他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

failed to be

合わないものは合わないようである。合わないと書くのだから仕方がないが、合わないと判断する方と合わないと判断される方ではどちらが嫌な気持ちというか、しんどいというか、そういうのがあるのだろうか。ともかく、当座のあてを無くしたので、困るというほどではないがどうでもよくなってしまった。普段ただでさえどうでもよいと思っているのだから、どうでもよいと考える事さえ放棄するようなものであろう。電池が、自分が電池である事を意識に上す事はないだろう。話が違うかもしれない。今日は疲れているし意気阻喪しているから、普段よりも伝わらない話ばかりするだろうししただろうし。疲れると疲れた以外の何ものも意識できなくなり、いや、もっと進んで、あるいは退化して、言語を発するためのエネルギーさえ利用できなくなる。下手に知能のある、処理に困る生ゴミといった状態か。とにかく、現在の精神状態は本当にしょうもないしどうしようもないので、どうするか決めあぐねている。こういう時、虚構の肉体にしがみつきたくなる。何もしない、何もしたくない状態は、欲求が自覚されず(または、もしかすると存在せず)あるという意味では胎児みたいなものなのか。臍の緒がない、切られた、喪った、干涸びていくだけの胎児。ここで母体に相当するような存在を獲得できているかどうかで復旧が違ってくると思うが、まあ今のところの私にはナマコにとってのブロードウェイくらい縁が無いので、数ヶ月ぼーっとして終わるのではないかと見込んでいる。自分の事なのに当事者意識が無い。切り離された象徴界は、一体どこをふよふよしているのか。機械語で会話できるのは、戯言シリーズの彼女くらいなものではないか。私には断言というか、定言というか、assertionがないのかもしれない。仮組みだけでロケットを飛ばそうとしている。落下して斃れるには飛行が下手ではない。どこかに飛んでいくには飛行が上手くはない。だから、何と言うか。ここで言うことが無いのが私の病理か。めちゃくちゃ気分が悪いので早く寝る。

小半斤

台湾で出ている、見知ってはいるけれど飲んだ事はなかった缶飲料を飲んだ。ココナッツジュースらしかったが、味が薄いしそこそこ生臭いので私は好かなかった。ただ、この希釈したようなココナッツの匂いに、一口目で、昔乗った、父方の実家の乗用車を思い出した。あれと同じ匂いがした。カー用品には、上の方のハンドル(あの部位の正確な名称を知らない)とかにぶらさげておく香り系のアイテムがあって、それの匂いだったのかもしれない。思い出さなくてもいい事を思い出した。髪を切った。変な時間に行ったので他に誰もいなかった。面白くないラジオが流れていた。ある程度affirmativeな評価が多数だからそのプログラムが流れているのだろうが。今日切ってくれた人は、いい感じに梳いてくれた。髪の量が多い。散髪に行くたびに思う。でも額は上がった気がする。よく見てないので気のせいかもしれない。プレゼントにヨシタケシンスケの本を買って、贈る前に一応、私も買った身分だし読んでおこうと思って読んだら、泣いた。泣くという行為よりは、涙が出たという方が正確なのだが、物体としてここまで押し出される感覚がある涙は年単位で数えなければならないくらいぶりで、なんで泣いたのか分からなかった。『あるかしら書店』はめちゃくちゃ面白いので、自分用も買うつもりでいる。情緒不安定なのだろうか。何か強烈に感じ入るところがあったのか。しかし、ヨシタケシンスケの本は、子供向けの雰囲気ではあるが、大人が読んだ方が面白い可能性も十分ある。年始くらいに書いた気がするが、いい絵本は年食った今読み直しても面白いのだ。そこでも結局本なのか。無印のぐりとぐらはとても面白い結末だったし、今日行った本屋では売り切れていた。愛され続ける、という言葉は、ひとまず、絵本のためにあるのではなかろうか。

