他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

肩にタオル

米がなくなったので買いに行った。そろそろなくなりそうだなと思ったのは先週くらいだったような気がするが、昨日の事もよく覚えていないくらい時間軸の感覚が喪失されているので、もっと前だったのかもしれない。ともかく、食うものがなくなりそうになって、仕方がないので買いに行った。米屋がそう遠くないところにあってよかった。そんな事は知らず、考えず、当時の私は家捜しをしていたわけだから、よく分からないところで運がいいものだ。そもそも、「米屋」と口にする、考えに上す機会がいつある。なんでもかんでもスーパーとかで買えて、極め付けは玄関先まで段ボールに入って配達されるようになったし。いや、ここまで企業ならびにサービスが出てくる前にも、生協なりコープなり(同じものか)もそんな感じだったはずだ。子供の頃は、ぺらぺらてかてかのチラシに印刷されたあれこれを見て、実感はないが非現実的で素敵そうな食べ物があるなと思っていたものだが、今見たらどうなのだろう。今度帰省したら見てみるか。銀河ヒッチハイク・ガイドは、面白いので毎夜時間を割いて読み進め、結局4巻まで読み終わってしまった。まさかそうだとは思っていなかったが、ここまで読んだ後では、私はダグラス・アダムスのファンになってしまったと言わなくてはクジラとペチュニアが頭に落っこちてきそうである。私が小林賢太郎西尾維新を大いに好いている理由は、「それ」以外にありえないからだが、銀河ヒッチハイク・ガイドもどうやらそれのようだった。正確に言えばそれと言えるようなそれだった。結局5巻だけまだ見つかっていないし、なんならシリーズがザ・完結と言えるようなところに行くまでに作者が夭逝してしまったらしく、この先がないという事実に果たして耐えられるのか、いやまあ耐えられるのだろうが、この先がもうないと考えて胸裏に寂しい風が吹くのは避けられないところだろうなと容易に察しがつく。まずはそうなる前に本屋で最終巻を見つけてくるのが急務だから、どこかで目を皿にして探してこよう。目を皿にすると言っても、これは案外簡単で、目を90度横に倒して、一番下の横線を左右につまんで伸ばしてやればよいだけである。頭を横に傾けて、にらめっこをするように両目尻を引っ張れば簡単に目は皿になるわけだな。ものすごい適当な事を抜かしているが。しかし、これを読んで、ふざけずにはいられないというか、面白い事を書かなければ死んでしまう人間というのは、やっぱりいるのだなと再発見した気持ちだ。

ヨーグルト蜂起

残っていたしゃぶしゃぶのバラ肉、もとい誤って食品に混入した動物性燃料は、結局廃棄した。晩飯に一切れだけ入れてみたのだが、口に入れた瞬間に胃の中の空間が口の外へ三次元的かつ有機的に展開しそうになったので、あれを消費しきる事はとても難しかっただろう。また、別の理由により、椎茸も捨てる事になってしまった。突然赤みを帯びたかと思ったら、たちまち白くてふわふわしたかわいらしい物質に全体がデコレーションされてしまい、おまけに嬉し涙なのか茶色い汁まで滲み出ていた。そういえばキノコというのは菌糸類であったなと思い出したわけだが、ちょっと便通を促す効果が過剰になり過ぎているかもしれないと思えたのでゴミ箱にそっと安置する次第となった。ぶり大根に突っ込んだ時は(多分、おそらく)いいダシを出してくれていたはずであるからして、その実力を十全に発揮させる前にお別れとなってしまったのは大変残念である。そんなに室温が高くないので、そうそうお陀仏にはなるまいと高を括っていたのだけど、食べ物というのは正直である。さらに言えば、甘塩たらの切り身はその名前に「甘塩」と入っている事を忘れていて、ついさっきの晩飯がかなりしょっぱくなってしまったのも後悔しきりである。この二週間くらい、食に対する姿勢と取り組みに失敗かつ無気力になっていて、これは一体どういう事なのかしらと不思議に思いたい心はあるのだが別にそんな事を思っているわけでもないのでどうすればいいのかさっぱり分からん。真隣の空き地かどうか分からなかったが、今朝は7時くらいに、軽いドリルで地面に穴っぽこを開けるような音がし始めて、その勤勉さは布団に忘れてきてほしかったなと思った。工事だったのか、それとも異常にやかましいチャリンコとかだったりしたのかは分からない。pdfを書き出す時に、明らかに他の挙動がぼんやりし始めたので、このMacもそろそろ限界が近いのかもしれないという気配が濃厚になってきた。部品取っ替え修理を計3回くらい経てきて、AppleCareに入っていたからどれも目ん玉が飛び出るような値段は払わなくて済んだわけだけれども、これ一台で色々な経験をしたものだ。良くも悪くも。その中で最大の教訓は何だったかと言えば、そうだな、本を作る時に一番大切なのは、まず締切を守る人間を集める事、になるだろうか。無い袖は振れないし無い原稿は編集できないし、つまり無いもんはどうしようもないのだ。

