他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

オキアミ

シーツがないから、代わりにバスタオルを4枚くらい敷いて、バスタオルを2枚くらい被って寝ようとしたが、この例えが適切かどうかは分からないけれど、避難所かい! と思って、掛け布団と身体の間にバスタオルを挟む事により、擬似シーツとして寝た。眠りの質は良くなかったらしく、日中3時間くらい、縮こまって意識がなくなっていた。シーツを洗おうと思っていたのにどしゃぶりだったし、なんなら天気予報を見たら、一週間先まで真っ暗闇ではないが真っ灰色であって、明日は辛うじて曇りくらいなもので、まだまだ湿り気でどちゃどちゃらしい。いやだ。いやだ〜〜〜。天気が悪いと頭が最悪なため、この梅雨前線だかなんだか、どっかと居座った重苦しさにはどこかへ行ってほしい。調子が悪いので今日はこれくらいにする。明日、シーツを干せるのか!?

へっくしょい=(へくちっ+ぶぇーっくしょい)/2

よっしゃ! シーツ洗おう! と思った。晴れではなかったが雨ではなかったし、定期的に洗いたくなるものだ。洗濯機がパンパンになって、すすぎ工程でバグって延々とすすぎ続けるのもいつもの事だった。雨ではなかったので、湿気の多い国とは言え、なんとかなるだろうと思っていた。かぴかぴに乾かずとも、身を横たえるに耐えるほどになっていればよかった。そして、夕方、猛烈な通り雨が猛烈な勢いで通り過ぎた。屋根の庇護下になかった箇所は一瞬で、面を持った水で撫でたように暗い色になり、屋根のジャスト滴下ポイントにあった箇所は、射抜かれて水滴を弾き他の箇所までも犯した。雨とはかくもそういうものであった。なので、シーツをもう一回洗って今晩は布団地にバスタオルを敷いて寝るか、あの被害はなかったものとして妥協しさっさとシーツをかけて寝るかの二択を迫られている。いや、これはあれだな。今触って確認したが、どっちも下の方は取り返しがつかない感じのびっしょびしょだったので、バスタオルを敷かざるを得ない状況のようである。一緒に出していたタオルケットが、これもそろそろ時節として今年の役納めかと思っていた、なんとか被害を免れていたようなので、そんな感じで夜を過ごしたいと思う。夜は、そろそろ肌寒くなってきたので、乗り切れるのかどうか、夜中にプリティーなくしゃみで起きたりするまで分からない。プリティーなくしゃみね。キャラの属性を分類するのに、キュートクールなどなどあるが、そのそれぞれにおいてくしゃみを分類してみてもいいのかもしれない。かわいいゲップは聞いた事ないが、くしゃみはバリエーションを持たせる事ができるのではないかという、可能性の存在を感じる。ゲップは……。あれは、発生したが最後、ただ単一の事象で塗り潰されてしまう、というのが私の意見であるが、もしも、くしゃみにおける、「ぶぇーっくしょい」と「へくちっ」のような腑分けが可能であれば、是非に教えて欲しい。ゲップは、その名前自体がそれとして充足している。2kgで千円しないくらいの、国産鷄の真空パックみたいなやつを買ったら、めちゃくちゃに入っていた。半分の重量で同じくらいの内容量の外国産のやつは買った事があって、あれでも持て余したが、その倍あるので、倍以上持て余した。モモ一枚は、結構でかい。昆布だしと辣油にんにく、トマトを入れた油スープみたいなやつで煮込んでいる。昨日のリベンジとして。それなりの時間煮ているので、味が染みているとうれしい。

