他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

崇拝お米

気分が昂まった時に買ってきて、その後すぐに気分が治ったので放置されていた梅酒を、あんまり長い間残しておいてもいかんなと思って、コップにスリーフィンガーくらい、入れて、適当に水道水で割って飲んだら、すげえきた。頭部の血管がめちゃくちゃ拡張していて、皿洗いしている間は、も、もしかしてこれが恋!? くらいずっくんずっくんしていた。ちょっとだけ治った。でも、これから風呂に入るので、また恋が再燃するかもしれない。ていうか、眠い。酒はよくない。眠くなるんだ。ある程度なら、これは、睡眠誘導剤として使えるのかもしれんが、同程度の量がいつまでも同程度効き続けるわけではないし、あんまりそういう事するのはよくないよね。寝付き悪いけどね。でも日中すげえ眠いんだ。眠いというか、意識が眠りという踊り場で立ち止まりたがってるんだ。階段を昇っても降りても、結局同じ階に着くのであれば、なんかもう踊り場でいいかなという気がしてくる。酒で意識がいまいち一方向に揃わないので、何の話をしているのか、現在地が分からんな。いつもの事だけれども。すぐ、すぐ忘れる。読んだ本の内容も、聴いた気がする曲の歌詞も、なんもかんも全部忘れる。本の内容をさっぱり覚えていないのはきつい。真面目な本だと、一章読み終わって次の章を読み始めると、前の事が透明度を増して、読み終わった時に、で、これ一冊としてどういう感じなんだったっけ、という手持ちが湧いてこない。書評とか書ける人は、すごいと思う。私はね、原材料をそのまま、ぽいぽい置いてるだけなのでね。有機的な、何かというものが、頭の中からなくなってしまったから、なんかもう、博覧強記みたいな人はすごいですよね。私は、ね、台所の三角コーナーみたいなもんだから。あの、三角コーナーって、たぶん、父方の祖父母の家でしか見た事ないような気がするんだけど、現代の家で、どれくらいの割合で設置されてるんだろうね。いや、というか、みんな、生ゴミを処理する時、どうやってんだろうね。三角コーナーは、便利だけど、穴が開いてるタイプの、水気を切ってくれるやつじゃないと、たぷたぷして、衛生的にあれだよね。あ、燃えるゴミまだ捨ててねえや。あぁぁ。旧フライパンふたつも、どう捨てようかね。フライパンを数える単位って、枚なのかしら。分からん。鉄フライパンの使い方、経験による適当なものだけど、なんとなく使い方が分かってきた。熱して、油を引いて、あったまった後、一番最初に入れたものが熱を持っていく。ここで刻んだにんにくなんか入れたら、そりゃあ、焦げるわ。人参を一番最初に入れたら、いい感じでできた。ただ、にんにくがfryな感じにならないので、これ正しいんだろうか。

温水プール豆腐

めっちゃくちゃ、机横の網棚上に築かれた本タワーのバランスが汚くなってきたので、片付けなければいけない。一ヶ月以上前から言っている気がする。押入れの中に、何も考えずにぶちこむのもそろそろ限界が来たので、押入れの中にもオーダーを作らねばならんのだが、これは二ヶ月以上前から言っている気がする。大家さんからもらいうけたカラーボックスをまず押入れの中に設置する作業から始まるが、その作業をするには、まず現在のカオスを形成している中身を一旦取り出し、作業用スペースを確保する事が必要になる。多分、2時間くらいあれば終わるのだが、そして一日のうち、どこかでそれくらいの時間は、1週間かければ難なく捻出できるのだが、どうしてずっとこのままなのだろう。文庫とか、コミックスはいいが、LOとか成年向け単行本は判型がでかいので、別途本棚か、何かが必要になる気がする。というか、そもそも、現在プールされている本たちが、あのカラーボックスに収まりきる保証はどこにもない。というか、多分収まらない。押入れ前の緊急避難所(常設化されたので緊急でもなんでもなくなったが)も、雪崩れたまま軽く放置されているので、事態は深刻である。が、だとしてもなんだかやる気が起きないのである。今年中に、いや、今月中にやるかな。やらんかな。分からん! 前のフライパンが、真ん中部分の加工が完全に終わったため、鉄フライパンをキッチンに導入した。買って来た日に書いてないような書いたような気がする。鉄フライパンを買った。すげえ使いづらい。思ったより。使い方で検索して、ザッピングしてみたところ、最初に油でしばいて、鉄の表面に、油と科学反応した何かしらの被膜的な何かをあれして、どうこうするらしい。調理開始時は、煙が立つくらいまで加熱して、火を止めてちょっと冷ましてから(ホットケーキを焼く時、フライパンを一旦濡れ布巾の上でじゅーっとやるのは、鉄フライパンがポピュラーだった時の名残らしく、ナウいフライパンなら多分やらなくていいのだ、あれは)油を入れて調理開始、といった流れだったと思う。違ったらごめんなさい。適宜調べてください。この、最初に油で被膜を作る段階で、亜麻仁油とか、サラダ油系統がよいらしく、今キッチンにあるオリーブオイルは、あんまりよくないと書かれていた。そんな事言われてもな……。ないしな……。刻んだにんにくが一瞬で焦げたりして、すげえ付き合いづらいのだが、しばらく使えばなんとかなるかな、と思考放棄している。全然慣れなかったらテフロンフライパン買ってくるけど。