だらだらやっている

駅の便所前、ゴミ箱側の隅っこに、ゲロの染みと構成物の残りがへばりついていた。他に言う事は、ないかもしれない。目を貫く蛍光イエローに染めた髪を編み込みにしている人がいたが、あれはエクステなのだろうか、それとも地毛? 地毛だとしたら、人間の髪の毛って、あんな色に染まるんだなあ、という感想を抱いた。他は、ないな。レストラン数論って何なんだろう。

レストルーム、ご休憩、ラブ便所

このところ胃の調子がよくなくて、朝飯を食いながら食いたくねえと思っている程度である。そういえば、家の中に闖入した、じっとり湿った枯葉そのものみたいな蛾だか蝶だかを、着ようと思ってハンガーから下ろしたズボンに付いていたので、窓の外に振るって追い出したのだった。さらば。野菜が足りていないのかもしれない。あまりまともな飯を作れているとは言えない。作っていないわけではないが、作っていると胸を張るにはあまりにも内面から滲み出る自信とかその辺が足りていない。ポテトマカロニサラダと正体不明のチャーシューをご飯に乗っけて食っているからなのか。頭は悪いが身体に立ち所に悪いかというと、すぐさま答えを出すのは難しい。なぜそんなもんを食っているかについては、業務スーパーに買い物に行った時、そういうもんが食いたい気分だったからに他ならないのだが、もうちょっと他になかったのかという気がしないでもない。で。昨日の夜食べたものがひどかったので書き残しておく事にする。おつとめ品でしゃぶしゃぶ用の豚肉が半額になっていて、名の知れたブランド豚、だと私は思うのだがそうでもないのだとしたらそうでもないのだろう、しゃぶしゃぶ用だろうがなんだろうがとりあえず野菜と炒めて食べようとして買った。ざっかけに分類するとバラとロースの2部位が入っていたのだが、バラの方がひどかった。ひどかったというか。あまりにもその名前を実現しすぎていたというか。まっしろでべったりしていてひたすらに脂しかなかった。豚の脂だけを抽出して、赤身が工程上のミスで若干混入してしまったのかと思うくらい、それくらい脂しかなかった。ロース肉と豚脂が入っていた。炒めると透明でぶよぶよして、食べると食道の段階からげんなりするような、胸から腹にかけてとにかく焼けて焼けて仕方がなかった。寝る時に気分が悪かったのは、責任の大部分はあれに負わせてよかろうなのだ。両部位共にまだ半分ずつ残っているのだが、バラもといただの脂の方は、心が痛むがそれと同じかそれ以上に胸焼けがするのでほかさせていただきたいと思う。ちょっと、あれはな。朝、行き先の駅で降りて改札出てすぐのところで、女が男に抱きついて「サンディエゴなんて行かなくていいよ」、やだやだ、と絶叫していた。他聞を憚らぬとはまさにこの事かと、辞書に具体的な説明が加わった気分だった。それから、ああいう人種を惹き付けるのがアメリカなのであれば、やっぱり私はアメリカの事は好きになれないなと思った。

