っている場面ってあるのだろうか。中に置く、細いアンプルみたいな薬剤、あれの匂いを嗅いで、あ、これは確かにゴキブリホイホイだなと思い出した。生ゴミの匂いを煮詰めて、嫌なところだけを丁寧に取り除いたようなあの記憶。これに寄って来るのだろうかと。洗濯槽洗浄は、槽洗浄モードがあったのだが上手い事いかず、数時間薬剤を溶かした水が溜まっているだけになっていた。水を覗き込んだ感じ、あまりカビが剥げて浮いているようには見えないのだが、そんなもんなのだろうか。昔やった時は、全然落ちていなくてなんでやねんと思ったが。深夜に突然誘われたので、秋葉原の店へ肉を食いに行った。すごい肉の塊が出てきて、それが焼かれて出てきた。肉らしい肉というか、肉としての肉を食べるのはもしかして初めてだったかもしれない。すげえ美味かった。ちゃんとした肉って肉なんだな〜〜〜。

ばすかーゔぃる

夕方くらいになると、やっぱり身体と頭が重くなって、一休みしないと傾くようになっている。一体どうした事やら。室温がどうしても身体に馴染まず、立ったり起きたり、寝付けないまま、苦し紛れに窓を開けて外気に当たろうとしたら、か弱い音を立てて、蚊が一匹、寄り付いてきた。意図せずダジャレのようになってしまったが、羽音がしなかったのだ。こんな季節に蚊に食われては敵わんと思い、ものすごいスピードでスマホの充電ケーブルを引っこ抜き、アースベープノーマットを起動した。緑色の、畸形のザクの頭みたいな形で、起動ランプがついているかついていないかくらいしか様子の変化をうかがえないこれではあるが、炊くとたちまち虫の気配がどっか行くのだから、全く大したものである。結局、長い間落ち着く事はできなかった。そろそろ、明日くらいには、食料を買い出しに行かなければならない冷蔵庫事情になってきた。しばらく心の力が低迷気味だったので、外食やら何やらで晩飯が浮いていたため期間が空いたが、そろそろである。昨年比だと高くなっていると小耳に挟んだが、梨のシーズン真っ盛りでもあるだろう。梨って確か秋が旬で、そしてそろそろ秋よね? 季節のつなぎ目がシームレスというか、でこぼこで継ぎ接ぎな、火傷跡みたいな感じなので、道路標識の、こっから鳥取県です、みたいな一応の分かりやすさがない。前髪が目にチラチラ入るようになり、何よりも頭頂部のヘアーがわっさわっさと、そこだけ刺身のサクのようにつかめるようになってきたので、現金を銀行に入れついでに散髪に行った。残高がよく分からない流れになっていたので、通帳を持って行って記帳すればよかった。昼過ぎすぐくらいだったので、一人で待っていればよかった。待っている間、筒井康隆の狂気の沙汰も金次第を読んでいた。実に、何年振りだ、とても久しぶりに読み返すその文庫本は、たしか高校に上がったか上がらないくらいだったかの私の心を躍らせた当時と変わらず、強烈な刺激と魅力に満ちていて、原初の筒井体験は間違っていなかったという再発見とともに、これを面白く感じる私の感性も、死んでないらしくてよかったと胸を撫で下ろした。よかった。強烈なイメージで覚えていた、警官に目をカミソリで切られる話は、笑うなに入っている「傷ついたのは誰の心」だったのだが、冒頭から家に帰ると警官に妻をレイプされているし、目を切られるよりも他に随分とどぎつい話だった。

正六角形陣形フォークダンス

『奴隷のしつけ方』、読み終わった。ちょっとトリッキーなタイトルで釣って、ちゃらんぽらんな内容でした! みたいな事はなく、これがちくま文庫から出ているという事実に納得できる内容だった。というか、そもそも原著者がケンブリッジの人である時点で、そんな事はないだろうが。本章の後に続く解説部分を読むと、ああ、この人は欧米の古典学者だなあと思う。ある程度のバックグラウンドがないとそう思わないというか思えないというかだろうけれど、そうなのだ。それはそれとして、これはエンタメ書として読むよりは(帯の文句を読む限りではそれ以外には思い至れないのが惜しい)、一種の反省的哲学書として読むのがいいのではないか。奴隷をどう扱うべきか、奴隷はそもそも自由人とどう異なるのか、むしろ奴隷の方が優れているところもあるのではないか……。III章あたりから、勝手が分かってきてぐんと面白くなる。別に真面目に読まなくてもいいので、読んで損する事はないと言っておく。ケンソルとかコンスルとかディクタートルとか、テクニカルタームができるだけ目立たないようにされているのもよかった。そんな感じでした。次は何を読もうかしら。今日は、それ以外に、何かあったかしら。前の家で、ネット回線を引いているのか、外壁で工事をしていた。炊飯器の中に安置したバナナが、そこにあるからこそトースターの上に置いておいて熱されて過度に熟すという事がないのだが、しかしそこにあるからこそ、普段の行動視認範囲から外れて忘れてしまうわけで、ずいぶんとシュガースポットが浮いてきてしまった。明日の朝、食べよう。そうしよう。そうだ、3日かもう少し前か、THE TANSANという炭酸水を買ってきたのだった。炭酸水が好きな人は、これまで一人くらいしか出会った事がないのだが、欧米では水と同じくらいの扱いで炭酸水が売られているので、飲用としては普通なのだと思われる。で、それは、飲んでみたのだが、どうにも炭酸ガスの臭さというか匂いがきつくて、しかも強炭酸を謳っているくせにそこまでバチバチこない。キンキンに冷やしたファンタグレープかドクぺの方が炭酸かましてくると思うのだが。ぬるい水道水みたいな味がしたので、私はあまり好かなかった。そろそろ除湿機能を切ってもいい頃合いかと思われたが、なんとも言えず、窓を開けると微妙に暑く、除湿を切ると立ち所にむんむんした部屋の空気が気になってきて忙しかった。