活きのいい骸

洗濯物を干すのを忘れて家を出るところだった。危ない危ない。洗濯機が、できあがりのアラームを鳴らした時は、大概何か他の事をしていて、これが終わったら干そうか、とその瞬間は考えているのだけど、その何かが終わった瞬間に頭の中がすっかりリセットされているから、鳴った瞬間食らいつきに行くくらいでないと、家に帰って、その日の洗濯物第一号を投げ込む時に、蓋が閉まったままで、あ、そういえばそうだった、しまったしまった、となるのである。いや、まったく。自分を過信してはいけない。すでに何回ゴミの日を失念していることか。念を失いまくっている。今日は、何か、また泥がずるずるするような寝覚めだった気がする。さっき帰ってきたばかりだが、もう眠い。やる事がなくて、なくなって帰ってきたので、帰りは早かった。まあ早かった。一回行ったきり、ご無沙汰になっている店にでも行こうと思っていたのだが、こんなご時世になってしまったし、気になっていた店がいつ吹っ飛んでもおかしくないな、という考えに従い、頭の中のいつか行こう候補から選んで、行ってみる事にした。魚料理の店に。ランチタイムに海鮮丼をやっているのを、通り過ぎながら眺めていただけだった。肉は、だいたいどこに行っても食うのは難しくないが、魚は、自発的に食う事はないので。17時過ぎくらいに行ったら、午後の部開店すぐくらいだったらしく、びっくりした顔で迎えられた。予約は、とか聞かれたので、先に考えていたのなら、ごーとぅーいーとでも利用しておけばよかったか、と思ったが、予約して計画的に行くのは、なんというか、行動原理的に違う気がしたため、しなくてよかったのだ。したらほぼタダみたいなもんだったが。刺身定食にした。刺身とあったかいご飯を一緒に食べても平気派と、ぜってえ許せねえ派がいるが、私はあんまり構わない。口の中の温度感が、あまり快くはない方にミックスされるのは確かだが。おいしかった。初めて行く店なので、深層では結構緊張していて、あんまり味が分からなかったような、あるいは私の舌がアホになったかだが、おいしかった。多分、鯛だと思われる切り身がよかった。食感が。食用の菊も、花弁だけむしって乗っていたので食べてみたが、感想を抱く事が難しかった。なんかのアラの出汁スープも頼んだが、これはうまかった。これが出てくる水道が家に欲しいという、すき家のバターチキンカレーと同じ事を思った。今度行ったら海鮮丼を食ってみよう。癖の強い店員がいた。

およげ、干物の鯛くん

なぜなのかよく分からないが、DMMの成人向けPCソフトページを数時間ぐるぐる見て回っていた。や、感性の近い人が書く、エロゲ感想ブログを見つけて、それを暇潰しに全部読んでしまったから、というのが近因かもしれないが。暇潰しと言うほど暇ではないし、私は全然エロゲやらんのだが。それで、こいのす☆イチャコライズの事を思い出して、ちょっと寂しい気持ちになった。私が人生で初めて買った商業エロゲであり、パッケージで持っている唯一のものである(どっかにある)。本当によかったんだ……。こいちゃはよかったんだ。初めて触れた商業エロゲがあれで本当によかったんだ。DLCもちゃんと全部出たし。すげえよかったんだ。これを出したブランドの、eRONDOは、代表の方が次回作開発途中に亡くなってしまい、それ以降公式HPもツイッターも、何もかも止まってしまい、開発取りやめになったのであればその旨告知してくれればいいものを、文字通り全く音沙汰がないので、同じく告知がないまま死に体となって腐敗して久しい木村心一のロックペーパーシザーズみたいになっている。前作のこいなかは、まああんまりではあったのだが、原画とか背景とかライターとか、あとそもそも掲げるブランドとしての方向性とか、私の好みにとってもいい感じだったので、楽しみに……してたんですけどね……。今でも、URLを貼ると出てくる、リンク先ページへのサムネイルが、次回作は異世界転生系だったのかな? かな? みたいな推測ができて、半端に情報がある分余計につらい。ダメですかにゃ……。寝覚めが悪くて、頭も重くて、どうなっとんじゃやっとられんわと思ったら、水滴がぽつぽつする音がして、お前かこの野郎と思った。この気持ちを、μῖσοςと呼ぶのかもしれない。いつぶりに降ったのだろう。正直、個人レベルで言えば雨なんかいつまでも降らんでくれると助かるのだが、そうなると貯水池とか田んぼとか、困るところは困るので、そういう事は言っていられない。ラジオの選曲を聞いて、結局どこまで行ってもヒットチャートやんけと思った気持ちを思い出した。ヒットしているからヒットチャート入りするのであって、ヒットチャートから流れてくるのはヒットしたものだけだ。番組名にヒットとかついていると、売れないものには見向きしませんので頑張ってくださいみたいな冷たささえある。私と言えば、ふと聴いてみたScars on Broadwayのアルバム(これも2枚目が出るとかいう話が出たままずっと出てない)を再発見して、ええなあと思っているというのに。価値観のアップデートを毎秒強いられる時代に生まれたのは、失敗だったなと思う回数が増えた。

