他愛がない

日記が置いてあります。タイトルと中身はあまり関係ありません。短編小説も書いてます(https://kakuyomu.jp/users/mezounagi/works)。 twitter:@mezounagi mail:mezounagi★outlook.jp(★→@)

屋号解体

朝ご飯のおかずにしようと思って、冷凍の白身魚フライをレンチンした。同時に買ってあった冷凍唐揚げがレンチンで調理できたから拡大解釈してフライもレンチンしたわけだが、まっちろくて長細い、パン粉にまみれてぼってりした頼りない固形物ができただけだった。何かが足りないな、と思いながら噛み付いて、色んな事が閃いた。そうだ、フライにしては茶色くないのだ。こんがりしていない。着色前のキャンバスみたいに痩せた白だ。そして、他に替え難い生臭さがぶわっと羽を広げた。生のパン粉と、火が通ったような通っていないような白身と、ふたつが輪郭の立ち上がらない、陽炎のように巻き上がって消えた。おえっ、と思った。白身魚のフライは、フライされるまで、食べ物としては非常にしんどい事を知らなかった。私が獄卒の鬼になって、嫌いな奴が地獄に落ちてきたら、調理前、生の白身魚のフライを食べさせてやりたいと思う。

bruize cruize

毛布はあってもなくてもいいが、感触としてはあった方がいい。タオルケットと同じ理屈だ。アミノサプリという飲み物がある。キリンから出ているやつで、ピンクとか黄色とか、緑や青なんかもあったかもしれないが、カラフルな、発売当初は視覚的にある区画を席巻した(ような記憶があるが私の覚え違いかもしれない)。今でもちらほら売っているので、生息密度としてはなっちゃんくらいかと推察しているが、これが近所の自販機に100円で並んでいたので買った。これが世に問われてから今まで、知っていたのに飲んだ事がなかったのである。まあ、私は大体そういう事をしている。味は何とも言えない。癖になるかならないかくらいの、酸味と若干の甘みがあるジュース未満の液体と言ったところか。爆裂な刺激に溢れる今、むしろこれくらい一歩引いたフレーバーの方が、後髪引かれて、リピートしてしまうのかもしれない。ほっぺたが落ちるほどうまい目玉焼きみたいな存在はない。何が言いたいのか分からなくなってきた。ええと。面白い本を探したい。

分売

なんだか目がパチパチする。寝不足か寝過ぎか眼精疲労か、どれを選ぼうか迷っていたが、五月頭くらいに花粉症が来た、と言った人がいて、あぁ、これって花粉症のそれだったかもしれないと気付いた。三月下旬くらいに一回来て、これで今シーズンはもうおしまい、サイナラ、と安心していた。が、そういえば花粉は一年中飛んでいて、陰に陽に飛ぶ種類が変わっているだけなのである。で、私の身体に喧嘩を売る種類のものが、春先だけではなかったという話なのであろう。ついでに、窓を開けても暑い。外気を取り入れたところで、風が吹かなければ涼しくは感じないという事実を再び確認する事になった。自律神経は大丈夫だろうか。彼(または彼女、あるいは……例えば英米圏だとNSの人物にどの人称代名詞を当てるのだろう)もゴールデンウィーク休暇を満喫しただろうか。私は特に何もしなかった。どうせ何もしないだろうなと思っていたが、予期していた以上に何もしなかった。何かする方が珍しいのである。『日本三文オペラ』を読み返し終わった。素晴らしい本である。そして、開高健の本を感嘆して読むという事は、精神状態があまり良くない証左である事も、さっき皿を洗いながら分かった。そういえばそうなのだ。でもこれは好きな本だ。棺桶に入れてほしいとか言おうと思ったが、今の時代は別に火葬だけではない。ぺたんこにして乾燥させて、家の壁に塗りこめる葬とかあってもいいと思うのだけど。まだ元気に存命中だが、骨壷だけ先に買ってあるという人がいた。なぜか値段の話をしてきて、いい値段だと言うくせに肝心の額面は教えてくれなかった。何なのだろう。そういや、私が死んだら、父母どちらの家系の墓に入るのだろう。今の時代、家系の墓がちゃんと分かってる人はどれくらいいるんだろう。墓参りに行く時のやつとは違うのか。人が死んだらどこから坊主を呼んで教を読んでもらえばいいのか。知らん事ばっかりだ。死んだ後もそうかもしれん。

