他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

芋虫のような指

遠藤周作『海と毒薬』を読み終わった。タイトルから勝手に想像していた筋書きとは全く違って、構成も全然違って、無意識のうちに自分が抱いているイメージを絶えず捨て去る作業が付いて回った。で。講談社文庫版を読んだのだが、これは解説がよかった。遠藤周作が書いているのは、神を持たない日本人、解説者に言わせれば良心を持たない日本人である、という。内なる、プライマリな行動尺度(これが神、つまり宗教)があって、それが規定するところの良い行い、それがあって始めて良心という心の働きがありうるのであって、その根っこの部分の物差しを持たない日本人は、そもそも良心というものを持ち得ないのではないか、と。これが大変頭の中に波紋を起こした指摘だった。完全にではないが、私の心の中の働きをすとんと説明されきってしまったような気がした。良心は、反省にも繋がるものだと私は思うのだが、これを読んで、いくつかの事に納得してしまった。反省すれば、行動が改まる確率が上がるのだ。良心の制動があれば、逸脱は減るのである。私が、少なくとも日本の、ぬべぬべした色んなものの動きを見ている時に感じる、透明で絡まったもにゃもにゃしたものは、もしかしてこの小さい文庫本一冊で説明されてしまった気がする。私は今、戸田であり、手術室の壁にもたれてただ一部始終を見ているだけの勝呂なのかもしれない。というか、そうだ。海と毒薬が、規模の大小を変えて、そこここで起こっているのだと思った。では、どうすればよかったのか、どうすればいいのか。その問いに答えるための基盤が、一枚岩が、ないのだ。だから、反省がなくって、改善がなくって、流水量の少ない用水路みたいに、ずるずる運ばれていくだけなのだ。一から自ら作り上げ、しかもそれが共通水準でないのである。そんな手間が、それほどまでの労力をしてまだ本題が始まっていない。ずるずる流す方について、武田砂鉄や小田嶋隆は、よく食らいついて書いているなという発見があった。まさか、取り戻すのではなく、そもそも取った事がなかったとは。

ブドウ糖を削る

洗濯物を干そうという欲を出して、洗濯機を回したが、午前中の読みとは大幅にずれて、午後いっぱい、ずっと白く銀色の曇り空が続いた。寒かった。何日か前の洗濯物も、いまいち乾ききっている感じがなかったので物干し竿にかけたが、一体どれほどの効果があったのか評価が難しい。厚手のバスタオルは、やっぱりまだしめっとしていた。数も、新たに出すものとすでにかかっていたものとが競合し、ハンガーが足りなかった。もう5本ばかり、買い足してきてもいい気がしてきた。足りなければ困るが、余って困る事は、まあ、引っ越しの時にちょっとかさばるな、くらいだと思う。上に羽織るパーカーも洗ったのだが、あれ、明日外に出る時までに乾いているのか、甚だ自信がない。乾ききらない外套を羽織ると、暖かくなるどころかなお一層の事寒い、という事態になるので、どうしたものだろうか。バックアップディスクを、四ヶ月くらい作ってないぞ、どうすんだ、という通知が来ていたから、SSDを挿しておこうか。今は、消えたら困るデータが少なからず入っている状態だから、そう、思い立ったが吉日吉時吉瞬間、今やらなければ次やるのはいつか皆目見当がつかないから、もう挿した。何の通知もこないが、絶賛バックアップが取られている真っ最中だと思われる。外付けSSDを挿したくらいで冷却ファンが元気になり始めるこのMacbookProも、もしやキャリア3年目にして、あまりの酷使にガタが来始めているのかしらと不安になってしまう。溜まっていた洗い物を、と言っても食事2回分くらいだが、を片付けた。2回までなら、というかフライパンとか炊飯器とかコップとかの都合で、それがマックス回数になる。それ以上溜まると、料理を始める前にまず洗い物をせなならんのだな。それだと、あまり恰好がつかないので。この前新しいものを買って来たばっかりなような気がするが、茶のパックが少なくなってきた。2日ごとに一つくらい使っていれば、まあそうなるかもしれない。買い物に出るたびに、お茶っ葉を新しく買ってこねば、熱いお茶が飲めんぞ、と思っているけれど、買い物に出るたびに、お茶っ葉を買ってくるというクエストの事を完全に忘れている。腕にペンで書いた謎の採寸は残っているのに。ガラケーにメモするのでは、メモした事を忘れるのだから、やはり手でも腕でも、記憶に残るところに記録しておくのがよいだろう。このまま夜通し干して、朝露に濡れたり、早朝の雨で濡れたりとかはないかしら。