害意

PCの調子が、ちょっと悪かった。突然ディスプレイが落ちて真っ暗になり、数分電源ボタンをぽちぽちした後不意に復旧したり、バッテリー充電に不足はないのに、充電しないとあと数分でスリープに入る、と電池残量ピンチのメッセージが出たり。まだ2年くらいしか使っていないが、その2年間、毎日と言っていいくらい、切れ目なく酷使してきたから、ガタが来るのも早かったのかもしれない。思ったよりも早いね。アップルサポートはあと1年あるので、もし盛大に「飛ぶ」のであれば、期間内に飛んでほしいものだが。できれば、飛ばずに穏健に寿命を迎えていただきたいものだが。でも、飛んだら使えなくなっちゃうんだよな……。手に馴染んだものは、ずっと仲良くしていきたいので、なくならないでほしい。諸行無常なので無理ではあるが。どれくらい必然かというと、渋谷の街を午前中歩いた時に、どこかの飲食店が店前に出している食品ごみが、カラスに突つかれて散乱しているくらいの確率である。今の所100パーセントと言ってもいいくらいそうなのだが、渋谷って大丈夫なのだろうか。あと、渋谷と言えば、路上のキャッチにマスクをしていないやつがいて、渋谷のバスケットボールストリートでそんなやつがいる事自体、論外でマスクをつけた口が塞がらないのだが、かてて加えて驚くべき事に、そんなゴムつけずにセックスするくらい無責任なキャッチの話を聞くやつもいるという事であった。これがTOKYOか、と思った。多様性がストレッチするべきは、そっちの方向性ではなかった。今日はいなかったが、土日祝日は、JR山手線ホーム前の広場に、あんなのが湧く街なので、まあ、それもそうなのかな〜〜〜? と思おうとしたが、自己責任でひっかぶれる範疇を大きく超えているので、なるたけやめていただきたいところである。あのストリートでは、キャッチは違法、悪質な客引きには注意、というアナウンスが鳴っていたし、そういえばマスクをつけていないやつに限って、居酒屋の前掛けも、何かのメニュー表も持っていなかったし、あれは現代社会の闇が表出した、歩く何かだったのかもしれない。夕方のラジオからは、桜を見る会前日のあれこれに対して、前首相のコメントが、「説明責任を果たしていないわけではない」、というトンチキなものだった事が流れてきて、「じゃあなんなんだよ」と口が動いていた。果たしていないし、しかし果たしていないし、ではあなたは何なのかと。バカにされていると思ったが、きっとそう伝えたら、「バカにしているわけではない」と帰って来るのだろう。一方が不明で理不尽な二項対立を持ち出された場合、どう詰め寄れば詰め切れるのか。