将来の夢の将来の夢

暑いと思うようになった。気候が次のフェーズに移行したようだ。これでまた寒くなったらほっかむりしてほとぼりが冷めるまでどこかに姿を隠したいところだが、そうなってもおかしくないのが今年の春である。毎年こんな事を言っているのかもしれないが。花粉が、大体毎年、史上最高記録を塗り替えるように。シーツを洗った。洗剤のCMよろしく、脂や垢やなんかが可視化されていて、どれくらい汚かったのか、どれくらい綺麗になったのかが分かるとさっぱりするといつも思うが、前者の方がグラフィックとして提示されるとちょっと凹みそうなので、人間の目は悪いくらいが、ミクロはそれほど見えないくらいがちょうどよくて幸せかもしれない。それとも、世界各国の、あらゆる人の寝たシーツを集めて、寝相が分かったり、あぁ、この人は体重がこんなところにかかっているんだなというのが見えたりすると面白いのではないか。睡眠万博だ。実際に自分の使っているシーツを出品したら恥ずかしいのだろうか。寝ている時の、意識していない自分だから、もはや自分ではないと割り切って、あっさり快諾してしまうものだろうか。手作りのシーツなんかもありますしね。私は針仕事はできないけれど、母や祖母が作ってくれたり作っているのを見た事はある。寝る、以上の文脈が含まれていて、結構見甲斐やり甲斐はありそうだ。私はやらないが。私はイベンターの仕事はできない。思い付いて頭の中で書き上がったら飽きるから。それを出力する際に、想像以上に必要なものが多い事が発覚する事が分かっていても、やっぱりその段階で飽きる。人間としての活動限界が、頭の中の直径くらいしかないらしい。小さいような大きいような。自己を絶えず外界に向けて増幅しなければ生きていけない人も知っているが、私はその真逆である。時代が、あるいはもう少し言葉を小さくして風俗と言うのが適当かもしれないが、自分の増幅、最大化を要求している。味が分からなくなるし耳は遠くなるし絶頂に達するのも難しくなると思うのだが、the more & the higher & the bigger & ..., anyway, the betterになっている、というのが私の意見だ。違ったら違うし、うまい棒には納豆味もあるんだな、くらいで覚えておけばよい。極彩色の遊牧民にはなれないな、と思うのだ。筵の下のじゃがいもにはなれる気がする。床下の梅酒にはなれる気がする。

俳名

さすがにもう毛布はいらないと思う。明日洗ってもいいんじゃないか。どうだろう。三回目のワクチンを打ってから、若干体質が変わった。具体的には少し寒がりになった。ちょっと暑いぐらいなら、そっちの方がいいか、と思っている。深夜の、寒くもないのに寒気に包まれた記憶が、思ったより記憶に影を落としているらしい。困った事に、特に何もない。『日本三文オペラ』を読み返しているが、とてもいい本だと思うくらいしかない。一番好きな本は何か、と聞かれたら、『エロ事師たち』と開高健の本を並べて、さてどれだろうかと悩むだろう。三年後くらいに考えると、選択肢はまた変わっているかもしれないが。左手薬指のよく分からない位置にほくろができていた。なぜこんなところに。あとは夜とにらめっこする。