挑発と挑戦

何か考えていたような気がするが忘れた。あれだ、さっき、トイレに行った時、眼窩の底の方から、ぐりんと身体が裏返るような感覚があった。吐き気、嘔吐感というのは、私はそのように捉えている。吐きそうになる、あの世界がぐわんとなる感じを、さっき、人生で初めて言語的に捉える事ができた、という確信があった。正誤の問題ではなく、主観的な話で。嘔吐に性感を覚えるようになるには今しかない、とも思ったが、なぜそうする必要があるのか分からなかったのでしなかった。ただ、刺激物を含んだ濁流が、デリケートな部分をなぞって逆流してくるのが、気持ちよくないわけないのでは? と思った。私が考えている事は、他ならぬ私が一番よく分からない。どうしてそんな事を考えるに至るのか。いや、全く。門を出てすぐの、下水というのか、雨を流すための、地面に埋まった水路、あれを覗き込むと、視力のせいでいまいちよく判別できなかったが、とりあえず、様々なゴミが、主に紙ゴミ、料金表とかレシートの類だろうか、が膨大に捨てられているのが見て取れた。前は、白米が捨てられていた。なぜだろう。理由不明だが、白米が、どちゃっと、山になってざらざらと、捨てられていたのである。引越し前で、米を使い切れず、持っていくにも重いので廃棄したとか、筋書きは考えたのだが、納得のいく解は見つからなかった。そういう私も、2回か3回か前の住処で、夏場に作り置きした味噌汁が室温で腐り、変な匂いがしたため、目の前の下水に流して遺棄した事があるので、呪い返しのようなものかもしれない。お茶がなくなったので水で出さなければいけない。水分がさっぱり足りない。そのくせ、20分置きくらいにお小水に行きたくなるのだから、寒さに反応して身体がどうかしてしまっているのではないかと不安になる。貝わさび、だったか、細切れにした貝をたこわさにしたようなものを買ってきて食べたのだが、まずくはないが美味くもない。アカニシという貝が具なのだが、これがまあ、食べ物としての旨味に決定的に欠けている。ぐにぐにするわさび風味が強い何かしらの物体、というのが正しいのではなかろうか。とにかく、なんというか、他のものとの差別点を挙げると、わさびの風味がある、それに尽きて、それしかないような気がするのである。買い物とは難しいな。遠藤周作『海と毒薬』を読み始めた。最初の数ページを読んだだけで、あ、これは面白い本だなと感得されたので、すごいなと思った。

blasphemous

夕方のおやつに、買ってきたつくねの串を食べていた。業務用スーパーで売っていた解凍品で、10本入り400円ちょい。安いような気もするし高いような気もする。学園祭のようなイベントであれば、2本で100円、なんなら1本で100円取ってもいいような気がするので(ラーメンズ『金部』の鉛筆の話を思い出しますね)、販売しようと思えば、最大4000円のパッと見利益が出るわけである。そこから、容器代とか調理器具レンタル代とかを順次差し引いて。ザ・ノーマルでスタンダードな感じだったが、結構うまかった。つくねの特徴である、あのコリコリするような、歯の間にひっかかったらめちゃくちゃストレスが溜まるあれとか、タレとか、うまかった。残8本。で、晩飯を作る前、トイレに篭って、大きい方を済ませている時、肛門から駆け上がってくる、身体的直感があった。うんこをひり出す感触と、つくねの感触とは、もしかして同一のものなのではないかと。うんこが多面的に腸壁に触れながら外気へと這い出ていく感触と、つくねのけばけばした不定形の多面積的な口腔内への接触は、もしや同種類のものなのではないかと。頭の中で、うんこ=つくねという等式が燦然とは輝かなかったが、銑鉄のように立っていた。全くよく分からない、意図せぬところで頭の中の回路が繋がったので、戸惑いの著しい事と言ったらなかったが、しかしそれは感得されたのである。オマエは何を言っているのかと思っているだろうが、私も思っているのでおあいこである。人間の頭というのは、よくできているというかよく分からない出来上がりをしているというか。洗濯物を干そうと思ったが、空が白くて、いつ通り雨がぽつぽつしてもおかしくなさそうだったので室内干しにした。本当は回したくなかったのだが、今日回さなければ明日のバスタオル事情が明日の天気に完全に依存してしまうため、それは避けた。濡れた衣類を部屋干ししていると、室温が下がった気がする。自然の仕組み的には、下がっていてもおかしくはない。実家に帰ると、私と弟と母との3人の人間がいるから、そこそこあるリビングでも、各々が放つ熱でなんとかならないでもない。人が生きているという事はすごい事だなと、そういう時に思ったり思わなかったりする。この前、日曜日だったような気がするけれど、人生でおそらく初めてオリジン弁当を食べた話はしたのだったかしら。したような気もする。値段の割には、いい感じである。こんな感想を書いたような気がすごいのだが。