インクリボン絞首

昨日、今日やろうと思っていた事をメモした。マスク買う、下着買う、フライパン買う。寝る時に、髪が伸びてきたからそろそろ切るか、と思って、項目がひとつ追加された。まず、家を出るまでぐずぐずした。昼ぐらいに、感性が近い、エロゲ感想ブログを見つけて、私は全然商業エロゲやらないのだが、色々読んでいたら時間を食ってしまって、動き出すのが15時過ぎくらいになった。休日の過ごし方がへたくそすぎる。まず、薬局に行ってマスクを買った。50枚入り1000円が、安いの高いのか分からない。外出のたびに、20円使っている事になる。支給の布マスクは、雑な外出の時に重宝しているのだが、案外そうでもないのだろうか。今使っているものがぼろっぼろなので、木綿の手袋を探したが、なかった。聞けばあったかもしれなかった。いつも行っているドラッグストアで、思いがけず避妊用品の陳列を発見して、少なからずドキッとした。あ、こんなところにあるんだ、と不意を突かれた。イギリスのスーパーでは、family planningというコーナーに、コンドームとかが置いてある。なかなか、いいラベリングだと思った。フローリング掃除用のシートも買った。家に置いて、髪を切りに向かう。いつものところは、先に2人待ち。初めて見る店員が、一人いた。行くと、だいたいその人の椅子に当たる人は、どこかで見た覚えがあるな、と記憶がむずがるのを感じていたが、大学の時のドイツ語の先生に似ているのだった。ウルトラ・ハイパーに立派な人だった。初めて見る人に当たった。あまり切ってこないタイプだった。もうちょっと切ってもらっても良かったが、また来るのが数週早くなるだけの話である。それから、今月のLOを買いに行った。きのもと杏が載っているらしい。まだ読んでない。2、3ヶ月くらい、買ってなかった。目当ての作家がいないと、買わないものだなと思う。それから、東急ハンズへ足を伸ばす。ティファールのやつとか、いくつか堅実なものはあったが、前検分した時は気が付かなかった、鉄フライパンというものを買ってみた。鉄のフライパンらしい。使い込んでいくといい感じになっていくらしいが、油を引いてにんにくを炒めた、その跡が初っ端から残りっぱなしになった。大丈夫だろうか。次の調理の時に、どうにかなるのか。何かについて調べる時に、アホみたいな情報サイトばっかり出てくるのはやめてほしい。散髪を待っている間流れていたラジオが、全く面白くなくて、パーソナリティも全く面白くなくて、喋りが面白くなくて、ノリが面白くなくて、全部が全部disgustingでobnoxiousだったのを思い出して腹の中が気持ち悪くなった。自分の思想もなしに、上辺だけの浅いボキャブラリに、流行りの語彙を恥ずかしげもなく混ぜ込んで、よくこんなやつが金もらって番組持ってるな、と思った。

ツーロック強要

月曜日が祝日で、その事自体を知ったのもほんの数日前だったと思うが、3連休と言われても、土日、飛んで火曜がワクワクドキドキデー(この名前にほとんど意味はない)なため、全然そんなうきうきしそうな感じがない。明日で、大体の事を終わらせておかねば、という焦りが、間にある一日をさらに速く溶かすようである。明日やらないといけない、忘れそうな事もメモしようと思っていたのだが、帰って仮眠していたら忘れてしまった。書き出してみるか。フライパンを買う。今使っているフライパンは、もう3年目くらいに突入しているのかしら? 真ん中の方のテフロンが完全に終わり、あと外側の塗装も剥げて鉄そのもの部分が見えてくるようにさえなり、ちょっと調理器具として限界を迎えているな、と思ったので、そろそろ供養するつもり。ただ、居住区で金属ゴミを捨てていいのがいつだったか、常に忘れているので、そこはもう一度確認しなければいけない。いや、玄関に放り出しておけばよいのだが。下着を買う。ルーチンに組み込まれているものが、みんなゴムが伸びてしまった、伸びてしまっているので。地元のスーパーと色々がくっついたよく分からないコンプレックスでは、2階衣料品売り場のあれのMサイズを買えばいいのは判明しているが、そこ以外では、果たしてMなのかLなのか。明日はどっちだ。不織布のマスクを買う。そろそろストックが終わる。残り枚数が3、4枚だと視認できるくらい、ストックが減っている。マスクは、厄介なもので、メーカーによって微妙に匂いが異なるので、苦手なタイプの匂いを引いたら、その箱を使い切るまで忍耐が要請される。ハズレは引きたくないものである。これで3つか。3つでいいんだっけ。メールが一本、添付を忘れなければよくて、あとは、えーと、まあ、そんなもんか。帰りにマックに寄って、辛いダブルチーズバーガーを買って帰ろうと思ったら、それだけなくなっていた。おーまい。おーまいで止めると、パスタになってしまう。おーまいぱすた、おぉうまい。あのCMは、何年前のものだろう。マックで辛いものはだいたい食える、の法則を、みんな知っているのだろうか。店内掲示で、ナゲットの投げ売りがまた始まる事を知った。今回は、たしかタラバガニとパルメザンチーズのソースだった。……。どっちがアタリなのだろう。いや、あるいは、どっちも? 2つともハズレだった事は、記憶の限りではないはずなので(ほとんど覚えてないが)、忘れなければ試しに行く。