良質なハッタリ

昨日の夜、椅子に座っている時に何らかの理由で左の首筋を違え、そのまま今晩まで引き続いている。日常の些細な、普段意識しない動作が、この痛みにより顕在意識に浮上してきて非常に邪魔なのでさっさと治ってほしいのだが、筋を違えた時は気にしないよう努めて放って置くのがまあ妥当な策だと思っているので、無視しようとしていたが気になる。ごくたまに、地球の奥底まで引き摺り込まれているのかと思うほどの肩凝りに見舞われる事があるが、あれほどではないにしても動機が分からない。昨日の夜、何をしていたかというと、アークナイツで危機契約が始まったので、恒常作戦に3時間くらい張り付いてあれこれやっていただけだが……。知らないうちに上半身に力が入って、それが人体の有機的なあれこれでどうこうしてうんにゃらぷんぷんして、リザルトとして突然の身体的違和が発生したと考えるのが自然だろうか。それとも、筋を違えるという現象には理由なんてなくて、ただそれが起こるから起こるだけなのだろうか。もし医者に会う事があれば、聞いてみてもいいトピックかもしれない。首を持っていかれた代償なのか何なのか分からないが、初めて自力で恒常ステージ18等級に到達できたので、今回抱いていた目標は達成できた。やれるかどうか分からないギリギリを渡り切ろうとあれこれ頭を捻っていじくりまわした甲斐があった。5月だかその辺に、なんかタワーディフェンス系のゲームやってみたいなと発作的に思いつき突然始めたアークナイツだが、今年一番自分を褒めるべき点はどこかと考えた場合、アークナイツを始めたという一点に尽きるのではないかと思うくらいとても気に入ったゲームだ。一体何がどうなってそう思ったのかは全然見当が付かないが、かなり有難い幸運であった。私は2017年あたりから、突発的に何かしらのソシャゲを中長期的に触り始める潜在的発作みたいなものが発生していて、まあ色々あったが、個人差はあるにしろ、可処分時間の総量と自分の興味関心等を天秤に乗せた結果、人間の身で一度に抱えられるタイトルはマックスで3本までだなという結論に至った。自分の適量目安はどれくらいか、考えた事はあるか? 一度考えておくと、役に立つわけではないが無駄にもならない。机の上が、たまに使うんだけど別にそこにある必要はないような本と、読み終わった本と、まだ読んでいない本とその他のものでぐちゃぐちゃになってきた。一度整理しなければならないが整理して持っていくべき場所もぐちゃぐちゃだ。

絶対に許されないつもりでおります

家に買ってきた、しかし使う予定は向こう2年くらい先を見ても全くないプリンタがあるのだが、置く場所がないので開封していないまま床に置いていて、しかし部屋の中にそもそも置く場所がないので、今キッチンの前にとりあえず放置していてとにかくめちゃくちゃ邪魔である。床から1メートル以上の空間にはまだ空きがあるが、その辺を有効活用するつもりも手立てもやる気もないため、あれを一体どうすればいいのか分からない。天面に、冷蔵庫では収まりきらなかった野菜とかが仮置きしてあって、仮置きの上に仮置きが重なって、もうなんだか分からない。跨いで越えようとしても、ちょうど膝を強打して妨げになる高さなので、一体何なのだお前はという気持ちがしきりにどくどくと溢れてきてstaerker hervor。買い物ついでに本屋に寄って、ヒッチハイクガイドの5巻は入ったかなと思ったら、私が買った2・3・4巻だけが再入荷されていて、もしかしてこの本屋は途方も無いバカなのだろうかと一瞬思った。あるいは、そもそも1巻と5巻だけ、出版社の方で在庫がないのかもしれない。シリーズ物を読む際に一番大事なところともうひとつ一番大事なところを欠いて一体どうするんだと思うが、入ってないからには入っていないのだろう。この気持ちをどこにやればいいのか分からないので、他に行っていない、用事がある時に近寄るような本屋はあっただろうかと思い出そうとしたが、別になかった。どこかの大学生協書籍部とかに、ぽつんと置いてあったりするかもしれないが。竜頭の尾は竜のそれにしてほしいものだ。ハヤカワが1500番台到達記念とかなんとかで、いくつか復刊フェアをしていて、筒井康隆の本があったので買ってきた。持病により、何を読んでいて何を読んでいないのかが曖昧で分からなくなっているので、見かけて明らかに頭の中で焦点を結ぶものでなければ買う事にしていたような気がするが、自信はない。将軍が目醒めた時、に確か入っていたはずだが、乗越駅の刑罰が読みたくて仕方がないのだがあれは廃刊になっているし、必死に探そうとしないという事は別に読みたくて仕方がないという事もないのかもしれない。神林長平の本も一冊買った。読んでいない本を読み終わるペースより溜まるペースの方が早いので、これは酒タバコドラッグとかあんな感じのそれらに対する嗜癖に似た何かなのかもしれない。ぶり大根を作ったら、最初に水を入れすぎて大変な事になった。愚かである。