擦り合っただけ

11月の中旬くらいから商店街にクリスマス装飾が施されたのを見て、俺は生まれる時代を間違えたなと思った。夏の終わりか、秋くらいに、前も思ってはいたのだが、生まれる時代を間違えたなと本当に思っている。まさか、ここまで絶えずアップデートを強要される時代に生まれようとは。思わなんだ。私は、人間としては、2010年あたりで感覚がストップしているから、なんというか、こう、心身が引き裂かれる思いである。不感症に近くてよかった。痛みに鈍感というか、痛みの許容量が大きくてよかった。前、真面目な話をしている時に、同じ事を繰り返すとだんだん慣れて何とも思わなくなっていくんだよ、と言われて、あぁ、不感症だな、でも真面目な話だし、そういう語彙は不適切かなと思ったが、確か不感症と私は言ったのだ。そう、不感症ですよ、と返ってきたのだったはず。正直、不感症にも原因が色々あるので、一口に不感症と言ってしまってよかったのかどうか疑問が残るところではあるけれど、何に繋がるでもない、全く脱線したエピソードを思い出した。そろそろコートを買いに動くか、と思って、近くの店に見に行った。今でも、アパレル系の店に入るのはめちゃくちゃ緊張するし、世界の時を止める時計があったら、それで時を止めてから入って、出てから時間を動かしたいとさえ思っている。なんか、苦手だ。おっ、これええや〜んと思って値札を見たら2万円でギョッとしたりした。値段を知らずとも、なぜか価格が高いいいものに吸い寄せられるケがある。お高いものはいなしつつ、手頃な、せめて1万叩くくらいのやつがいいな〜と思って探していたら、ひとつすっごい好みのやつがあった。フードがついているやつだった。フード付きの服というものがめちゃくちゃに好きなので、これはもう理由とかそういうのではない、ただただ原理みたいなもので、うっひょ〜いいもん見つけたぜ〜と思って試着した。Mサイズ。ちょっとでかい。明らかに身頃が合ってない。常時萌え袖状態になるし、姿見に映る姿は、どう見ても「着られて」いた。でもSサイズはなかった。おぉ。なんという。諦めた。吊るされている同系統の物を見るに、そもそもSは置いてないようだった。あまりにときめく出会いと、あまりに高さのある失望をしたため、今日は何も買わずに外に出た。あとどれくらい、コート買おうかなと言って買わない日々を送るのか。そのあと、銀行で記帳したら、残高が9000といくらしかなくて心臓が飛び出そうになった。さっきのコート、Sサイズがあったとしても買えなかった。明日か明後日、金を移さないと、色々滞る。