wonder to live

どうせやる事もないし、散歩ついでにパンを買いに行った。溜まっていた牛乳パックや食品トレーもリサイクルに出した。冷蔵庫の中に、いつ買ったか忘れた、買った時にすでにおつとめ品だったりんごがまだ残っている。痛んだところからやばくなっていたような、最後の方に手をつけようと思って結局手をつけないまま放っているりんご達がいる。りんごは一定時間が経つと物体として熟成を始めるのか、庫内に不思議な臭気、ガス的なものが充満している。おそらくりんごから発された存在のエキスだと思われる。まだ悪臭ではない。ワックスとりんご果汁を混ぜたような、少しだけ甘ったるい匂いだ。匂いに敏感な食品には簡単に移るらしく、牛乳が少しだけ、その気配の味がする。そもそも牛乳って匂いが移りやすい食べ物だったかどうかについては不明である。そんな気がする、というだけの話で。パン屋に行ったら、店の中で、と言っても大変狭いので、ちょっとした玄関くらいなものだが、パンを食べている人がいた。右手にパンが並んでいるので、左手にさっぱり意識を向けた事がなかったのだが、そっちにはイートインスペースがあったのだった。本当に知らなかった。こぢんまりした机と椅子が2セット、全面鏡張りの壁に向かって置いてあった。どこを見ても自分が飲食する様子が反射してくるというのは落ち着かないと思うのだが、あの壁面鏡張りにはどういう理由があるのだろうか。店内を明るく、広く見せるというレイアウト上の理由か。確かに、この前行った中華の店は、地下で若干手狭だったが、至る所と柱が鏡張りなので、広く感じた。どこが虚でない、実の空間なのかが分かりにくくて、非常に歩きにくかったという甚大なデメリットもあったけれど。ゴールデンウィークだからなのか、それとも曜日サービスなのか、後者だったような気がするが、菓子パンが全品20円引きくらいになっていた。気に入っている、紫芋パイスティックみたいなのと、チーズケーキみたいなパンと、焼きチーズパンと、適当に買った。1000円しないくらいの会計だった。いつ行っても同じおばちゃんが出てくるので、あの人が一人で回しているのかもしれない。一人でパン屋を回せるのかどうか知らないが。午前中だけ、調理スタッフを雇っているなどもありえる。パンは変わらずうまかった。まず間違いなく個人経営のパン屋だと思うが、値段は良心的だし味はいいし、あのパン屋は好きだ。

このわた!

洗濯物を干せた。よかった。夕方、音が一瞬で変わり、デジタル信号のように、ものすごい雨が降り始めた。今はおとなしくなっているので通り雨みたいなものだったのだろうが、油断しているところを後ろから刺すような雨だった。即刻洗濯物は取り込んだので事なきを得たものの、もし今日が外に出る用のある日だったらと考えると、洗濯機が身震いする(もう一度同じ事をしなければならないため)。業務スーパーの外国お菓子コーナーでビターチョコレートを買った。アルフォートみたいな、長方形にカットされたチョコレート群だと思っていたら、板チョコだった。それにしては手触りが厚過ぎる。明治の板チョコを3枚重ねたくらいの厚みがある。タイムホール的な何かに飲み込まれて、過去からまだ大きかった頃のカントリーマアムが現代に漂着したら、これにも匹敵しようかというサイズ感の違いだった。値段も100円とちょっとだったので、日本が様々な面で貧しくなっているというのは、まあ正しい言だと思う。味はおいしかった。ドイツのものだからだろうかと言いたいところだが、ドイツのチョコが特別いいのかどうかについて知識がない。本が多過ぎて整理した方がいいと思う。崩壊が激しかったので机上の各所に分散させて一応誤魔化したが、問題の根本的解決でもなんでもない。本棚を買えば、縦のスペースが有効化されて押し入れの中の当座の収容量が2倍くらいにはなるから、今年買う分は乗り越えられそうだが、先に足元の話を解決しなければならない。でも何もしないんだろうな。めんどくさいから。私はルーチンと現状に執着があるようだ。何に使うか考えずに買ったベーコンを、トマトと一緒におやつみたいな変な時間に食べた。肉のあるベーコンが食べたいのであって、脂を食べたいのではない。脂ばかりのスライスを食み終わって、口と胸に残るいやな焼けた感じを転がしていたら、前にベーコンの切り落とし1kgくらいを買った事を思い出した。あの時は、ベーコンをしこたま食べた。いっぱい食っても特に満たされた気にはならない。食べたい、という気持ちを抱いているその瞬間が一番満たされているのではないか。この前、マックのチキンナゲットと新しいソースを食べたが、相変わらず、あれは肉という物質を食べているという感覚を抱くためのものであって、食べ物というには何かに欠けるなと思った。トマト&チリペッパーの方がいい感じだったが、ソースを舐める口実になっていた感が否めない。