まんぞく

当日急に予定を変えたら帰りが遅くなって、色々手がつかないままになったので、手短に済ませたい。済ませるではなくて済ませたいなので、半分くらい書きそうだ。感染者が再び増加し、GoToキャンペーンが一時見直されるかも、的な車内ニュースを見ていて、最後に、観光地では困惑も広がっている、との一文があった。「も」、ってなんだ、と思ったのだった。動揺か、失望か、そもそもネガティブなものか。こんなに感染者が増えているんだから仕方がない、という諦念か、消極的な納得か、自らが感染するかもしれない、そのリスクを回避する可能性がある安堵感か。ともかく、「も」で繋げる、ぶらさげる元となるものがないままに、困惑を追加で広げている。オリジナルの感情はなんだ? 何から発して、困惑が続いたのか。そこを想像させる事は、両論併記として認めてしまっていいのか。釈然としなかった。で、予定を変更してどこに行ったのかというと、大学時代から、打ち上げとかなにやらでたまに利用していた居酒屋で、前に行ったのが半年以上前、もしかしたらもっと前かもしれないけれど、私含めた複数人を、店員のおっちゃんが覚えていて、客商売ってすげえなと思ったのであった。

道に寄らされる

シーツを洗ったので気分が良かったが、なにぶん、冬らしさの薄い気温であるからして、布団で寝るのが難しくて敵わない。鎧戸を占めて、それから、窓ガラスをちょびっと空けてある。それくらいしないと、室内にむちむちとした空気がこもって、不快で仕方がない。仕方がないは言い過ぎにしても、寝ようとしても暑さが意識の表面にちらちら姿を現して、心穏やかではいられない。カバーを剥くたびに、うわっ、枕買い換えよう……と思うのだが、それを次に思い出すのは、次のカバーを剥く時である。気になっていた、エンガワのユッケを買っていて、それを2日間の朝ごはんのおかずとしていた。まずくはない。エンガワがくりんくりんして、エンガワらしい。ごま油でも入っているのか、油の香りがすごい。冷蔵庫の中がユッケの香りに取り憑かれるくらいはストロングな匂いがある。ちょっとだけ、エンガワの生臭さというか、鼻に残る感じがあった。でもうまい。しかし、決定的にうまいかと言うと、うーん、どうだろ、と言ってしまう。そこそこ、という形容詞が合っているか。明日からは、いつもの明太子だかなんかに戻る。井上ひさしの日本語相談を読み終わった。平易な語り口なのに、ずんがらどんがら、古今からの引用とかなんとかが出てきて、西洋知識人の本を読んでいる時と同じ、ただもう首を垂れて、はい、はい、と言うしかない気分だった。必ずしも屈する必要はないのであるが、しかし、すげえなあと思うばかりだ。その後、前に買ってきていたはずなのについつい後回しにしてしまった、多和田葉子の本を開いた。タイトルは確か、百年の散歩だったと思う。米原万理のエッセイを近く読んでいたから、あんな感じかと思っていたら、むしろ川上未映子とかあちらの方に近い、脳味噌に距離が近い方のエッセイ、これはエッセイなのか? そういうテイの小説なのか? ともかく、簡単で粗雑に片付ければポエティックであり、そのスタイルでもって表現しようとしているところを正面切って受け止めようとすると音・意味的に重層的で重奏的な、多言語獲得者の見える聞こえる世界の描写となるかと思う。頭の中で感覚が流れるさまをそのまま、流しそうめん素手で掴み取って口に次々入れていくようで、たまに文章のつながりが超越的になり、ふと立ち位置を見失ってまたずぶずぶと感覚の世界に抱かれに行くのは、心地よい。あまりページの進みがいい方ではないが、時間をかけて付き合うのも悪くない味。

つぐみ撃ち

午前中に、ガス機器の点検が来た。びっくりした。ポストに告知のハガキは来ていたそうなのだが、ポストは一ヶ月くらい、開けるだけで中のものを取り出すという事をしていないので、そんなものがあるとは、そんなものが世の中にある事を全く考えなかった。家の中も、IH機器しか使っていないとはいえ、確認が必要との事だった。最初は、外壁についているガス機器を見に行ってくれたが、一発目が部屋だと、これはなかなかまずかった。何がどうとは言わないが、いまや雑誌とか単行本以上に、強烈なアーティファクトがあるのである。推量で当てられたら、貴方はなかなか勘がよろしいか、私と同じような感覚をお持ちの可能性がある。急いで押入れに隠してから、ガスの元栓だけチェックしてもらった。間違って開ける事も、あるにはあるらしいので、元栓のところに透明なキャップをはめられた。IHの表面はともかく、奥の方は油と脂でべったべたなところを見られてしまったので恥ずかしい。いや、廊下も雑然と狭くなっていて、それも恥ずかしいと言えば恥ずかしいのだが。シーツを洗った。こう、目の前に、いつかのよだれの跡がばっちり来るようになっていたので、これが解消されるのは喜ばしい事である。ちょうど、オリーブの断面のような。シーツはでっかいので、後で干そうと脇に避けておいた敷布団用の方を、家に帰ってきてから、ハンガーにかけ忘れたままだったのを発見した。枕カバーも道連れであった。急いで干したが、まあ、乾くだろう。今日は、あまりにもやる事がなくて、すごく早く帰ってきた。道中で、済ませた事もあったが、それにしても、中身が薄い日だった。1週間のうち、外食を考える日が少し多いので、やはりこれは疲れているか、自覚していないだけで、精神面の季節的な腐食が進み、ただれ落ちつつあるサインなのかもしれない。それらの想像とは全く別に、回転寿司を食いに行きたいな、という気持ちがある。寿司食いてえ。こういう時に、パッと人を誘い、2人で行けるほど、フットワークが軽く、顔の広い人物であったらなあ、と思わないでもない。人と連れ立って行く時に、最高人数が2人なあたりに、無理そうな匂いがする。でも、いっぱいいても疲れるし、飯を食うのに適した人数は、私は2人がマキシマムだと思う。一緒に飯を食うというのは、深い行為だと思う。書きながら、晩飯の献立を考えていたが、結局一品しか作らないのに献立と言うのはおこがましい気がしてきた。