filled with new

牛乳とかを買いに行ったついでに、調味料コーナーに花椒があったので買った。花椒は好きだ。めちゃくちゃ好きだ。中華の調味料の中でもトップを争うくらいに好きだ。六角はよく分からん。満開の毒々しい花みたいな感じだけど、あれが風味や実際の味にいかほど影響を与えているのか分からない。というか、私は、六角の入った料理を食った事があるのだろうか? 自分で料理したものなら、多分思い出せるが、そうでない、現象のひとつとしてだと、全く認知できない。フィッシュアンドチップスに必ずついてくる、青臭いグリーンピースのマッシュは、自分でやった事はないが分かる。あれは、良いものでも悪いものでもなく、ただそこにあるものだ。フィッシュアンドチップスという現象が発生する際に、必ず併発するものなのだ。不思議な事に。私が行った事ないだけで、本当にフィッシュとチップスしか出てこない店もあるかもしれないけれど。レモンとヴィネガーと、塩胡椒は出てくる。ヴィネガーは、一緒に出してくれる事もあるし、言えば持って来てくれるところもある。私はほどほどにかけるが、大体一緒にイギリスに行っている人は、すげえかける。「そんなにかけるんですかと思うくらいかけるのが正解」だと言っていた。そうなのか。そうなのかもしれんな。その習慣の外側にいる者には分からないものもある。だるかったので、そろそろ生体のねばりみたいなものを感じ始めたシーツを洗わなかったが、多分今日は晴れていた。窓の方を全然向かなかったので、そうだったような気がするとしか言えない。そういえば買い物に出たのに、晴れだとは思わなかった。当たり前として享受し過ぎているのか。今日は言いたい事はない。花椒でちょっとお腹が痛いかもしれない。

アメリカンチェリーのナショナリティ

何か考えていた事があったはずだが、忘れた。そば粉枕についての話だったかもしれないし、ラムネ瓶の中に入っているビー玉の話だったかもしれない。最近のラムネには、ビー玉は入っていないんだっけ。そもそも、ビー玉が入っている理由がよく分からないけれど。音による清涼感とか、なんかそんな理由だった気がする。晩飯を食った後、ぼーっとしていて、アダルトサイトのおっぱいグッズを眺めていた。物を見るのも好きだし、さらに好きなのは、各商品についているレビューを読む事が好きである。キャンプランタンのレビューを読んでも面白くないが、美少女ゲームアダルトグッズのレビューは面白い。何がそこを隔てているのか分からないが、心が面白がっているのだから仕方がない。特に気に入ったものはパソコンのメモ帳機能にコピー&ペーストで残してあるから、好きな時に読み返せる。経験に基づいた記憶は、原体験を呼び起こすので、あぁ、あれについていたやつかと思い出す。年号なり、歴史的事実なりを覚えた方がよっぽど有用なのだが、精神がへんちくりんな食わず嫌いをするものだから、そっちは全然入らない。愚かだ。夕方ごろ、一瞬だけ、外がオレンジ色だった。そろそろ天気が落ち着くのだろうか。先週のどこかで、月曜日まで天気が悪いらしいみたいな事を書いた記憶があるが、一週間くらい、ただ平坦な道を綿棒でなぞるような、無にして虚の、スカスカポンタンな生だったから、そうであるからと言ってどうと言う事はない。読みながら、3割、あるいはやっぱり4割くらいは、知らない単語ばかりだなと、Ray Bradburyの本を手にしながら思う。分からないが、だいたい分かる。ど真ん中の100点ゾーンをピンスポットで射抜くのではなくて、50〜70点台のグレーゾーンを、ふらふら、よちよちしながら行ったり来たりしているような。この、全てが全てに代替される、何かが何かのイメージに置き換わり続ける、イメージのaccumulationそのものみたいな文体に、ものすごく親近感を覚える。日本語ならば、開高健のそれに感じたもの、これを英語で感じるならば、ブラッドベリになるのだろうか。先人は、この英名をレイ・ブラッドベリと訳したわけだが、最後の音を伸ばさなかったのは、よい判断だったと思う。この作家の小説を、訳で読んだら、この語彙の突拍子も無さというか、かなり際どいところから引っ張って来ている、グロテスクさが消えてしまいそうな気がする。

a hail of bullets

頭がいてえ。治らない。晴れたらマシになるのか。今日はちょっとだけ雨が降らない時間があった。降らなかったところで、びちょびちょで洗濯物も干せなかったし外にも出たくなかったからいいのだけど。部屋が洗濯物で夥しい。衣類を部屋干しすると、部屋が廃墟になったような感覚があってきらいだ。ぼろぼろになって、綻びてワッペンみたいなものがあった場所がぱっくりと口のように開いているバスタオルの裾がそう思わせるのかもしれない。ぐったりとして生気のない物体に空間の主導権を握られ、押しつぶされるような感じがするからかもしれない。あるいは、この湿っぽくてカビのような匂いが、単に。飯を炊こうと思って、結局ずっと忘れているし、炊こうにも、大して残っていなかった。ずるずると、引きずるような呼吸だ。濡れて憔悴した洗濯物の、なんだっけ、なんて書こうとしたんだっけ。こうして見ると、持っている服は、全部暗い色だな。赤、赤。イギリスのH&Mで買った、身の丈に合わないめちゃくちゃでかいワインレッドのパーカー、パーカーだっけ、は持っていた記憶があるけれど、あれは結局どうしたんだっけか。捨てたか。それとも、どこかに埋めたままなのかしら。似合わなかったし、身体にも合わなかったし、あれをなぜ買ったのか、なぜ着たのか記憶にない。意に添わぬ服を着ていたのは、珍しい記憶かもしれない。やろうと思っていた事は、やっぱりというか、やらなかったので、明日やる事にする。明日は、やるだろう。そういう日だから。だめだな、言葉が出てこない。寝るか。寝られるのか。寝られるかな。