倍でやめときましょう

寝起き付近に、あ、これは寝よだれ垂れたな、起きたらシーツ洗わんといかんな、と思う瞬間があって、そこからまたしばらくうとうとしていたのだが、起きてもそんなシミはどこにもなくて、うつ伏せではあったが、表面張力的な何かしらの力的なあれとかそれでこぼれずどうにかなったのだと思われる。そんなに寒い日ではなかった。が、しかし寒いっちゃ寒かったので、やはり季節は冬である。パックの剥きにんにくが、それはもう、本当にぜんぜん、さっぱり減らなかったので、諦めて揚げる事にした。実家に電話している時に、母から聞いたメソッドである。確かに、揚げるとにんにくは食べやすかった気がするし、まあまあいい量食べられた気がする。一気に減らすにはこれしかねえ、という逆転の一手だった。揚げた。観察していて、にんにくが揚がるには、段階があるらしいと分かった。白くて実体があるところがなくなっていくフェーズ、揚げ色がついてくるフェーズ、中の水分が抜けて揚げ色も濃くなりしわしわしてくるフェーズ、大別するとこんな感じだろうか。確認しながら、ちまちまつまみ食いしていた。1と2の間くらいが、にんにくらしさを残しつつ食べやすいが、最後の方も、それはそれで、なぜにんにくを揚げるのか、という問いに答えを出している感じがしてよい。ほくほくは通り越しているが、甘く潰れるような感じがある。で、その脇で晩飯を作っていたが、今日はこれと言った調味料が思いつかなかったので、買ってきたはいいものの、どうにも馴染めず飲めないまま放置されていた焼酎を(日本酒だったっけ?)、料理酒代わりに入れてみる事にした。フライパンから上がる煙を吸っているだけで、ちょっと頭にクラっときた。飯を食い始めるくらいまで、軽微に酔っていたのではなかろうか。結論としては、思ってもみなかったが、かなりよかった。辛口の酒だったから、アルコールだけ飛んで、ピリッとした感じが軽く残っていて、アクセントになった。今思うと、焼うどんでなくてもよかったなという感じはする。そうね、唐揚げの下味つける時に漬けておくと、合うかもしれないね。本を片付けないとなあ。散らかっている。散らかっているというか積み上がっている。最近は、意識的に外に出る事が減っているので、そしてあまり出ている場合でもないから、まあやむなしと言えばそうなのだが、なんというのかな、酸化する部分を適宜剥ぎ取る作業の回数が減るので、ここはつとめてなんとかしたいところだが。

ストリートシール

寝付きがよくなかった。2、3時間くらい、ころころしていたのではなかろうか。布団をひっかぶると暑いので、バタバタしたり、ぬっと足や手を出してみたり、いろいろ悪戦苦闘していた。悪戦苦闘というのは、今字面を見ると、とてもいい言葉だな。戦闘にどうやっても分が無さそうだし、苦闘からは余裕が微塵も感じられない。いやだわー、きついわー、という感じがなみなみとしている。いい四字熟語だな、改めて見ると。で、結局、目覚ましの10分前に目覚めて、二度寝を図り、上手い事噛み合わずに、予定時刻から1時間半後に起床した。下手くそ。久しぶりに納豆ご飯というものを食べたが、これは、なんというか、間隔を置いて食べてみると、非常に腹にくる食べ物だなという感覚が強い。明太子とか、カレーとかにはない、腹の中で固形物がぼてぼてと固まっていく、独特の感じがある。あと、納豆の匂いってものすごい。すごいわ、納豆。昨日、晩飯に、にんにく爆裂納豆チャーハンを作った時、フライパンにぽて、と納豆を落とした瞬間、ガンとぶん殴るような臭気の塊が垂直飛びをして私の顔面にぶち当たり、びっくりした。なんとなくの記憶で、そんなに納豆って強烈なスメルだったかしら〜、とか思っていたが、そんな事は全然これっぽっちも、納豆キナーゼの直径ほどもなかった。まだハルヒの新刊を買っていないので買わねばならん。谷川流の文章は、私の記憶が「よかった」と囁いている。帰省した時、実家の私の部屋(今は弟の部屋になっているが、私が設置しためっちゃでかい本棚2つはそのままになっている)から、ハルヒシリーズを抜き取って帰ろうか。ついでに、生徒会の一存シリーズも全部抜き取って帰ろうか。それで、そういえば、狼と香辛料は、3巻くらいまでしか読んでいない事を思い出した。面白かったのだが、当時は他の色々をやりくりして買った結果、手が回らないまま流れてしまったのだったかな。用事があって、渋谷の近くまで行ったので、どうせ暇だし、アダルトショップを覗いて帰るか! と思った。なぜそんな事を思いついたのか、とか言われても困る。私の頭の中のOSは、下品に取って代わられて久しいのだ。ので、寄って帰った。どっかのヴィレッジヴァンガードみたいに、店内はポップがいっぱいぺたぺた貼ってあった。赤字覚悟、安い、見つけたあなたはラッキーとか書いてあったが、多分DMMとか、オンラインショップの方が安かった。ああいう店の、足くらいの高さに設置されたラックに入っている、中綴じのエロ本、面白そうだよな〜と思いながら、一回も買った事がない。