ポテトサラダチャーハン

シーツを洗った。風が強かったのか、カラスに引っ張られたのか、夕方くらいに物干し竿から滑落しているのが発見されたが、だいたい乾いていたので軽傷で済んだと言える。すき家の食べラーメンマ牛丼を、やっと食べた。最初に食べようと思ったのは2017年くらいだった可能性があるのだが、そこから足掛け数年、やっと食べた。食べながら、牛丼並ってこんなに量あったっけ、と考えた。ラーメンの並盛りでも、ちょっと多くね? と思う事がないではない。メンマって、味がするものなのだなあとも考えた。よく食べるラーメンのそれは、味がないので。別に食べるラー油もメンマも、そこにある必然性は全く感じなかったが、紅生姜とか七味とか、卓上調味料のTierを上げた結果としてのこれなのかもしれないと思った。違う気がする。しばらくまともな飯を作ってないし食ってないので、どうやら精神が分裂しているらしい事が分かる。日記を書けない事からも察せられる。毎日やる事にしているものはやらないと気持ち悪いのでやるが、それ以外は水で薄めたスライムみたいになった。黙々と、布団を引っ被って銀河ヒッチハイク・ガイドを読み進める存在物になっている。こういう時、面白いものが面白くてよかったなというのがセーフティネットなのか、な?

黄金の心

銀河ヒッチハイク・ガイド』を読み終わった。一目も二目も、なんなら五目も置いているかつての先輩が褒めていたので、さぞかしよい本なのだろうと思っていたが、それを思い出して本屋に買いに行った自分を褒めてなければ、そしてこれをシリーズ5巻揃えて置いていない本屋に顔を顰めなければならないほど、こう、手放しであれこれ肯定的な言葉を並べなければならない本だった。今年読んだ本ではガリヴァー旅行記が表彰台の凸の突き出たところに立つ事になるものだとばかり思っていたのだが、伏兵とは思わぬところから出てくるから伏兵なのである。いい小説だ。私は、これは人生の中で特に素晴らしい本だと思ったものを並べる本棚をいつか作りたいと思っているのだが、銀河ヒッチハイク・ガイドシリーズは間違いなくそこに座を占めるだろう。間違いない。ラーメンに麺が入っているくらい間違いない。ちょっと考えただけでもでっかい本棚2つくらいが既に必要なのだが、素晴らしいものとは多くて困るものではない。とにかく、まだ5巻の『ほとんど無害』だけまだ手元にないので、4巻を読み終わるまでにはどうにかして本屋で見つけてこなければならない。どう面白いのかと言われれば、これはこれの持つ面白さで以って面白いのであって他に比するのは違う気がすると言わなければならないので、私が人にものを勧めるのがド下手くそなのか傑作とはそういうものなのかどちらかである。訳者あとがきにはこの作品への愛情が溢れているので、作品周り諸々を理解する以上の価値がある。明日からは2巻の、えーと、『宇宙の果てのレストラン』を読む。事情があってタクシーで家に帰ったのだが、住所を一文字抜かして伝えてしまって、近所を通り過ぎてなぜか知らない道路を走り始めたので内心ハラハラしていた。自分が車を運転しないので、もしかして私の家に通じるそういう道があるのかしらなどと思ったが、どう考えても高低差他諸条件を考え合わせると見当違いの方向に行っているのは火を見るよりも明らかだった。引き返す時にラブホ街を通り抜けて面白かったので、それでチャラになったと考える事にする。私はラブホ街を見るのが好きである。もうちょっと正確に言えばラブホ街に入っていく男女を見るのが好きなのだが、ド平日のド昼下がりにもそこそこの数のペアがいて、やはり三大欲求とは三大欲求なのだなと思った。今、部屋の天井に枯葉がぶら下がっていてびっくりしたのだが、多分蛾か何かだと思う。洗濯物を取り込む時に入ってきたらしい。どうしようかな。