no way other than

まだ雨が降っている。降りっぱなしで降り続きで、全部がびちょびちょだ。すげえ頭が痛い。月曜日くらいまでずっと雨だし、火曜日はせいぜい曇りで、その後もまだしばらくずっと雨だった。イかれた天気だ。頭が痛い。

おちゃっぴぃ

夏には花火があるという事を、さっき思い出した。今夏初めて思い出した。8月のどこかのタイミングで、宮島(だったと思う、水中なんちゃらという文言がくっついていたような記憶がある)の花火大会がもう開催しなくなる的なニュースを目にしたはずだが、その時はそれとして認識していなかった。花火、そうか花火か。ベッドに寝っ転がりながら読んだニェンイベントのシナリオで爆竹が出てきたが、あれは花火の上位概念なのか、それとも従属概念なのか。それにしても、あの花火大会は中止になるのだな。最後に花火大会に行ったのは、どっかのなんかの花火大会で、その時読んでいた本を覚えている。何年前だ。5年くらい前か。母と弟と行った。かなり早めに行ったので、ものすごく暇だった。そうか、あれから5年か、と言いたいところだが、別にそういう気持ちはないし、やっぱり5年という歳月の重さを測量するための情緒がない。まだ雨が降っている。少しだけ止んでいる時間があったが、それも一瞬だけの事で、ずっとばちゃばちゃしている。4日、それとも5日? ぶりくらいに家を出て、食べ物を求めて近い方のスーパーへ行った。途中で銀行の記帳をして、思ったより金が入っていたが、しかして思ったより金はなかった。月半ばくらいまではこれで食っていかなければならないが、まあ大丈夫だろう。スーパーの野菜売り場で、連日の長雨のためレタスの入荷量が減っていますというお知らせが貼ってあって、あ、雨降り過ぎだと感じていたのは間違いではなかったのだなと分かった。あんまり降りまくっていて、なるほど、農業とかその辺りは頭が痛い問題なのか。太陽の光を最後に見たのが、それこそ4日前? とかではないか。とにかくどんよりぬらぬらとして、頭が痛くて重くてしょうがない。特に寝起きが鈍重で、身体がどっぽりと持ち上がる感触がある。夏ももうその姿を消していくのか、それともただ天候のせいで気温がそうなっているだけなのか、布団を半身にかぶせるくらいしなければ、くしゃみのひとつやふたつしてしまいそうだ。これでこの雨雲が散って、太陽がカムバックしたらば、またうだるように文句を捏ね回すものかもしれないけれど。調味済みの鶏肉を焼いたが、生焼けだった。調味済みの食料にうまく火を通せた経験を思い出せない。だいたい、偽物じみた濃い肌色の下に、作り物みたいなピンク色が残っている。あのピンク色は、嘘の色で、本当に肉を食べているのか分からない。