兆候

冷凍の唐揚げを調理した事がなかったので、買って揚げてみた。フライパンに浅く油を引いて、揚げ焼きみたいな感じになった。ちまちまと火が通るので、飲食店にあるようなフライヤーで一気に揚げると気持ちいし楽だろうなと思ったけれど、機器や周辺のメンテナンスを考えると、家庭では、もっと言えば独居では、これくらいでなければやらないだろう。よほど料理が好きでない限り。面倒だと感じる事をするほど料理が好きではない。白身魚のフライも買ってみたが、あれも多分、調理した後は同じ気持ちになるのだろう。猛烈に洗濯物を干したくて仕方がないのだが、天気予報の伝えるところによれば、ゴールデンウィーク中は猛烈に天気が振るわないらしい。天気が全然ゴールデンじゃない。明日はどうあっても洗濯機を回さなければならないし買い物にも行きたいのだが、どうもそれを許す天気ではなさそうだ。今日も精神活動において特段何も起こらなかったため書く事がない。

くしゃくしゃのくしゃみ

疲れた。言う事がないわけではない。美容室の前を通って、starlight parm、スターライトパーマって何だ、と思ったら、straight parmだった。似ている。考えた事なかったが。ちょっとおしゃれな見間違いをした。あとは疲れた。人からもらった紅茶がなくなったので、また玄米茶に戻った。今日は、たまに、「猛烈にお腹が痛くなる気配」が襲ってきた。それで猛烈にお腹が痛くなるわけではなくて。何なのだろう。今も来ている。ふう。ゆうちょ銀行の通帳が、磁気が薄くなったせいで読み込まれなかったから更新してもらった。ケースに入れておくといいですよ、と、あのプラスチックの薄っぺたいケースをくれた。入れるのをさぼる理由がないが、入れる理由もあんまりないなと思った。

傾斜傾斜傾斜

考えを煮詰める方法は人によって様々あるだろうが、私の場合は、適当に思い付いた事で、誰か別の一人と会話してもらう、であるらしい。多分そうじゃないかと思っている。全然考えがまとまってないのに書いてしまった。雨が降っていた。雨が降るという気持ちで今日という日に臨んでいなかったので、すごく調子が悪かった。虚無に浸かっている。また寒くなった。いつ毛布を洗う日が来るのか。

熱に沈められて

洗濯物を取り込みに窓を開けたら、空気がきゅっとしていた。また少し、冬の方に向けて後退りしたようだ。ばちっとした、さあ、もうこれが春でっせ、みたいにはなかなかならない。春というのは、こんな風に、春と冬の混ぜ物みたいな季節だっただろうか。そうだったかも。夏と冬はだいたいモノトーンだ。秋はそもそもの存在感に疑問符がつくところであるから、もしかすると、日本の四季というのは、夏と冬の濃度を指定するだけで、全てを定義できるのかもしれない。じゃあもう四季ではない気がするが。人との約束を忘れていた。完全に。というか明日だと思っていた。リモートで解決する用事だったのでまだよかった。気心の知れた相手ではあるし。ルーチン以外は、Macのカレンダー機能に入力する事にした。今回はなぜか入力していなかった。一度何かで取り消しがあったから、それに巻き込まれたのかもしれない。私は、定常性か、バス停を毎日1mmずつ動かすか、その辺りが好きらしい。ちょうどいい中国語の中級程度の本ないのかな、と思って探して、『すらすらさくさく中国語中級ドリル1000』を買った。語学における中級と上級の狭間は曖昧である。英語が話せるのと英語で話せるのとが違うみたいなもんか。自然な構造として出てこないだろこんなもん、というのに衝突するのが、母語以外の言語と戯れる意義のひとつであるというのが私の意見だ。英語だとピンからキリまで、10トントラックで捨てるほどあるが、そうでない言語だと信頼できる出版社を見つけるのがひとつの手がかりであるようだ。ロシア語だとナウカ、ドイツ語だと郁文堂、とか。中国語は東方書店が強い、っぽい。フランス語の辞書は、フランス語に明るい人から、ラルースを使いなさい、と教わった。あれが正解なんですって。こういう持って行きようのない知識ばかり覚えているな。