あるだけで邪魔

すごい寒かった。午前中は、だらだらじとじと雨が降っていて、その名残で一日中きんきんしていたのではなかろうか。窓から、冷気が染み出していた。寝る時につける、木綿の手袋を新しいものにした。同じメーカーの、同じものを買ったはずだったのだが、へろへろになって、中指と薬指のところに穴が空いて、くすんで灰色がかった(なぜ色が変わるのか不思議だが)ようになった前任手袋を見て、本当に同じものだったかしら、と不安になった。隣にあった、サイズがひとつ小さいあちらだったかしら。分からない。手袋は新調したが、肝心のハンドクリームがなくなっていたので、片手落ちになった。そこまで深刻な影響があるかと言われると、まああるっちゃあるのだが、明日外に出た時に、ドラッグストアの前を通って忘れていなければ買ってこよう。連日、なかなかとんでもない感じのようだが、しかし生活するにあたって外出はせねばならない。流石に必要である。時勢が時勢なので、さすがにやめようかなあ、と思わないでもなかったが、年末に帰省する予定である。正直、今はどこにいても危ないといえば危ない。掃除機をかけたい。床をクイックルワイパー的なそれでぴゃーっと拭きたい。せっかくシートを買ってきたのだが。そういえば、ついにマスク在庫がなくなるというので、新しい箱を買ってきていたはいいのだが、着けてみると圧倒的な違和感があった。それはそうである。よく見ていなかったが、子供用マスクだったのだから。なんかちっちぇなと思ったのだ。なんか、被覆面積が圧倒的に足りないなと思ったのだ。なんか、利用可能な体積が少ないなと思ったのだ。なぜなら子供用だったのだ、当然である。途中でドラッグストアに寄り、大人用サイズを買って付け替えた。いやはや、全く。表示はよく見なければいけない。帰省する時に、実家に置いてこよう。サイズの合わない、小さなマスクをすると、なんというか、生命を管理されている感覚がすごくある。利用可能な空気が、これだけしかないのか、という意識が芽生える。すげえ部屋が寒い。あと、さっき洗濯物を干している時に、窓枠にずっと置いてあった、別にそこになくていいし、というか家の中になくても構わない綿棒のケースが落下し、床に綿棒が散乱した状態になった。寝る前にあれを片付けないと、布団が敷けない。今日は生産性の低い日だった。本当に低かった。明日は、まだましな保証があるが。本棚も、どうこうしようと言い続けて幾星霜。

人の家の庭に歯間ブラシを捨てるな

今日は、寝覚めが比較的よかった。というか、目覚ましが鳴る、1時間か2時間か前に、パッと目が覚めていた。いつもより数十分早めに寝るだけで、睡眠にこれほどの影響が出ようとは。寝起きで、寒さに怯えて布団の中へ絶えず回帰し続ける意識の中で、思いはほぼ一つに集約され、爆発していた。腹の中がめちゃくちゃ気持ち悪い。胃の中に、まだ何かが、形を保ってうずくまっているのがよく分かった。その正体というか原因というかは、すぐに検討がつく。昨日の晩飯に食べたつけ麺である。辛味のために、辣油的な何かがつけ汁に浮かべてあった。や、にしても、それっぽっちの油でここまで身体がやられるだろうか。現にやられているのだが。つけ麺の、麺をつける方のあの液体の名称を、いつも迷うのだが、正式に、あるいは通称として何があるのだろうか。私はとっさにあれを呼称しろと言われると、「つけじる」と発音してしまうのだが、つけダレとか、なんか、よさげな名前があるのかしらね。で、そいつの油だけで、こんなに胃もたれするものなのか。麺自体が、私の体には合わず、消化に時間がかかっている可能性もないではない。あそこの太麺は、うまいのだけれども相応にぶりんぶりんしている。あるいは、上に乗っていたもやし、あれもラードか何かで炒めてから乗せているようだから、油分・カロリー的にはなかなか無視できないもやしかもしれない。にしても、不快に感じるほどの消化不良とは。たしかに、昨日は変則的に、3食口にした日だった。普段は2食だ。その辺の要因が、高め合ってアウフヘーベンして、明け方の布団の中、意識をしかめる人間を生み出したのだろう。そういう事にしておく。刻限まで二度寝できないかと思って頑張っていたが、大して効果はなかった。鎧戸が閉まって、空が明るくなってきたものやら、よく分からないのがよくなかったのかも。ゴミ捨ては覚えていたので、そこはよかった。起きたら、グラブルのアプデが来ていた。触って、大体終わったけど……。うーん……。そういうところでしか差別化図れないのは身に沁みてよく分かるが、一日に触れられるコンテンツ許容量を考えた時に、この設計は正直きっついでぇと思う。きついよ。私の好きな言葉である、可処分時間の奪い合い、まさにあんな感じのコンテンツだもの。周年で何追加してくれるんじゃろうか。正直、もう肥大化してあっちを立てればこっちが立たずな状態になっていると思うので、なんか……こう……スリムにならんかな……。