コーヒーの絵本

買い物に行きたかったのに、一日中雨が降っていた。それはもう、文字通り一日中降っていた。いや、今日は少し起きるのが遅かったので、それまでの時間に降っていなかった時間がちょびっとあるかもしれないが、それにしても降って降って、降り募るとはこういう事かという感じだった。さすがに明日は食うものがないので、何はどうあれ買い物には出ねばならないのだけど、明日もこんな天気だったらば、その時はどんなに嫌な気分であろうか。ああ、そうだ、明日の朝、すでに食い物がないのか。仕方がないので、朝からカップ麺を食う事になる。さっき食ったカップ麺は、柚子香る和風だしそばみたいなやつだった。一緒に作ったサラダ? 的なものは、玉ねぎを櫛切りにして水に晒し、ツナ缶を開けて胡麻油塩胡椒醤油鷹の爪マヨネーズで味付けをしたものだった。これの鮮烈というのか、激烈な風味が全てを消し飛ばし、一体そばのどの辺りに柚子が香り漂い気配を覗かせているのか、全然分からなかった。感じはしたが、あれは多分、いや、少なからず、気のせいだと思う。そうだ、食うなら生の玉ねぎしかねえと思って作ったものだったわけだが、生玉ねぎを食べようとするたび、どれくらいの時間水に晒しておけばあの辛味がどっか行くのか分からない。作るたびに、なんだこいつ辛いやんけと思う。それとも、あれは新玉ねぎだからこそなせる技であって、普通の玉ねぎに望むのは少々やりすぎな事だったりするのだろうか。分からない。新玉ねぎっていつ頃出てくるんだっけか。分からん。私に時系列とか尺度の話をしないで欲しい。そのための機能がなくなっている。一日中雨が降っているから、頭がはっきりしない。それとも、これにはどうしようもない理由があるのかしら。分からない。じっとしていて、書く事がないので、もう寝ようか。

どんな形になってもそのままで

大家さんにもらった食料の中に、伊藤園『理想のトマト』というジュース? 飲み物? があった。総合的な判断からすれば、あれをジュースと呼ぶのは、少なからずこの飲み物に失礼かもしれない。飲みながら、なんか普通のトマトジュースと違うなと思ったが、200mlしかないのに、トマトが6個分も入っていたらしい。通販番組みたいなリアクションを、心の中でした。ジュースというのは、原材料をぐちゃっとしてぶちゃっとしてどろどろになったものだから、原物を目の前に置くのと、加工後を見比べるのは意味が無いと言えば意味が無いのだけど、なるほどこれがトマト6個分を一度に摂取する気持ちかと思った。トマトは、一度の食事で食べて、丸々2個くらいが限界だ。いや、適当にホール缶やダイス缶で使っている時はもうちょっと食っているかもしれないが、そういえばこれも加工の典型だが、切る前潰す前はそのくらいだと思う。濃厚なのだが、どろどろしたトマト的成分が咽喉に引っかかり不快になるちょうど一歩手前の質感で、今野菜を摂っているという自己肯定感と食事の実感を同時に満たす事ができる。酸っぱすぎず、しょっぱ過ぎず、甘すぎもしない、トマトという綱渡りを見事に渡り切った商品だった。なぜこんなにトマトジュースを賞賛する日記を書いているのか分からないが、おいしくてよくできていたものだから、ついつい褒めてしまった。よくできている。もらったものなので値段は分からないが、野菜ジュースの類としてはかなりいい値段がするのではないか。そして、その値段を払っても、この体験があるなら一度は無駄になるまい。かなり強気なネーミングだが、開発担当はこのネーミングに恥じない気持ちであった事だろう。以上、晩飯の後に飲んだトマトジュースの感想だった。これ以上は蛇足に思えるので、今日はこれまで。

乱調

夕方か、午後かのどこかの時間で、雨が降り始めた。お、これが通り雨かというような、猛烈な降り出しだった。家の前あたりで、ちょうど郵便局のバイクが止まる音が聞こえて、それで気が付いた。そのまま、一瞬止んだ時はあったが、どばどばと強烈な勢いで降り続けている。この前帰ってくる時にこんな天気でなくてよかった。明日の夜までには家の中の食料がなくなるので、買い物に行かなければならない。銀行もしばらく残高推移を見ていないので、記帳したい気持ちはある。丸々一ヶ月くらい、自分が払った金ともらった金の総額を全然把握していない。立ち所に色々忘れるので、一生クレジットカードを使わない方がいいと思う。でも、インターネット回線の料金はVISAデビットでは払えなかったので、それはクレカにしているのか。主に使っているカードはふたつしかないから、たまにばらばらと色んなクレカを雨霰持っている人に会うと、それ、全部把握しているのですかと聞きたくなる。まあ、でも、知っているあの人たちは、どちらも金の細かい流れを全く気にしていなさそうだから、それで正解なのだろうな。昨日の夜は、早めに寝たのだが、2時間くらいでばちっと目が覚めて、どうしようもなかったので、起きて3時間ほどぷらぷらしていて、寝て起きたら午前もいいところだった。二度目の寝付いた記憶がなく、次に起きた時は深水からざばりと突然引き上げられたような目覚めだった。なかなか野菜が食えていないので、明日は野菜をしこたま買ってきたいものだ。それなりに遠いスーパーまで歩いて行って、それなり以上に重たい荷物を担いで帰るのもあほらしく感じてきたから、おばあちゃんが後ろに曳いているちっこい貨車の、もっとでかいやつ、バギーカーみたいなものを買って、それを買い出しに持っていけばいいのではないかとようやっと気が付いた。遅い。重くて持ちたくないのなら、重たいものをほどほどの労力で運搬できるものに乗せてしまえばよかったのだが。面倒がった結果、なお一層面倒になっていただけだった。Amazonとかでも買えるらしいので、近々入手の予定である。いっぱい買って帰れるなら、一度でもう少し買って帰れる。髪が伸びた。まあ伸びた。切りたいと思い始めてから、もう3週間? 2週間? くらい経ったが、日に日に切りたい思いはオベリスクである。しばらく散髪には行けそうにないので、そこが辛いところだけれど。左の腰も右の腰も床ずれしていて、どっちを向いても痛い。