袋麺袋叩き

夕方、横になっている時、泥か死体かのようにぐったりして、変な夢を見た。今、突っつかれたら嫌なところを、全部つっつかれるような内容だった。めちゃくちゃ気持ち悪くて、居心地が悪くて、やってられなかった。夢の中で、あまりにuncomfortableなので、身をよじってごろごろごろごろ回転して、どこかに逃げ出そうとしていたはずで、転がる最中に、なんとか目が覚めた。ここまで不快な夢は久しぶりである。夢は、浅い眠りの時に見るのだったか。あまりに流しの排水が悪くなってきたので、そろそろ意を決してやるか、と排水口のあれ、なんて名前なのだろう、ちっちゃいバケツみたいな、ゴミ溜めになるあの部分、を取り出して掃除した。きったなかった。まあ汚かった。油絵を描く時に、油分が絵の具の表面に滲んで、キャンバスの端っこで茶色く変色して腐ったようになる、あんな感じの色の皮膜が、小さな菱形が連続した籠をくるりとびっしりと内側から抱きすくめていて、その中に、赤とか緑とか、食材の端っかすが混ざって、泥濘のカラーパレットになっていた。匂いがすごかった。匂いが。下水の匂いがする。籠を取り出した、その下も、茶色い、水気に侵されたヌガーみたいな形容不可能な物質が蔓延していて、パイプをどうこうするケミカルな液体を買ってきてクリーンにした方がいいのではないかと本気で考え始めた。そろそろ、不織布マスクの在庫が切れるので、残りを追加がてら、そちらをケアする商品も物色しておこう。買い物に行った。生ゴミを捨てるためのジッパーバッグは買ってきたのだが、バナナを買ってくるのは忘れていた。今日は、何を買ってきたのだったか、いまいちよく覚えていない。前から気になっていた、エンガワのユッケを、朝ごはんのおかずに買ってきてみたのは覚えている。どっかの寿司屋で、エンガワのユッケがすごくおいしくて、その記憶をずっと引きずっている。くら寿司かどっかの、なんかのユッケ軍艦もすげえおいしかった気がするが、あんなしょっぱいものばかり食べていたらすぐ死にそうだ。そうだ、剥き生にんにくのパックを買ってきた。めちゃくちゃいっぱい、剥いたにんにくがざわざわ入っている。バルブになおすと、10個分以上はあるのではないか。好きだから買ってきたが、まな板やらなんやらの匂いには気をつけたい。ビニルでパックされたタイプの鶏もも肉を買ってきたが、トレイに入っているものと違い、匂いがほとんどなくて、味も素直である。同じ海外産なのに、何が違うのだろうか。