ゴシップずるずる

まだ玄関に燃えるゴミがある。いつのやつなのだろう、あれは。夏なら、ものすごい匂いを発して、早く捨てないとこれはまずい、という生物学的信号が(こういう時に生物学的、とか言うのは間違いなのかな。まあ、ええわ)ぴこぴこ出るだろうが、今は冬である。冬と言っていいと思う。とても寒い。床から、すくすくと冷気の手が伸びてくるのを感じる。夜は、もう、鎧戸を閉めるのがお決まりになってしまった。誰か、私の私生活を、夜に窓からのぞいていた人がいれば、楽しくない事態だろうが。こっちも寒いのである。鎧戸を閉めるだけで、違いが直ちに感じられるくらいには気温が変わるのだ。閉めないわけにはいくまい。こちとらお手洗いが近いのだ。さらに寒さが重なれば、お手洗いへGOGOタイムになる事は目に見えているようなものではないか。なぜこんなに、自分の膀胱が弱っちい事を熱弁しているのか。や、便ではあるのだが。冷たい便はないからね。熱いので間違いはないけれども。なんだか、汚い話を頑張ってしまった。しかし、下世話な話は、下世話というか下ネタ大好きなので、自覚せずとも肩肘局部に力が入ってしまうものかもしれない。下世話というのは、さっきつけ麺を食っている横で男子大学生2人がしていたような話のことである。どういう話だったかというと、とってもびっくりしたのだが、塾講師をやっているらしい片方が、どうやって可愛く思っている教え子を落とすか、という話をしていた、っぽい。私の耳と、頭の中で処理された話の筋が間違っていなければ。嬉々として話していた。LINEのメッセージがどうこう、とか言っていたから、連絡先も知っているようだ。おかしいな。私がかつて個別指導のアルバイトをした時は、生徒と個人的に連絡先を交換する事は絶対するな、と言われたはずなのだが。まあ、絶対というのは、それを破るやつが必ずいる、という事を証明しているような言葉だから、今更驚くようなことでもないのか。就業規則は守れよ、と思うが。就業規則と言うほど、あれは強い禁止だったかしら。どうやってLINEでお出かけ(デートではないらしい)の誘いをするのか、何回もしゃべっていた。誘いを一回送ってから、すぐに消して、相手から「さっきのメッセージ何だったの〜?」の反応を引き出し、なんでもないなんでもない本当になんでもない、嘘〜なんだったの〜的なやりとりを経て、「いけそう」な手応えがあったら実際に誘うらしい。私のようなおぼこ野郎には、本当にそんなもんでどうこうなるのか不思議でならないのだが、今までに何回かそれでどうこうなっているらしいから、もしかすると、世の中は私が思っているほど複雑ではないのかしら、という気がしてくる。あと、背が高い女の子は苦手、とか言っていたが、それはまったく同意できなかった。ええやろ。

tykhe

皿を洗いながら、なぜか頭の中にしましまメロディが流れ始めた。MOKSHAのシークレットトラックで流れ始めた時は、それはもうびっくりしたもんである。でも、普通にいい曲なんだよな……。カラオケには入ってなかった気がするけれど、時代も進んだので入っているかもしれない。カラオケとか、もう何年も行ってないね。いや、でも、2018年の6月? くらいに行った覚えがあるな……。あの時無理矢理と言ってもいいくらいの同行してもらった先輩元気かな……。過労で逝ってないかな……? あの人は、元気ですか、いつか飯食いに行きましょう、みたいなヌルい誘い方をしても現実の煩瑣に埋もれてしまうだろうから、声をかける時は、この日、この時間で、ここ来てください、いいですね(ガシャン)(電話を切る音)くらいしないといけない。それ以来、ちらっと会ったかな、会ってないかな、くらいにあやふやだ。同年秋に、一回会ったかも。腰を据えて、ではないので、いつか。そういえば、今回は一応帰省する心算でいるので(こころづもりと入力して、心積もりと変換されるのかと思ったら心算に変換された、知らなかった)、会うつもりというか、帰ったら会わんとだめじゃろ、という友人2人には、今のうちからメールを打っておこう。LINEではないところがポイントである。知らないし。一人は、多分、絶対に予定を空けておいてくれるだろう。人生が、私の数倍のスピードで進んでいるようなやつだから、何時間も話し込む事は難しいかもしれないが。できれば、半日くらいは。どうだろうね。もう一人は、多分暇だろう。私と人生の波長が近いので。来て〜〜〜〜来て〜〜〜〜おねが〜〜〜いとか言ったら、十中八九来てくれるだろう。こっちはこっちで、聞きたい話がいっぱいある。私から話す事は特にない。や、私は誰に対しても、話の種が乏しいのだが。DMMR18の同人作品とかゲームとか、話せる人に会った事ありますか??? 私は人生で2人だけ知り合った事があります。ないわけではない事象ですね。なんでそんな事があったのか。偶然とは、本当に不思議で、面白いものですね。この2人は、心がかち合う音がしたのが、キルドヤの話をしている時だったので、2人ともそうだったので、世の中どうなってんだ、と思った。キルドヤ面白かったんだよな〜。パッケージ版で完結させて出してくれないかな〜。幸い、全シナリオを担当されていた人となぜかツイッターでつながったので、いや、本当に、世の中何があるか分からん。