シャレにならない子分

また雨が降っている。梅雨入りしたなんてニュースを見たような記憶があるが、さすがにこれは勘違いかもしれない。記憶に対して勘違いという言葉を使うのは、なんとなく間違っている気がする。でも、寒いとは思わなくなった。蒸し暑いとかなんとか、日本の夏についてくる、そういうあれこれが浮沈している。ここ一ヶ月ほど、牛乳をダメにしてしまうようになった。私の精神の低調とおよそ重なるところがあるような気もするが、ともあれ。人に話をする時、あれ、発話法が変わったなと思うようになった。話そうと思っている事を頭の中で用意して組み立てるのは今までと変わらない(そして話す事と保存とが両立できないので何を話そうと思っていたかは概して途中で忘れる)が、身体の動きとか、声の調子がついてくるようになった。ついてくるというか、つけるようになった、なのかもしれないが。なんとなく、うっすらと、小林賢太郎のあれこれとか、バナナマンのライブとかを観ていたのが、何年か越しに経験として濾過・消化され、精神に同化してきたのではないかと推測している。私は、血肉になるのが極めて遅いタチなのである。生まれる時代を間違えたかな、という思いは、昔からずっとある。近年は特に、ハイ出した、ハイ反応どうぞ、ハイ次、といった感じの世相で、私は飯を食うのもおっそいから、もっとゆっくり食えばいいのにと思うし、なんでそんなに新しいものばっかり食いたがるのかも分からない。筑前煮はおいしいし、かぼちゃの煮付けだっておいしい。今日思いついた喩えは川だった。川下りが好きな人は、常に川の最前線にいるが、川の細かいところは知らない。どこそこの暗がりには丸太が沈んでいるとか、カエルの卵が産み付けられている場所とか。私は川端をもっくりもっくり歩いて釣りをするような者であって、川下りをする者ではない。これとて私だけが納得するそれなのかもしれないが、どうもこういうのを量産しなければ気が済まないというか、これは持病なのだろう。ほぼ全てがイメージに置換されて、本質を喪失するのは。私は、自分のペースで飯を食いたいし、自分のペースで自然を散策したいと、こういう事である。Amazonで注文していた、ブラウザのブックマークに4年以上眠っていた柳瀬尚樹のエッセイが届いた。中古だったような気がするけれど、表紙は結構綺麗で、しかし背表紙と裏表紙にかかる一部が全く白く焼けていて、よくこれまで生き残っていたものだと思った。そのうち読むと思う。

学校のメダカは池の中

昨日は、寝る前あたりから、微弱な風邪みたいな、と言ってしばらく風邪を引いていないので風邪の時どのような状態になるのかは定かでは無いが、常に20%くらいの寒気に襲われて、深夜まで毛布に包まって寒い寒いと思っていた。そこから眠りに眠って、結局今日は計15時間くらい眠っていたのではないだろうか。さすがにそれくらい休むと治った。そもそも、寒気が副反応に伴うものなのか、単純に外が冷たいからなのか分からなかった。一日曇って、時には雨さえ降っていたような様子だった。ザ・春というのはそんなに難しいのか。明日は結構大事な用事があるので、明日を待たずして体調が回復してくれたのは何よりである。昼過ぎに食べた、近所のパン屋で買っておいたメロンパンは、中に半々で、生クリームとカスタードクリームが入ったカロリー爆弾だった。単純な動機、メロンパンおいしそう、くらいの気持ちだったのに、胸焼けするような内容物だった。おいしくないわけではないが、中にクリームを入れなくても十分おいしいのだけど。水だと思って飲んだらエナドリだった、みたいな気持ちだ。レッドブルとかモンスターとか、エナドリらしいエナドリは飲んだ事がない。一番近いので、高校の同級生が面白がって飲んでいたA&Wだが、あれはエナドリではない。一日籠城していたので、布団がむわっとしている。気持ちよく太陽の下に干したいところだが、まだ叶わなさそうだな。日曜日まで予定がある。年にこんな週は一回あるかないかだ。風呂に入ろう。