ビーチにやってくる

やっと身の回りが落ち着いた。ので、今日は一日何もせず、ぽけっとしていた。一週間強は、ぽけっとしている事になるはずである。今月の家賃を払っていないので、明日はさすがに外に出なければならないが、生活上必要最低限のそれに留め置かねばならない。普段の生活とあまり変わらない気もする。ただ、しばらく自分で飯を作って食えていないので、そこが苦しい。体調管理の基本が飯なので、野菜食いて〜〜〜と思っている。一ヶ月くらい、同じ空間で過ごした人が、野菜やら果物やらをしこたま食うタイプであったのもあるし、彼の地のそれらはただただ美味しかった。さっきポテトを食って、あぁ〜〜〜イモがあんまりうまくねぇ〜〜〜というマイルドにしたらこんな感想を抱いてしまった。イモはうまかった。肉もうまかったので、ステーキ弁当を食ったところで、なんじゃいこれはと思った。まぁいいわ。洗濯をした。よく晴れているしよく太陽が凶器を投げつけてくるし、乾いたのではないか。これで乾いていなかったら、妖精か誰かが絶えずバケツで水をひっかけていたものだと考えざるを得ない。何もする事がなかったので、そして特に何もしていなかったので、書く事がないんだな。レイ・ブラッドベリの話でもするか。Ray BradburyのSomething Wicked This Way Comesを読んでいる。英語だ。7、8割くらいは分かるが、一ページあたり20くらい知らない単語が出てくる。それでも読めるのだから、人間の言語機能に感謝するべきか、あるいは私が相当トンチンカンな読み方をしているかのどちらかだろうが。何日か前に、寝られない夜の間に発見したのだが、タイトルの単語全てが頭にアクセントがあって、alliterationになっている。これは素晴らしいところだ。声に出して読むと、それがよく分かる。もし万が一邦題に訳さなければならないような事態に直面する羽目に陥った場合には、そこに留意しなければならない、と私は思う。ここは個々人の翻訳、あるいは言語に対する姿勢、真摯さと言ってもよいが、それが如実に現れるため、適当な事抜かしたら引っ叩いてよい。語呂とアクセントに気を配ると、奇妙な何かがやってくるとかになるのだろうが、原題がかっこよいので、訳す必要はないだろう。ブラッドベリと言えば、華氏何度か忘れたがそういうやつの著者だとしか認識がなくて、初めて読んだ。この人は冗語の人で、言わなくてもいい事で文章が溢れている。そういうところを削れば、本の厚みは30%くらいになるのではないかと思うくらいに。ただ、その積み重ね、くだくだしさが、味気のない、ぼそぼそした雰囲気を生み出し、着々としずしずとおかしくなっていく様を感じさせるところもある。

品のないmedia空間ですね

オリジン弁当のスタミナ牛焼肉弁当が、まさにバカみたいな味がした。この味は、概念として抽出した後、然るべき方法で保存し後世に伝えてゆく必要があると思う。それくらい、薙ぎ倒していくような味だった。何か書くような事を考えていたはずだが、シャワーを浴びている時に思い浮かんだ「アナルブリーチング」という言葉しか覚えていない。明日から、身体が落ち着いたので、まだちゃんと書き始めると思う。大家さん一家は、本当にいい人だと思った。なぜ私の目が潰れないのだろう。