水道橋にて渋滞

奴隷のしつけ方、結構面白い本ですね。どうやら、著者となっているローマ人っぽい人は、解説を担当しているケンブリッジ大学西洋古典学者がなりすましで書いたものであり、解説としてくっつけている部分で、こう言っている箇所にはどの古典作家のどの古典作品が典拠にあって〜という一種の読書案内をしているらしい。また、これはとっても重要な事だと思うのだけれど、「訳文が日本語として読みにくくない」。これは、もう、すんごい事なのだ。書店に行って、ルポとかなんとか、適当に横文字からの翻訳書籍を手に取ってみると、日本語のふりをしたグロテスクな羅列が延々と続いていて、そも文章を読むのがしんどくて頭に入ってこないものが掃いて捨てて掃いて捨てて、ドラえもんの「なんかないかなんかないか」と四次元ポケットからひみつ道具をぽんぽん取り出すあの勢いくらいある。その中で、引っかからずにさらさらと読める訳文というか日本語というのは、これは貴重だと私は思う。いい訳者の方を見つけたものですね。あんまり言うのもなんですが、編集者もっと仕事しろみたいなのはいっぱいあるんで……。はい。雨が降りそうな曇り空だったけれど、結局降らなかった。出がけに、湿気の欠片みたいなものにちょっと打たれはしたけれど、家から傘を持ってくればよかったなあなんて思ったりしたけれど、片手を宙ぶらりんに浮かせるだけにならなくてよかった。部屋に帰ったら、バナナの発酵した甘い匂いがぷんとした。そのくせ、カバンを置いてトイレに行ったら跡形もなくその匂いは消えた。そこそこ主張が強いくせに去るのは一瞬である。で、トイレだ。トイレ。ここ数日、完全に膀胱がバカになっていて、さっきトイレに行ったのに、またトイレに行くという事を、これはもう30分置きくらい、ひどい時には5分置きくらいで繰り返している。もともと頻尿気味なのでまあ理解できなくはないが、それにしてもちょっと、今までに比べて間隔が短すぎやしないかと、膀胱が生き急ぎすぎていやしないかと不安になる。だって、おしっこが終わったその瞬間から、残尿感どころではない、有尿感、まだ出るなという感覚があるのだ。一体、私の下半身上半分はどうしてしまった事だろう。水をばかすか飲んでいるわけでもない。以前と変わったところがあるかもしれないとすれば、お茶ではなく真水も飲むようになったというところだが、一日に真水が数百ml増えたところでおしっこの感覚がそれほどまでにひどく変わるかというとそうとは思えず、これは面妖な事だなあと思いつつも股を擦ってまたもじもじしているのである。

粘体拡張

無聊を慰めるために、本屋に行った。文庫の小説を2冊くらい買えればいいか、と思っていた。レジを通したら6冊あって会計が5000円だった。??? 本屋って怖いものだなと久しぶりに思った。あと、よく考えたら同人誌と値段の感触が一緒である。そう考えると、色々な側面があるにしても、薄い本って高いなと思った。会場で買えば安いのだけど。まあ。河合隼雄の何かを買おうと行ったはずなのに、探索の最初の10分くらいで完全に忘れていた。柳瀬尚紀米原万理の、読んだ事ないエッセイか何かないかしら〜、と思ったが、既読のものしか見つけられなかった。米原万理のエッセイ集は、引っ越しダンボールの「どれか」を引っ繰り返せば見つかるのは間違い無いのだが、15くらいある箱の「どれか」を探り当てるのは大変めんどくさい。当時のメモを見れば、多分「文庫」とラベリングしてあるそれのどこかなのだろうが……。斎藤環の生きのびるためのラカンも、読み直したいところではある。パッと見つけて、筒井康隆の笑うなと狂気の沙汰も金次第、これはキープした。どっちが先だったか忘れたが、私の性格がこんなになった、人格形成の重要なパーツである。オーウェル動物農場。これは、訳が開高健だったので買った。それだけである。ちくま文庫の奴隷のしつけ方、これは確か、イギリスに行った時、原著を本屋で立ち読みして誰かに買った覚えさえある。よく内容は覚えていないが、帯の「読んだ次の日から奴隷の態度が変わりました!(40代・貴族)」「私にも買える! と自信がつきました(20代・自作農)」というコピーが面白かったので、それに敬意を評して。あと、よく分からん場所に置いてあった、井上ひさしのなんかのミステリ。井上ひさしの作品は、エッセイ以外はよくよく触れた事がないので、いい機会かなと思って。目次から、癖を感じた。で、本棚の下の方を物色している時に見つけた、棟方志功の自伝、板極道。棟方志功は、版画家である。店頭では平野甲賀とごっちゃになっていたようだが、棟方志功は、なんというか、すげえ大御所である。すごい。自伝、あるんだ、と思った。やなせたかしの自伝は面白かった。こっちは、表紙がすでに手ずからの版画なので痺れる。なんか……。気を抜くといっぱい本を買ってしまうな。あと、どうしても文庫を買ってしまう。単行本も嫌いではないのだが、文庫の、片手で持って片手でページをペラペラできる感じが、好きなのだ。