鎧の袖

3回目のワクチン接種だったが、全てモデルナだったせいか、今のところ副反応らしい副反応が腕の痛みくらいしかない。ちゃんぽんでやれば効果が上がるらしいのだが、日程の噛み合いなどでこうなった。若干頭が重いというか、気分が優れないところはあるが、これはいつもの事なので違いが分からない。明日の用事は、体調がちょっと芳しくないので失礼、とか言おうと思っていたのに、この調子だと出られない事もない。困ったね。この前掃除したばかりなのに、また流しの排水溝が詰まった。寝ている間に急に下り坂になるかもしれないし、早めに寝ようかしら。

hoist

そういえば全部聴ける事は聴けるんだった、と再確認して、アークナイツのゲーム内外の音楽を聴いていると、このゲーム、音楽良過ぎないか、と怖くなった。特に危機契約は、突出していい曲を用意しないと死んでしまうのだろうかと心配になる。初めてコンテンツとして認識して参加した#4、自力で初めて18等級に到達した#5は特に感慨深い。ここ(塞壬唱片 - A WORLD FAMILIARLY UNKNOWN)で聴ける。Operation ~となっているのが危機契約のテーマ曲である。さっき気付いたが、ほぼリアルタイムで歌詞もスクロールしていた。Hypergryphは全てをスタイリッシュでかっこよく見せないと死んでしまうのだろうか。対外呼称はモンスターサイレンだが、原語だと「さい(4)れん(2)ちゃん(4)ぴえん(4)」、サイレンレコードみたいな感じだった。「どれくらい違うかと言うと、刺身と海鮮丼くらい違います」と言ったが通じなかった。私にとってはこれが第一次の意味だから、それってどういう意味ですかと返されると大変困る。何で分からんねん、と二人で首を傾げて硬直するしかない。雨が降ると全然だめだ。このまま降り続けるかしら。明日ワクチン打ちに行かないといけないのだけど。

蝉語

特に言う事がない。来週は忙しい。全日まともに予定がある。回転寿司が食べたい気持ちがある。回転寿司の、得体の知れないサラダ軍艦が好きだ。構成物の想像がつかないのが特徴であり難点だ。業務スーパーで似たような物体を見た事があるので、そうなのかもしれない。業務で使うものなのだから、あって不思議はない。頭が痛い。執着の源泉は何なのか。

雄節

金持ちのペットは、飼っているのは金持ちだが、実際に世話をしているのは、別に世話係がいるのだろう。彼らの気持ちとしては、どちらへの恩義が大きいのだろう。どちらについていくのだろう。頭が痛い。睡眠は必要だったが、絶対のものではなかったようだ。髪を切ろうかと思うが、来週が終わるまでは予定の噛み合いが悪い。ゴールデンウィークの予定とスケジュールと、折衝したが、正直にならなくても予定はない。どうせ何もやらないだろう。おええ。

salutest-saluter

ゴミ箱には、ゴミ袋を取り替えても、濃厚で濃密なゴミの匂いが残る。刑場に、色濃い血の匂いが染みついていると言われるようなものなのかもしれない。観念的か、物質的かの違いこそあれど。ハエが湧き始めたので、蛆に怯える季節が始まる。具体的に蛆を恐れる人生なんて、送りたくなかったのだが。真正面の家でリフォーム工事をしている。真横の空き地では工事をしている、はずなのだが始まる気配すらない。予定が変わったのだろうか。Scars on Broadwayの2枚目のアルバムを買った。2018年発売だった。2022年まで、2枚目はいつ出るんだろうと思っていた。これも悪くないが、一枚目の強烈さが私は好きだ。頭の中がなんでもないままだ。目の前の壁のクロスと大して変わらないのではないか。でこぼこが意匠としてある分、脳味噌としては壁紙の方がマシかもしれない。玄関の門を出入りする時、肉体的な違和感があったのだが、ついさっき理由に気付いた。両脇の植生が此処を先途ともりもり伸び繁っているのだった。名前を知らない木とか草が植わっている。彼らの事は嫌いではない。別に好きでもない。わさわさとして量の割に質量がない方と、そういえば金木犀だったような気がする方と。しばらく記帳していないので、残高が分からない。財布の中身も千円とちょっとしかない。明日、「覚えていれば」、銀行に寄りたい気持ちがあるのは自覚している。