あつまれ排外の森

世の中の楽曲は、99%以上がラブソングだという。数値にすると、うわーお、という感じがするが、落ち着いて考えてみようとすると、まあ、そうかもしれんねという気がしてくる。別に、日本でのみ氾濫しているわけではないという事で、海外も、ヒットチャート的に考えると、あれもこれも、そういうテーマというかモチーフである、と分類できる。厳密なフィルタをかけなくても、99%以上が機械検査で選り分けられるのかもしれないが。最近の機械をなめるなって? はい。この割合は、エロ漫画における、生セックスの割合と、ほとんど符合するのではなかろうか。こちらから聞くが、エロ漫画で、ゴムをつけるものがあったら教えてほしい。途中で外したり、竿役が意図的にゴムを毀損し避妊の用途を満たさないケースは除く。このような条件をつければ、ひとつふたつ思いつくか、だと思うのだが、どうだろうか。たまにゴムセックスを見ると、あまりに慣れないものだから、ギョッとする。それはそれとして、どうやって描いていくのか興味があるので、読むのはたいへん面白い。えっちなゲームで、気分を変えるためにゴムセックスやってみっか、というのがあったのは記憶している。歩いている間に思いついた、情報量がゼロに近しい命題について考えていたら、半分を越してしまった。他にも、頭よくなさそうなメモ書きがいくつか携帯のメール下書き機能に保存されたが、今見返してみると、また別の命題が残してあった。「どうぶつの森は人間万能主義」というものだった。これは。確かに。書いてから時間が経った今見ても、これは、確かにそうかもしれんね、という感じがある。私が今までやった事のあるどうぶつの森はDS版だけだが、スイッチでは、確か、地面を掘り進めたり、崖がどうたらとか、地形そのものに対して多大な影響力がプレイヤーに与えられていたはずである。というか、スイッチ版のどうぶつの森が、漂流した無人島を開拓していって自分ライクな島メイキングをしていき、どうぶつ住人に対して「選別」を施す作業とも見える(配信者とかが、自分の島住人を選別したりリセマラしたりしていたそうだが、住民への好感度の違いがあるにせよ、そのような動詞を使う事に対して、私は嫌悪感があったし、今でもそうである。生理的なレベルで、ぞわっとする)。博物館に並べられた化石や生物、評判を上げるためにメイクアップされる島の表面。これが人間万能主義でなくて、何と言うのか。ゲーム? そうとも言うね。

洗ってない

洗濯物を回したら、ちょっと少なかった。シーツを洗っても大丈夫だった。シーツを洗う時に、中に他の洗濯物を巻き込んで、すすぎが終わった後に蓋を開くと、衣類のでっかいおにぎりみたいになっているので、シーツ用の洗濯ネットが欲しい。あと、洗濯が終わった後にシーツの端っこにはりついてこびりついて跋扈跳梁している埃だか繊維質の塊だかを解消するアイテムが欲しい。槽内の埃を一手に引き受けるネットは、多少機能しているが、すぐ元通りになる。槽洗浄をしたのに、ほとんど変わらなかったのもよく分からない。あれは、もう、並の薬剤では焼け石に水な、歴史地層になってしまったカビと埃と垢と何かのレイヤーなのだろうか。そもそも買い換えるしか手立てはないのか? 家事サービスを提供している、ハウスクリーニングの専門家に聞けば、そういうのとか、トイレの便器に生えてやまない黒いコケみたいなあれとか、対処できる薬剤が分かるのかしら。食材が心もとなくなって久しいが、今日も買い物に出なかった。出なかったなあ。スーパーに買い物に行くというのは、外出の理由としては嫌いではないのだが、最近、ちらほらと本を読んで、心風景の変化が起こっているような気がするので、だいたいその時節は行動する気が起こらないものだから、それに由来するあれこれなのでしょう。読んだ本。小田嶋隆『日本語を、取り戻す。』武田砂鉄が挙げていて、またラジオでもゲストに読んでいた、コラムニストの本。政治家の言葉を取り上げて、コラムとして形成しようとすると、どうしてこうも、みんながみんな、もよもよした手触りの文章になるのだろうか。スパッと、白刃煌めくようなものではないのだが、失言とか、スローガンとか、政策コピーとか、向き合って相撲をしようとすると、こういう質に取り込まれてしまうのか。アベノミクスアベノミクスと呼び、指す時点で、パッケージをそのまま受け入れる敗北であるとか、「ニコニコしているのは、幸福な日本人だろうか」とか、つい、ムムッ、と立ち止まって考える点があった。エラーが多すぎるのに、エラーが健在で、こっちがおかしいような気がしてくる。バービー『本音の置き場所』武田砂鉄は、ひとつの読書指標である。家族計画に失敗して生まれた子だとか、ムダ毛処理への姿勢が生まれた理由だとか、真正面から書いてある。芸人として、一番尊敬しているのがラーメンズだとあり、ポップとは反対に行こうとしていたとかもあり、あら、と思った。