(R)A(H)MEN(S)

小林賢太郎が、表舞台から身を引いたというか、引いていた事が分かったというか。昼くらいに情報が飛び込んできて、びっくりした。びっくりして、小林賢太郎のホームページに飛ぼうとしたら、めっちゃくちゃ混雑していて、全然繋がらなかった。事務所の声明と、片桐仁の声明とを見て、あら、これは本当なんだなと思った。私が生きている間に、ラーメンズの本公演が、あと1回はあるかもしれない、と根拠のない、淡い期待を抱いていたが、復活する事なく、劇場で観る事も叶わなかった。カジャラ#4怪獣たちの宴で、東京公演初回を最前列で観て、本物に魅了されて、あれが最初で、最後になってしまった。人数が多いのもよかったが、ラーメンズの、2人しかいない、広々とした舞台も観てみたかったな。ある意味、一度でも生で観る事ができただけで、私はたいへんラッキィだったと言えるか。今年は、ほとんどが、だめになってしまったからな。もう、作者と登場人物が同一直線上にあるという、稀有な体験はなくなってしまったが、表舞台からは身を引いただけであって、脚本だとか、なんとか、完全に活動をやめてしまうわけではないようで安心した。どういう形で出てくるのか、今から楽しみである。楽しみにしていないと、喪失感に引っ張られてしまう。YouTubeにある、ラーメンズの公演コント100本、このまま残るのかな。あれがないと、あれがないと……。言語化できないが、色々困る。金部のテーマとか、帝王閣ホテルの応援歌とか、採集のラップとか、ていうか観たくなった時にパッと観られないと困る。ラーメンズは、私の血肉の一部と化してしまった……。いい事書いてるんだから、変換候補で恥肉とか出してくるなよ、笑っちゃうだろ。一体いつ恥肉なんて入力したんだろう。今日は、もう、それでショックを受けて、ずっとぼーっとしていた。いつも? それはそうだけども。自覚できなかっただけで、それなりに心が動揺していたのか、シャニマスをインストールして1時間くらい触るとか、よく分からん事をしていた。ライブ2D? って言うんですかね、立ちスチルがぬるぬる動くのすごいですね。普段そういうのやらないからびっくりしちゃった。すごいわ。ゲームの内容は、なんかピンと来なかったので何も言えません。何したらどうなるんじゃ……? すげえプリティに変貌したパワプロみたいなもんなのか。なんか……。うーん……。高度に発達した科学は魔法と区別がつかないというあの言葉を思い出したが、敷居が低すぎるな。