ブーランジェ

雨が降っていた。一日中。寒いのか暑いのか、はっきりしてほしい。自律神経が、尻尾を巻いて尻を捲って逃げ出しそうだ。将軍が目醒めた時を、全部読んだ。乗越駅の刑罰しか記憶になかったが、全体としても結構いい本だった。表題作も、こんな話だったんだな。全く覚えてなかったけど。積んでいた、神林長平の本を読み始めた。もしかして、この人は、人でなしを描くのが上手いのではなかろうか。後は特にない。

絢爛びらびら

内生している論理から導かれた結論が、余人には誤りと映っても、当人にとっては正解で当然の場合、私はこれを諦めている。それが正解であって、それが正解であるような体系を持っているのだから、誰にもどうにもできない。その体系を有している総数が、ただ単に多いか、ただ少ないかの違いであるだけだ。こう考えるのは、それなりの深度に踏み込んだ時であるので、ぶんぶん振り回すものではない。いざという時の、そこまで切迫していないか、外出する時に帯びるハンカチみたいなものだ。頭の中が真っ白で、さっぱり具体的なイメージが湧かなくなって、ついでに意識が蜘蛛の子を散らし続けているような状態だから、もしかしてこれが正常なのかとさえ思えてきた。こんな不健全な状態が正常なのであれば、私は私にとどめを刺した方がいい。お元気ですか、と聞かれると、うぐ、と思う。身体は健調であり、滅多な事では体調を崩さないからそれはまあいいのだが、内面、精神の状態は説明できない。電気コードの皮膜を剥いて、中の電線が四方八方十六方に放散しているような感覚と、頭の中で白いぴらぴらと自生体が常ににょきにょき伸び続けているような感覚がずっとあります、と正直に言ったところで、聞かなかった事にされる。というか、向こうもこっちも困る。それで終わりのどん詰まりだ。だから、元気ですか、と聞かないで欲しい。適当に、さりげなく、答えを返さず、別の話題に持っていってしまう。ワクチン3回目の予約をしたので、来週の当日あるいは翌日は床に伏せっていると思います。

知足

表題作が読みたくて、筒井康隆『薬菜飯店』を電子書籍で買った。大体記憶通りで満足した。まだ途中だが、他の収録作も粒揃いで、いい本である。紙だと、表紙のちょうどいい胡散臭さがよかったのだが。私のある時期の精神的体験は、高校の図書館に全てあるのかもしれない。今日は……。特になかった。何か考えていた事があったはずだが、忘れた。くだらない事を書き溜めてあるノートにまたひとつ足していたら、そういえばと思い出す事があった。青は藍より出でて藍より青し。人に言われて、そういえばこんな諺があった。弟子が師匠を超えていく意であるそうだが、これには対義語、つまり後発がしょうもないというものもあるらしい。「氷は水より出でて水よりも寒し」がそれである。辞書で青は……を引いて意味を確かめている時に知った。人生で一回も見た事がないし聞いた事もないし、どこで使われているのか探すだけで骨がバキバキ粉々になりそうだが、一応あるのである。『就職フェアリー』の妖精パートを、一人でやったら面白い。台本だけ見ると何が面白いのかさっぱりなのだが。#4でも、二宮金次郎に扮するこういう感じの一本があった。まだ#4のDVDは買っていない。Scars on Broadwayの2枚目のアルバムが出ているのを知ったがなお買っていない。合わせて買おうか。