萌え出でしゲロゲロ

銀河ヒッチハイク・ガイド』を昨晩読み始めて、これは素晴らしい本だと思った。こんなに面白い本がまだ世界にあってよかった! と思ったし、口に出した。やりとりのおよそほぼ全てが私の理想とするそれであり、身を喜びに震わせながら読まねばならない。針中の上棒中の下くらいで言っているが、これはいい本だ。人は選ぶだろうがいい本だ。これを読んで笑わない人間とはどうあっても仲良くできないだろう。まだ読みたいので、今日は特に書かない事とする。眠いし。

昨日のピザ

『ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所』を読み終わった。アホみたいなタイトルだが、これがこの本の正式な名前だったのだから、フルネームで記載してやろうとするとこんなに幅を取ってしまうのは仕方がない。河原太鼓鬼左衛門みたいなもんなのだから。一体これはどんなものなのか分からずに読み進めたのだが、読み終わった後もどう呼び指してやればよいのかいまいち分からない。木で鼻を括って、括って、ピノキオくらいになった挙句、「あ、そういえばここもピノキオっぽくしといたから」と言って、肩をポンと叩いて去られる感じがある。しかし、机の上には治し方とか予後の過ごし方が丁寧に記されたメモが残されていて、一連のなんだかよく分からない事態が収束して元に戻っていく感じ。しかも、SFだったのである。私は何回、階段にはまって動かなくなったソファから転げ落ちればこの驚きを表現できるのか分からないが、SFだったのである。それで思い出したが、そういえばこの本は河出文庫から出ているのだった。あぁ。どうすればいい。この宇宙は自分で完結していて、しかもよくできている。感想としては間違いなく「面白かった」なのだが、主体的に面白かったのではなく客体として、もっと精確に言おうとするとただ眺めているしか他に方法がなかった人間として面白かったのだ。トンチキSFではあったがトンチキではない。ユーモアが海より溢れて山より壮大なインテリとは、もしかしてこのような形を取るのだろうか。一体どうすればいいのか分からない。これはドラマになっているらしいが、これを並の人間が映像化してもサムいだけになりそうだが、大丈夫だったのか? 本当に? 大丈夫だったと電動修道士に代わりに信じておいてもらおうか。痺れを切らして別の本屋に探しに行き、ないのか、ちぇっ、と思って檸檬の代わりに舌打ちのひとつでも残していこうかと考えた矢先に、銀河ヒッチハイクガイドが挿さっていた。一巻しかなかったが。1しかない本屋と、2・3・4しかない本屋と、もしこれで5しか置いていない本屋があったら、お前たち相互に補完し合うんじゃないと暴れ回りそうなところだ。とりあえず、頭がぐにゃぐにゃになったところで、銀河でヒッチハイクしに行こうと思う。