グリーンバック・イン・ザ・スカイ

今日ほど早く起きたのは久しぶりではなかろうか。たまに、汗ばんで5時とか6時とかに起きる事はあったが、まあまだ寝とってええわ、と二度寝して取っ散らかる事が多かったので、バターにナイフを入れるように、スッと起きたのは、まあ、早起きしなければ間に合わない予定があるから、という深層意識の目覚ましがあったとはいえ、稀有である。一文が長いなキミは。途中で論理構造も破綻しているし、でも、頭の中で流れる、磁気が光を反射してキラキラするような、水道水の直径のうねりというか、それを写し取ろうとすると、だらだらしてねばねばして、キレの悪いおしっこみたいな文章になると思う。思考の冗長さというか、冗漫さというか、がよい形で現れた文章が、武田砂鉄の文章になると思う。朝ごはんにバターチキンカレーをかけて食べたが、中の方まであったまっていなくて、最後の方は、ちょっとしんしんとした冷や飯を食っていた。冷たいと、入っているっぽいトマトピューレの酸味が、いやに目立つ。日中の用自体は、大変でもなんでもなかった。私は、オムライスに立てる旗みたいなもので、あってもなくてもどっちでもいいのだが、オムライス立っての要望で、立ちに行った旗であった。自分が旗になるとしたら、どんな模様がいいだろうか。黒とか、緑色とかが好きなので、それを満たせるように、海苔の模様がいいかもしれない。黒のような、緑のような。後ろにでっかい、真っ白の旗が立ったら、おにぎりのように見えるかもしれない。こんないい加減な存在の仕方で、昼飯の弁当までついて、あら、こんなにいいのかしら、という日給だった。お金はあるとあるだけ、心に余裕ができますからね。もっとでかい金額の話も来たので、死なない程度にやります。家に帰って、ちょっと寝て、かねてより気になっていたエスニック料理の店へ行った。通り過ぎるだけで、そのエスニックエスニックした香りを嗅ぐだけだったのが、いっちょ足を踏み入れてやろうと、そういう次第である。ネパール。ネパール。日本でインドカレーの店をやっているインド人っぽい人は、大半はネパール人である、という説を覚えている。真偽のほどはどうだろうか。料理が出てくるのに少し時間はかかったが、うまかった。モモ、という、セーブポイントみたいな餃子。あんにスパイスがもりもり入っていて、ぽてっと添えるソース的なやつ? もエスニックしていてよかった。チキンライス。2年分のタイ米を食った。タイ米は、細長いので、縦に体積すると、見た目以上の量がある。口の中の水分はなくなるし、掘っても掘ってもタイ米が減らないし、結構手間取った。どっちかだけでもよかったかもしれない。下げる時に、お一人だとちょっと多かったかもしれないですけど、と言われた。バレたか。あたりのいい店だったので、また行こうかしら。

デッドスペースを捨てる

頭が痛いとか、気持ちが悪いとかは表面上になく、意識の底の方では澄明な感触が一瞬あったが、やっぱりもったりした霧がかかったようで、気持ち悪くはある。敷き布団のシーツを洗いたい。洗いたいが、シーツはひっぺがすまでが面倒だ。洗った後に、中で埃や髪の毛が固まっているのをどうにかする、いい感じの方法はないものかしら。さっき、数ヶ月ぶりにブレーカーを落とした。空調・レンジ・IH調理器のうちから、任意の組み合わせ2つまでは、定常的に電気を走らせているものを含めて許容量なのだが、全部を起動すると、ちょっと経った頃に、ブレーカーが落ちる。落ちるたびに思い出すが、多分その日のうちに忘れている。水面の波紋と同じようなもので。身体は覚えているのか、暗闇の中でも、ついついと洗い場の方まで歩いて、多分この辺だったような気がする、という場所に手を伸ばし、くにくにとした感触を返すスイッチがあったので、危なげなかった。また、脇で晩飯になるスープを煮ながら買いている。昨日とレシピが寸分違わない。まずい料理でなければ、どうにでもパパッと作れるものである。野菜もそれなりに入っているし。ただ、玉ねぎと人参以外は空っぽになってしまったので、買い物に行かねばならないが、明日は朝から、夕方、もしくは晩まで拘束されるので、叶いそうもない。帰りに、どこかで晩飯を食うか、調達してくる事を考えている。マックの、ダブルチーズシリーズの展開は、終わっていなかった。ただ、あのラインナップを見て思う事は、トリチ(トリプル)とダブチ(ダブル)は、同じもののバージョン違いと解釈するのは、明らかなファウルである。ダブルチーズに、何がしかの調味料が加わって、バリエーションになるのは分かる。ただ、ダブルチーズのアイデンティティは、チーズがダブルであるという点にあるのだから、その要素の増減は自己崩壊・自己否定を招く。チーズをトッピングとして扱い、同一平面上に保つのはどうなのか。ある一枚と、他の二枚は、別のチーズだとでも言うのか。これが分からない。バーガーの解釈に詳しいわけではないから、これに明快明晰な判断を下せるような、有益なパースペクティブがあるのかもしれない。繁華街の方に寄って、人の波にもまれつつ、すでに出現を始めて辟易しているクリスマス装飾に視界をつっつかれつつ店を漁るのが嫌になったら、明日の晩飯はマックになるであろう。まだ行った事のない店とか、行ってみたいけどね。