ネギの緑色のところの手軽な使い道

喉の奥に指を突っ込むと、あ、いけそうかも、と思う。何がだ、と思うが、なんだかいけそうな気がする時がある。そう思った、数ミリも行かない場所で、たちまつえづく。誤嚥防止というのか、人体のこの機能はよくできている。油断すると、おえってなったその流れで、そのまま中身が出そうになるので、気を付けなければ。さっき、歯磨きしながら、そんな事を考えていた。なんでそんな事したり考えたりしたんだっけ? あ、そうだ。なんかアヤシイ広告の一つに、口腔の奥の方にちっちゃい穴ポコがあって、そこに食べカスが溜まって匂い玉になり、口臭を発生させるのです、なんとこの製品は、その匂い玉がぽろぽろ出てくるすごい製品、買おう!!! みたいなやつがある。アヤシイ広告は、怪しいので、端から相手にはしていないのだが、この匂い玉というやつについては、心当たりがあった。咳き込んだりすると、たまに、どこからか、口の中にぽろっとなんかが出てくる。多分、広告が言う所の特徴っぽいものを備えているし、人体の穴にはこれくらいのサイズのものもあるかもしれんな、という推測より、それが多分そうなのだろうと思っている。正式名称なのかは知らないが。広告を鵜呑みにすれば、薬物を使えば取れるようだが、これは物理的に除去できるのか。それが気になって、喉の奥に指を突っ込んだんだったような記憶があるようなないような。ちなみに、取れなかったし全然分からなかったので、人智っていうか、人指の及ぶものではないようだ。今度、口腔科に行く事でもあったら聞いてみよう。虫歯は、人生でした事ないのでそんな機会があるかどうか分からないが。虫歯になるかもよ、みたいな歯科検診の結果を受けて、歯磨き真面目にしたらなくなったのは記憶にある。買い物に行った。ハンドクリームを買わないとなくなるのだが、そんな事すっぱり忘れていた。思いつくたびに、何かする前にこれを見れば安心自分の事を信用していないので記憶容量を外部委託したぞノートブック的なものに書き付ける習慣でもつければいいのだが、たぶんそういうノートを設けた事も忘れるのでいかんともしがたい。工事をしていた。本屋に寄った。ハルヒの新刊が、たった一山だけ、しかもラノベ文庫サイズでちっちゃいので、新刊の海の中で肩を潜めて、ひっそりと姿を隠すようにしていた。一般書店だと、そんなもんか。並みの小説より、文章面白いけどな……。どこに焦点を当ててコンテンツを享受するかについては、色々あるのだと、分かっていて分かるが故に悲しいが。

din in

さっきグラブルのストイベ読んできたんですけどね……。よかったですね……。先月のやつも空気が重くて好きだったんですけどね……。これはね……。これはネモネモネモネモネモネモネ。よかったですね……。ネタバレ嫌いだから、触れずに書こうとすると、よかったしか言いようがないね……。ありがとうサイゲームス……。グラブルは、シナリオ読んでる時が一番楽しいなと、思いました。やっぱり。堪らんな!!! 昨日は寝付きが悪かった。なんで? 梅酒飲んだから? 多分、3時か4時くらいまで、ごろごろして、はよ寝ろや阿呆と思っていた。寝られないと、誰に当たればいいのか分からなくなる。当たろうとする事が間違いなのかもしれないが。あまりに眠りの淵が見えてこないので、なんか短い話でも書くか……と思って、使われなくなったメモ用ノートを引っ張り出し、思いついては電気をつけ、書き終わったら電気を消して寝ようと努め、寝られないのでその間に思いついては最初に戻る、という事をしていた。その間に、なんで昔の自分は、ギブミーチョコレート部なんてものを書いたのか、マジでさっぱり分からんなと思った。今だと、桜色の乳首の桜の樹の下でも、なんであんなもんを思いついたのかマジでさっぱり分からん。どちらも、カクヨムの私のところに置いてある。マジであれはなんなんだ。小林賢太郎のコントで出てくるシチュエーションに対して、「なんでそんなもん思いつくの???」と疑問符が湧いてくるものが多いというか、ほとんどがそういうタイプの、他の追随を許さないものだが、先述2つに関しては、我が事ながら、同じ質の同じ感情を抱く。私は、たぶん、精神的な負荷が過度にかからないと、自己実現できないタイプなのだろう。自己実現するか死ぬかの二択みたいな、キワキワしか歩けないっぽいが。下手くそめ……。新しいローションを、今度は粘度の高い、ねたねたした、どぅぷんどぅぷんするやつを買ってみたら、結構いい感じだった。アダルトショップは、いつ行っても、誰かしらが何か見ているので、面白い。というか、それを抜きにしても、あそこは場所として普通に面白い。内部構造がよく分かるようにオナホールかっさばくの上手いな、とか、思う場所がない。マックのチキンナゲットキャンペーンが始まっていたので、行った。1月5日までやっているらしい。長いね。間にクリスマスも正月もあるから、やむなし。今回は、トリュフ入りカマンベールチーズの方が美味しかった。ちょっとチーズの匂いがきついので、苦手な人はあれかもしれない。伊勢海老&ズワイガニの方は、2年くらい前の、ちょうど同時期のソースで感じた、かっぱえびせんだこれは、という風味が少しだけマイルドになった、パッとしないシャア専用みたいな色だった。冗談だと思うならば、実物を見てみるがよろしい。