腹下し

特に言う事がない。周期的に言う事がなくなる。ちょっと前まで、独り言でしばしばI have nothing to say......と言っていたものだが、それすらも言わなくなったので、その言葉がその言葉通りになった結果そうなったわけだ。隣の工事が、今日はすごかった。夕方ちらと覗いてみたら、敷地脇に残っていたわずかばかりの壁さえ粉砕されていたから、おそらく今日で立っている構造物はひとつとしてなくなったのではないか。今日の何が凄かったかというと、地面をずんずんどつく衝撃が頻繁に襲ってきたところである。もしかして、基礎工事の部分もある程度までは破壊しているのだろうか。ずっとうるさかった。夕方になると終焉の狂騒は止み、水がびしゃびしゃする音しか聞こえなくなるので、後片付けをしているのだと思われる。あんな、こんな狭い路地でやりたくなかろうが。後には何が建つのだろう。壊す時は瞬間的にうるさいが、建てる時は継続的にうるさい。私の家がAV撮影スタジオとかでなくて本当によかった。そんな理由で安心する事があるとは思わなかった。言う事がない。捻り出したがなくなってしまった。ダーク・ジェントリー(以下略)を読み終わるか。あぁ、そうだ。主人公の一人が、ガールフレンドとの約束をすっぽかした際に言われた面罵痛罵がここ最近で最高に面白かったので、それだけ記録に残しておくか。

「リチャード、このさいはっきり言っときますけどね」彼女は言った。「どうせまた忘れたって言うんでしょう。よくもそんな厚かましく、腕が二本に脚が二本に頭がひとつなんて、人間みたいな格好をしていられるわね。あなたのやってることって、アメーバ赤痢も真っ青じゃないの。最底辺の赤痢アメーバだって、たまにはガールフレンドを誘って腸の内壁をちょっと走り回るぐらいすると思うわ。今夜さんざんな目にあってればいい気味よ」(強調引用者)

疑わしきは我関せず

今日も工事をやっていた。朝8時になったぴったしくらいから破壊と蹂躙の音がするので、時計を凝視して時間を測っているのではないかと疑ってしまうくらいである。8時より前は、近隣住民に迷惑になる早朝であり、それからは日常活動を行ってもよい朝、という認識なのだろうか。不思議だな。でも、中学やら高校の始業時間が8時30分だった事を思い出すと、そんなもんかという気がする。朝練をやるほど渇いた部活にはいなかったから、それより前の時間は知らない。今日は書く事がない。挽き肉を小分けにして、余った分を朝飯のおかずとして調理しておいたくらいだ。隠し味にいれちゃお、ぽちょ、と入れたおろしにんにくが、その量に反比例して確かな存在感を匂いの中に漂わせているので、にんにくという存在のストロングさを強く感じたものである。ないな。ダーク・ジェントリー(以下略)は、面白いのだがページを繰る手は遅い。なんでだろうな。2017年に出た初版が、まだ本屋の店頭に並んでいた事が驚きである。天地小口に研磨の後著しく、3分の1あたりのところで変な癖がついていて、読んでいるとそこの開きがちょっと馴染みが悪い。洗濯物を取り込もう。朝露に濡れる季節なのかどうかは、まだ分からないが。