円転ぷにょぷにょ

ある本を買おうと思って本屋に行ったら、その本を買うのをすっかり忘れて、他の本を5冊だか6冊だか抱えて出ていた。帰り道に、目当ての本を買いそびれた事に気付いた。巡り巡って、絵本っておもしろいんじゃないかというところに来た。児童文学論みたいなコーナーがあって、絵本売り場の奥の方にちまっとあるだけなので今まで全然気が付かなかったのだけど、面白そうな本とか雑誌がちらちらあった。ケストナーの小説タイトルそのまま、『飛ぶ教室』という絵本分野の雑誌があるのも知らなかった。原題をそういえば知らないので調べてみたら、Das fliegende Klassenzimmer、飛んでいる教室、まんまだった。原語でも字面がまんまだった。ドイツ語という感じがする。ドイツ語は、言葉はまあ簡単だが、関係代名詞が町内会バスツアーくらいの行列を成して押し寄せてくるので大変なのだ。「農協月へ行く」を思い出すな。中学生くらいの時に読んで、ガイドの人が(規制)されるところでびっくりしたものだ。似たような記憶は白夜行にもある。私の原体験って、あの辺にあるのかしら。カブを食べた。安かったから、いや、普段カブを買わないのであれが安いんだか高いんだか分からないけれど、買って、記憶に名前だけ残っていた出汁の含め煮にした。葉っぱと茎が長いし、皮を剥くのもめんどくさかった。それでも、出汁はうまかった。手間をかけるだけの価値があるかどうかは、各人の判断に委ねるが、無駄な時間にはならない。暑くなった。どうも春が精薄である。

因業

買い物に行きたかったが、雨が降っていたので諦めた。凪というか、腐った茄子みたいな状態の日だった。実際に茄子を腐らせた事はない。何でもかんでも散文でやるしかない気がしていたが、ト書きの方が適している場面もあるなと気が付き始めた。使う場面は全くないのだが。読みも書きも、ト書きで合っている事を確認するために辞書を引いたが、語源は『歌舞伎脚本で「ト悲しき思入れ」などと書いたことからいう』とある。ほにゃーん。『日本三文オペラ』を読み返している。元気でない時に開高健の文章は読めないという事を発見したが、それと同時に、やはりいい文章だとも思った。じめじめして粘っこくて、肉と血がじくじくしている。感嘆符を使わない人とかモノとかが好きだ。私は生まれる時代を間違えた気がしてならない。色々書こうと思ったがまだぐちゃぐちゃしていたのでやめた。何年か後に書けるようになるかもしれない。捨てる神あれば拾う神ありと言うが、まあ仮にそうだとしても、捨てられてからどれくらい経過して拾ってくれるか分からないし、拾いに来るのは遺骨かもしれない。つまり、ひとつには、アドバイスを活かすには、それを容れて活性化するに足る前向きさが必要であるという事だ。

西受け

初めて知った事だが、レターパックライトを発送する際には、荷の厚さが3cm以内でなければならない。それも大体のなあなあでやっているのではなく、梭みたいな、真ん中に規定限界ジャストの穴が空いている器具でチェックしてくれる。銀行のATMに、こんな感じのスキミング機材が取り付けられていました、という写真付きシールが貼ってあるが、あんな形のやつ。私はおそらく、送ろうとしたものを全部詰めた結果、31mmくらいの、ちょうど通らない厚さになり、赤い方のレターパックを買い直す事になった。ふむ。人にものを送る事なんて年に一回か二回しかないし、その時のサイズがこの使い損ねたレターパックライトであるかどうか分からない。捨てるには高い資源ごみだ。どうしようね。昨日の夜はとにかく体調が悪くて、sickなのではなく、変調をきたしているというのが正しかった。トイレで踏ん張ればびしゃびしゃの水便に際限なく襲われ、腐った卵の匂いがする噯気(「あいき」、げっぷの事をこう言います。おしゃれですよね)が間断なくせり上がり、しっちゃかめっちゃかになっていた。これで気分が悪いわけではなく、その現象だけがそれだけで限局的に起こる。私の身体は素直に調子を崩さない。借金はしないけど金癖が悪い、みたいな。すぐそばの工事が始まった。うるさい。いくら生活通路だからと言って、路地の出口に建材を積むのは勘弁してほしい。結局、正体を失って沈没したままでいるのは変わらない。

乗るか反るか

「おやつにどう?」とかっぱえびせんを勧めながらナンパをしているやつが駅にいた。ナンパは好きにやればいいと思うが、袋のでっかいかっぱえびせんをダシにナンパするやつは初めて見た。彼は、感覚がずれていて、居心地の悪い思いをしているのだろうか。それとも、かっぱえびせんでナンパするというテーマの素人ビデオでも撮っていたのか。あれがスナックえんどうやサッポロポテトだと成功率が違ったりするのか。あるいは、スナック菓子の代名詞的存在としてかっぱえびせんを使っていたのか。分からない。