paraphrosyne

精神が放散し続けている。放散という言葉は一番現状を表している。ばらばらになって、どっかに行く。なんだか、この人はいつも元気だな、ブレーキがねえのかな、と思っている人が、実は発達障害らしかった。あの人から受ける感じは何かに似ていたが、そうだ、知人の母親と同じだったのだ。いつも、見える範囲では邁進していた。増えた、というより、見える範囲が上がったというのが実態だろう。母数が増えれば増えるほど、ある要素が発生する数も当然増えるのであるから。共生が謳われるようになってから共生の輪郭が曖昧になっている。同じような事が、いくつもいくつもあった。森鴎外『ウィタ・セクスアリス』を読み終わった。タイトルから勝手に、全く根拠なく、ドイツで幼女とセックスする話だと思っていたのだが、全然そんな事はなかった。なぜそう思っていたのか、過去の思考回路に聞いてみたいくらいだ。vita sexualis、ラテン語で「性欲的生活」。発表当時は掲載誌が発禁を食らったそうだ。私は、人がどういうセックスをしているか聞くのが好きだ。その人が、観念的な存在物ではなくて、生き物だと解釈できるからかもしれない。義務教育課程から古文漢文がなくなるらしいが、日本人の精神充填物から漢学の素養が失われた事、分からないものがある状態を抱えながら分からないと思い続ける体験を放棄する事、私が言う意味で、さらに精神を貧しくするようである。人生の贅肉は必要肉であるのに。

二点照明

暑かった。この前リサイクルから帰ってきたカレンダーが、今度は二月三月、あわてんぼうにやってきた。初夏並みの気温だったらしい。あわてんぼうのサンタクロースは、そのあわてんぼう具合が最高になるのは12月26日の来訪である、多分。ミクロな視点で見ると気候がめちゃくちゃであるが、マクロに見るとこれは誤差とか揺らぎの範囲内なのだろうか。あるいは、この振れ幅はさすがにどうかとなるのか。紅茶を飲んでいるコップの内側が、茶渋で噴火口みたいになっている。これも、5年くらい使い続けているやつだ。マックシェイクのチョコレートみたいな色をしている。諸々が丸っこくて気に入っている。破砕しないでほしい。カジャラのコントを観直し、そういえば台本を買っていた事を思い出し、突き合わせながら見てみた。台本を読んだだけでは、どこが面白いポイントになるのか分からない。頭の中に完璧な完成像がある台本である。野村萬斎バナナマンのライブDVDオーディオコメンタリーで言っていた事だが、面白くなる出し物、演出というのは、台本で読んだ時にピンとこないものらしい。身体の動きや声がくっついて精彩を得るものであるという。それらの言葉の意味が、ようやっと分かった。

純情の反対

信号待ちをしている時、その群衆の中に見覚えがあるがそこにないはずのイメージがあった。カリカリして、一本一本はちんまくて、ウェーブを打った髪のような。ベビースターのそれが。よく見たら、山盛りのベビースターの写真がプリントされたリュックだった。パラッパラッパーのパチモンみたいな、現今のイメージキャラクターが印刷されていたのでそのはずだ。ジップロックの傘を目撃したのも同じ交差点であり、あそこは私がデザイン的に目から鱗を落とすような出会いがある場所なのかもしれない。そのリュックを身に着けるセンスもなかなかのものである。私はリュックは好かないのであれだが、図像としてはすごくいいなと思った。春になってからずっとシャッターが降りたままの店がある。何回か書いた覚えもある。かなりの人気店なので、お休みしますの一言で沈黙が続いているのは心配である。行った事はないのだが。今日通りがかると、その張り紙に書き込みがしてあった。休業事由でも書き足されたのかと思ったら、〇〇から来たのにフられました、とか、○回連続フられてます、とか、そんな事だった。ここに書く内容じゃなくないか、と思った。私がひねているだけだろうが。書く事がなくなった。眠い。