ハイテーブル

ヘルマン・ヘッセ『クヌルプ』をちょっと読んだ。大学のドイツ語の授業で、第一部を読んだ記憶が残り続けていて、その時の教授も大変よい人だった。まだ残りがあるらしいと何年も考えていて、本屋の棚に挿さっていたから取ってきたのだ。著作権が切れているとか諸々の理由で、おそらく、400円もしない小さい文庫である。訳はかなり古いもので、原文も確かにこんな感じだったとは思うが、ぶつぶつ頻繁にちょん切れていて、総体として読むには難しい感じがする。この文を訳しました、次はこの文を訳しました、次はこれを、で次はこれを、と、愛想なくぽいぽい置かれているようである。私がもっと、粘着質で、粘り気があって、ひとつの文をつまみ上げたら全体がわらわらと付き従ってくる訳文が好きだからという理由もありそうだ。第三部だけを残して、しばらく置いておくかもしれない。で、ダグラス・アダムス『ダーク・ジェントリー 全体論的探偵事務所』を読み始めた。タイトルからバカにされているような気がするが、著者はケンブリッジ卒の、言ってみればイギリスのイギリス的部分をふんだんに湛えた人物であり、内容についても閉口した口をもう一度開けたくなるくらいにイギリス的である。面白いのだが、その笑いは腹を抱えて声に出るものではなくて、「ふふ……」とか、ニヤァ……とかで表現されるような、パルスの低いしとどに湿り気を帯びたものであって、あぁ〜〜〜〜イギリス〜〜〜〜という感じがする。読んでいる最中にお茶を入れに行って、この人とはうまく付き合っていけるだろうかと判断する際に、「アメリカ人とイギリス人、どちらの気質を好ましいと思うか」と質問する事は、かなり有効なのではないかと思い付いた。おおよそどちらについても、実戦による手触りを持っている事が前提条件なのが玉に瑕というか玉がまっぷたつな感じではあるのだが、これは極めて効果的に運用が可能なはずである。私は圧倒的にイギリス人の方が好みではあるが、それと付き合いやすいというのはまた別の話だ。ま、それはともかくとして、イギリス人が目の前で、ゴールデンラッキーみたいにぐいと顔を出して、しかしちらりとしていて、でも確かにこちらを向いている。言いたい事はあったがうまくまとまらないのでまとまらなかったという事だけ残しておく。昼前くらいのカスみたいな時間に起きたのだが、起きてから今日は祝日だと知った。確かに、先週そんな話を聞いたような聞いていないような。身構えていないと何もしない。

どの辺に留まりますか

真隣の取り壊し工事が佳境である。明日くらいには落ち着くのではないかと思う。すごかった。内戦地域にいるとこんな感じなのかとちらと考えたが、開高健のルポを思い出すと、これなどお話にもなるまい。でもうるさい。ショベルカーがどんがらどんがら瓦礫を量産する音もうるさいのだが、そこで動いている工事担当者の声がでかい。どう聞き取っても日本語ではなくて、「ハサン!」という呼び声だけは聞き取れた。イスラム教文化圏の人なんだな、と思ったが、んな事言ったら世界中だいたいどこでもみたいなもんだ。家の前の空気がたまにうっすらと白むので、あれは工事の粉塵だと思われるが、洗濯の日と被ったら嫌だなとは思っている。防塵シートが垂らしてあるはずなのだが、いやよくよく思い出してみると垂らしてないな? 窓を開けなくてもよい秋に工事が始まって助かったと言うべきか、否か。そして、建物が取り壊されているという事は、多分、今度はまた別の建物が建つという事なのではないかと思い当たった。うるせーフェーズがもう一回あるって事かしら。どんなにぐうたらな日でも、朝8時にはどんちゃん騒ぎが目と鼻の先というか領域内で始まるから、そこで一回は起きる。大人しく空き地になってくれればよいのだが、あそこはそんなに広くないし変な形だし、また新しいアパートでも建てるのかしら。入口が最悪に入りにくそうだったのはどうにかしてあげてほしいが。本屋で買ってきた本を読んでもいいのだが、文章いらん期に精神が差し掛かったような気がするしそうでもない気もする。どれも読んだら面白いやつである事は分かっているけれども、それとこれとは全くの別問題なのだ。それぞれがどこの次元に属する問題なのかは今だに分かっていないし一生分からないかもしれない。穴が空いたものを捨てていったら洗濯サイクルに比して数が足りなくなったので靴下を買い足していた。GUのそれだけなのか、業界全体としてそうなってきているのか知らないけれども、以前は爪先のところを金属製の、ガチャ玉みたいなやつで留めてあったのに、なくなっている。ぷりぷり県では、あれを手作りしている職人が出てきてウン万円の売値がついていたりしたが、あのネタも段々伝わらなくなっていくのだろうか。しかし、考えてみると、確かにあのパーツが何のために必要なのかピンとこないので、なくなったところで別に問題もないのか。特に語る事がないな。半導体輸入はいつ正常になるんだろうか。